マルクスが『資本論』において「仮象」という概念をどのように使っているのかということについて、二か所発見することができた。第一巻第六編「労賃」第十九章「個数賃銀」の最初の部分と最後にでてくるものである。

 最初のほう。

 「時間賃銀が労働力の価値または価格の転化形態であるのと同様に、個数賃銀時間賃銀の転化形態以外の何ものでもない。

 個数賃銀にあっては、一見したところでは、労働者によって販売された使用価値は彼の労働力の機能たる生きた労働ではなく、すでに生産物に対象化された労働であるかに見え、そして、この労働の価格は時間賃銀の場合のように 労働力の日価値/与えられた時間数の労働日 という分数によってではなく、生産者の作業能力によって規定されるかに見える。

 この仮象を信ずる確信は、さしあたり、この労賃の両形態は同時に同じ事業部門でも並存するという事実によって、すでにひどく震撼されねばならぬであろう。」(青木書店版、長谷部文雄訳、861頁。——下線は原文では傍点。以下同じ)

 最後のほう。

 「あるいはまた、労働者が、彼に支払われるのは彼の生産物であって彼の労働力ではないかの如き個数賃銀の仮象を本当だと思い、したがって、商品の販売価格の引下げが照応しないような賃銀引下げには反抗するからである。」(同、871頁)

 これを読めば、わが御用学者・笹山登美子の言辞は巫女の一つ覚えである、ということがよくわかる。

 「民族や民族的対立は、非存在ではなく、仮象実在(シャイン)として存在しているのだ」という論述が、それである。

 ドイツ語のシャイン(Schein)を「仮象実在」と訳すのだ、ということが、巫女の一つ覚えなのである。

 マルクスが上の展開において言うシャイン、それの訳語である日本語の「仮象」を「仮象実在」という語でもって置き換えることはできない。「この仮象実在を信ずる確信」と表現しても、「個数賃銀の仮象実在を本当だと思い」と表現しても、このように表現した者は、「個数賃銀」という概念を実在化している、ということがたちどころに明らかになるからである。すなわち、こう表現した者は、「個数賃銀」という概念を客観的な実在そのものとみなしているということになるからである。もっとも、スターリニストと同様な平板な頭になっている中央官僚とその御用学者は、そのようには感じないのかもしれないが。

 それどころではない。

 たとえ「仮象」という語を使ったとしても、「民族や民族的対立という・この仮象を信ずる確信」とか「民族や民族対立の仮象を本当だと思い」とかというように論じたのでは、「民族」や「民族的対立」という・現実にかんする自分たちの把握を理論的に基礎づける、というわが御用学者の意図に反して、「民族」や「民族的対立」という把握は、仮象にとらわれた理論化であり、誤謬である、ということを、自称していることになるのである。なぜなら、このように表現するならば、この表現は、「民族」や「民族的対立」という把握は、信ずる確信であってはならないもの・本当だと思ってはならないものである、ということを意味するからである。もちろん、こう言ったからと言って、「民族」や「民族的対立」という把握は、仮象にとらわれた理論化である、というようには言えない。というのは、「民族は仮象である」とか「民族的対立は仮象である」とかとは言えないからであり、中央官僚がそのように把握するそれ独自のイデオロギー的および主体的根拠をえぐりださなければならないからである。

 こんなことになってしまうのは、マルクスが「仮象」という概念を使うばあいには、「かに見える」とか「かの如き」とかという論述をうけてそうしているのだ、ということを、わが御用学者が論理的につかみとっていないことにもとづくのである。

 このことは、水の入ったコップにお箸を突き刺しときに、われわれの目には、お箸が曲がっているかのように見える、ということを考えれば、よくわかる。光の屈折率が水と空気とで違うことにもとづいて、観察者であるわれわれの目にはそう見えるのである。われわれの網膜にそう映るのである。このことを物質的基礎として、われわれは、「お箸が曲がって見える」と意識するのである。こういう特殊な現象を仮象と呼ぶのである。これは、現象の一形態なのである。これは、錯覚とか幻影とかとは異なるである。上のことを、「水の入ったコップにお箸を突き刺すとお箸は曲がる」というように論じるならば、これは仮象にとらわれた理論化となるのである。

 わが御用学者が、日本語の「仮象実在」という用語をふりまわし、これにしがみつくのは、概念実在という哲学上の問題それ自体において、彼女は、物質的なものを規定する概念と、概念によって規定される物質的なものとを区別することができず、概念を実在化する誤謬におちいっていること、根本的には物質的現実を把握する自分がいないことにもとづくのである。

 

 

 

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