われわれは、「われわれ主体の、そのおいてある場に規定された規定性の転換」というように論じてきた。「党員としての党員」「組合員としての党員」「党員としての組合員」というのが、それである。この「われわれのおいてある場」という表現はどうなのであろうか。

 いろいろと考えているのであるが、「われわれのおいてある場」と言ったばあいには、それがさすべきものとするのは、労働組合あるいは労働運動ではなく、職場ではないだろうか。また、「大衆運動の場面」とか「労働運動の場面」とかとわれわれは言ってきたのであるが、「場面」という用語をつかうばあいには、こういうように言うのではなく、「職場集会の場面」とか「組合の会議の場面」とか、あるいはまた「大衆的な場面」とかというように、もっと具体的に言わなければならないのではないだろうか。(「われわれが活動している場」と言ったばあいには、それは、職場か、組合の種々のとりくみの場面かをさす、とすべきであろう。)

 このことを考えるまえに、「われわれのおいてある場」という表現と「われわれのおいてある場所」という表現とを考えよう。上記のような具体的問題を考察するばあいには、「われわれのおいてある場」という表現が適切であり、「われわれのおいてある場所」という表現はそぐわない、と私は感じる。「われわれのおいてある場所」という表現は、実践論一般すなわち哲学的人間論(われわれ人間主体と客体たる対象的自然との二実体を措定して論じるレベル)を展開するばあいに限定したほうがよいように思われる。もちろん、われわれとわれわれが変革する対象をなす組合員たちとを図で描き、これを四角の線でかこんで、「これが場所だよ」と説明するときは、これでいいわけである。これは、具体的な問題をわれわれの実践論を適用して説明しているものだからである。

 ようするに、具体的な問題について具体的に論じる論述においては「場」という表現をつかったほうがよい、と私は感じる、ということである。したがって、以下では「場」という表現をもちいる。

 もとにもどる。労働組合は労働者が結成した組織である。労働運動はこの労働組合が展開している運動である。党員であるこの私が労働組合に所属しているばあいには、党員であるこの私は、労働組合では組合員である。党員であるこの私は同時に組合員である、こういうことがらをわれわれは論じなければならないのであって、労働組合あるいは労働運動を「われわれのおいてある場」と規定すべきではない、と私は、今日的に感じるのである。こういうように規定すると、われわれが強化しなければならない労働組合や労働運動を、それにもかかわらず客体化してしまう、という印象を私はうけるのである。

 労働組合あるいは労働運動を念頭において「われわれのおいてある場に規定された」というように論じるのは、社共(社会党・共産党)既成指導部によって牛耳られた労働組合および労働運動という諸条件のもとでたたかってきた同志たちの実践を理論化する、という歴史的限界性をもったものとしてわれわれは考えるべきではないか、と私は思うのである。

 わが同志たちが組合役員として労働組合を掌握するという主客諸条件のもとでの実践の理論化にかんしては、上の規定をあらためる必要がある、と私は考えるのである。

 では、「われわれは自分のおいてある場をなす職場」というように考え、「を変革するために」というようにわれわれの目的を明らかにすることにかんしてはどうか。「職場を変革するために」ではおかしい。職場の何を、ということを規定しなければならない。「われわれは自分のおいてある場をなす職場の階級的現実を変革するために」としなければならない。

 この「階級的現実」という表現は英語には訳せないらしい。「階級闘争の現実」としないことには意味の通じる英語にはならないそうである。これについては春木良同志に考えてもらう以外にない。日本語で「職場の階級闘争の現実」と表現すると現実離れしたものになってしまう。したがって、ここでは「職場の階級的現実」という表現をつかうことにする。

 しかし、「職場の階級的現実を変革するために」とすると、そのまえの「自分のおいてある場をなす」というのとうまくつながらない。「自分のおいてある場をなす職場の階級的現実」となり、階級的現実を「場」と規定することになってしまい、階級的現実を客体化している印象をうけるからである。この印象を避けるためには、「われわれは自分のおいてある場をなす職場、その階級的現実を変革するために」と表現しなければならない。

 とはいえ、これではまどろっこしい。職場の階級的現実は自分が自分の実践によってつくりかえてきているものなのであるからして、こういう具体的な問題を論じるときには、「のおいてある場」という・実践論一般の出発点を論じるときにつかう表現をやめてしまい、「われわれは自分がつくりかえてきている職場の階級的現実を変革するために」と表現するのがふさわしい、と私は感じるのである。

 私はこういうように考えるのだが、どうだろうか。

 

 

 

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