「民族は非存在ではない」という主張にたいして、「「民族」は概念なのだから、民族は実在していないじゃないか」というように批判するのはどうだろうか。この批判には、私は疑問がある。これは、われわれの内部でこのような批判がうみだされた、ということではなく、うみだされないように気をつけなければならない、ということである。上記の主張にたいしては、あくまでも、「このような主張は、概念を実在化したものである。概念と、この概念によって規定される物質的なもの=実在的なものとを二重うつしにしている」、というように批判しなければならない。

 もしも「民族なんか、実在していないじゃないか」と批判したとしよう。このように言ったとするならば、そのメンバーには、「実在」という概念についての認識論的アプローチと存在論的アプローチとの違いをなおはっきりとは自覚していないところがあるように、私には思えるのである。

 われわれは物質的対象・すなわち・物質的なもの=実在的なものを感覚し認識する。われわれがこの実在的なものをつかみとり・おのれの意識のなかに形成したところのもの、これが概念である。

 このように「概念と実在」というかたちで論じるのが、物質的なもの=実在的なものの認識にかんして考察する認識論的アプローチである。このようにアプローチするときには、われわれは、この物質的なもの=実在的なものを「客観的実在」とよぶ。

 これにたいして、「竜は実在の動物ではなく、想像上の動物なのであるが、タツノオトシゴは実在の動物である。」という論述を考えよう。この「実在の動物」という表現を「実在する動物」というようにかえても同じである。

 ここで「実在の」「実在する」というばあいの「実在」と、先の「物質的なもの=実在的なもの」というばあいの「実在」とは、異なる概念である、というように感じるであろうか。感じたであろうか。

 ちなみに、「竜は実在の動物ではなく……」と言うばあいには、ここに言う「実在」という語を「客観的実在」という語に置き換えることはできない。置き換えると、何か変な感じだ、と感じないだろうか。

 ——押しつけがましいが、——両者はどこか違うなあ、と感じたとしよう。この違いはどこからくるのか。

 それは、「実在」という概念をわれわれが考察するアプローチのしかたの違いにもとづくのである。前者の、「概念と実在」というように考察しているばあいには、われわれは認識論的にアプローチしているのである。これにたいして、後者の、「実在のものか否か」というように論じているばあいには、われわれは存在論的にアプローチしているのである。ここに言う「存在論」は、「認識論」にたいする「存在論」ということであり、したがって、マルクスが明らかにした「下向・上向の弁証法」、この下向的分析と上向的展開の論理的構造=形式的構造を明らかにするのが認識論であるのにたいして、下向的分析をとおしてつかみとったところの本質的なものから現実的なものへとその内容を上向的に展開するのが存在論である。

 アプローチのしかたとしてはこのように言えるとはいえ、後者のように、何らかのものにかんして、「これは実在のものか否か」というように問題をたてるのは、「実在」という哲学用語の通俗的な使い方である。「竜は実在の動物ではなく……」というのが、まさにそれである。竜というような具象的なものであるならば、まだ意味がつうじるのであるが、一般に、学者が理論的に「何々は実在か否か」というように問題をたてたときには、この「何々」という概念は実在化されている。「労働力商品の価値は実在か非実在か」という問題提起がまさにそれである。ここに言う「労働力商品の価値」は本質論的につかみとられた概念であるにもかかわらず、「実在か非実在か」を問うような実在的なものとみなされているのである。一般に学者は、概念を実在化する。これは、彼らが解釈家であることにもとづくのである。注意すべきである。われわれは、学者の書いたものを徹底的に批判することなく、それに依拠してはならない。われわれは、学者の書いたものを、おのれが体得しているあらゆる論理を駆使して徹底的に批判しなければならない。相手を批判するときに、自分のもっている内容を対置したのでは、われわれは自分がすでに体得している内容以上に自分をたかめることはできない。

 世間では、想像上のものと実在のものとが対比されたり、幻影や錯覚と実在のものとが対比されたりする。後者は、人間の意識の内部での現象・すなわち・心理現象と人間の意識の外側で生起した現象とを対比したものである。この対比もまた、存在論的にアプローチして考えたものであると言えるのであるが、「実在」という用語の使い方としては通俗的なものである。「実在」という概念にかんしては、われわれは、まずもって、「概念と実在」というように認識論的に考察しなければならない。

 「意識」という概念を考えよう。「意識」という概念と、この概念によって規定されるところの物質的なもの=実在的なものとをわれわれは区別しなければならない。このばあいには、「意識」という概念によって規定されるところのものにかんしても、これを、われわれは「物質的なもの=実在的なのもの」とよぶのである。われわれは、われわれの意識の働きをも唯物論的に解明するのだからである。われわれがおのれの対象をどのように認識するのか、ということを明らかにするためには、われわれが認識する対象と、われわれがこの対象をつかみとったところのものである概念とを区別することが必要なのだからである。

 また、「概念と、この概念によって規定されるところの物質的なもの=実在的なもの」ということをのべるときに、「概念と、この概念をわれわれが妥当させるところの物質的なもの=実在的なもの」というように言う仲間がいるのであるが、これを聞くと、私には、どうしても、自分の既知の概念によって、自分が認識する対象を切り盛りする、というイメージが浮かんでくるのである。私は、自分にこういうイメージが浮かんでくるのはなぜなのか、ということを考えているのであるが、それは、どうも、概念とこの概念によって規定されるものとの関係を問題にしているだけなのに、「われわれが概念を妥当させる」というように言えば、われわれが物質的対象をどのようにして認識するのか、ということの解明にふみこむことになるからではないか、と思われる。私は、「この概念を妥当させるところのもの」とは言わないのである。このように言うと、結果解釈だ、と私は感じるのである。私は、「われわれは物質的対象を感覚し認識するために、自分がもっている感覚や概念の一切をこの物質的対象に妥当させる」というように言うのである。私は「妥当させる物質的対象」というようにひっくりかえしては表現しないのである。また「物質的対象に一切の概念を妥当させる」と考えるのである。あらかじめ物質的対象に対応する概念を選んでそれを妥当させる、というようには私は考えないのである。まだ物質的対象がどんなものであるのかは自分にはわかっていないのに、そんなことはできないからである。これにたいして、「規定する」「規定される」というように論じるときには、われわれが対象をどのように認識するのかということの構造については問うていないのである。

 「この概念を妥当させるところのもの」というように言うならば、われわれが認識する対象は、われわれがみずからの実践によって創造し変革した新たなものであり、この新たなものに、われわれが自分のもっている感覚と概念の一切を妥当させてつかみとったところの・このものにかんする概念は新たなものである(同じ言語体によってあらわす概念であったとしても、その概念の内容は新たなものであり、これまでのその内容をぶちこわし新たな豊富な内容としたものである)、ということがはっきりしない、と私は感じるのである。

 

 

 

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