マルクスの実践的唯物論を主体化するために奮闘しているみなさん!

 実践的唯物論を主体化していくためには、概念の実在化という誤謬について考察し深めていくことが肝要である。

 われわれが物質的対象を認識し把握したところのものが概念である。このようなものである概念を、あたかも客観的世界において転がっている石ころであるかのように見なし、石ころのようなこのものをひろって自分の頭の意識のなかに入れたものが概念だ、と考える考え方が、概念の実在化という誤謬である。われわれが客観的対象を認識し規定したものである概念を、客観的実在とみなす、という意味において、この誤謬を「概念の実在化」と呼ぶのである。

 次の文を見よう。

 「民族は非存在ではない」。

 この文は、「革マル派」中央官僚派の笹山登美子が書いたものである。

 この表現を奇異に感じないだろうか。

 もっと具体的なことが書かれてあるのを見ると、自分の感じるところがはっきりするかもしれない。次の文を見よう。

 「民族的対立は非存在であるどころか、世界のあちこちで火を噴いている。」

 これを読むと、民族的対立なるものが、あたかもゴジラか火山かであるようなものなのである。それが火を噴いている、と。

 民族的対立というのは、世界で生起している一定の事態をわれわれが規定した概念である。このような概念が現実世界に存在していて火を噴いている、とするから、おかしげなことになるのである。人間の頭のなか、つまり意識のなかにある概念が現実世界に飛び出して火を噴くのか、ということになるのである。

 このような文を書くのは、筆者が、民族的対立という概念とこの概念によって規定される物質的事態とを区別していないからである。世界で生起している一定の事態を筆者が「民族的対立」と規定したのである。その物質的事態を「民族的対立」と規定することには、筆者の価値意識が貫徹されているのである。このようなものである「民族的対立」を、現実世界に存在している、とするのは、筆者が、物質的事態をこのように捉えた自分の価値意識を隠し、あらゆる人びとが見ている対象が民族的対立なのであり、民族的対立なるものが石ころのようにそこに転がっている、とするものなのである。このようなものとして、筆者は、自分の価値意識にもとづくものでしかない「民族的対立」という自分の把握内容を、万人に、これは存在なのだから認めよ、と押しつけているのである。この論理は、筆者の唯我独尊の論理なのである。筆者にとっては、自分の頭のなかが客観的世界そのものとなっているのである。

 

 

 

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