「革マル派」中央官僚の御用学者・笹山登美子のまやかしをよりいっそう鮮明にするために、本ブログに11月29日に掲載した「「民族は非存在ではなく仮象実在である」と語るのは唯物主義丸出し」という見出しの文章に次の一文を追加する。

 

 笹山登美子論文の筆者は、みずからが、民族ないし民族的対立は仮象実在をなすと規定するのであるかぎり、マルクスが労働力の価値の労働の価格への転形を論証したのと同様に、階級対立という本質的矛盾が・どのような現実的な諸条件のもとで・どのようにして民族ないし民族的対立として現象するのか、ということを論証する理論的責務を負う。わが理論家は、この理論的責務をまっとうしたらどうだろうか。

 

 この一文を挿入することによって、そのくだり全体は次のようになる。

 

 わが御用学者は、われわれが物質的なものを規定する概念と、このように規定されるところの物質的なものとを区別することができないのである。彼女は、頭のまわし方としてはスターリニストと同じなのである。

 「民族ないし民族的対立は、非存在なのではなく、仮象実在として存在する」というように論じることそれ自体が、唯物主義なのである。

 黒田寛一は、労働力の価値の労働の価格への転形にかんするマルクスの解明と連関して、「労働の価値は非存在であるが、労働の価格は仮象(仮象実在)をなす」というように説明したのであった。わが御用学者は、この説明のなかの「仮象実在」という規定を絶対化しているのである。私もまた上のように言ってきたのであったが、今日的に考えるならば、これは誤りである。「仮象実在」という訳語、したがってこの語で表される概念は誤謬である、といわなければならないからである。ここは、「労働の価値というのはブルジョア的観念なのであり、労働の価格は仮象をなす」、としなければならない。賃金は労働力の価値の貨幣的表現であり、本質的には前払いなのであるが、現実的には労働が実現された後で支払われることに規定されて、労働力の価値は労働の価格として現象する、この労働の価格は仮象にほかならない、ということである。

 笹山登美子論文の筆者は、みずからが、民族ないし民族的対立は仮象実在をなすと規定するのであるかぎり、マルクスが労働力の価値の労働の価格への転形を論証したのと同様に、階級対立という本質的矛盾が・どのような現実的な諸条件のもとで・どのようにして民族ないし民族的対立として現象するのか、ということを論証する理論的責務を負う。わが理論家は、この理論的責務をまっとうしたらどうだろうか。

 経済学をかじったことがあるわが御用学者が、概念規定とそのように概念的に規定される物質的なものとを区別することができない平板な頭で、おぼえた哲学的カテゴリーをあやつったのでは、馬脚をあらわすだけなのであり、自分の哲学的思惟の底の浅さをさらけだすのが関の山なのである。

 

 

 

 われわれの基本文書と英文を私のホームページに掲載しています。見てください。メインページの右上のメニューのところの「基本文書」「ENGLISH」をそれぞれクリックすると出てきます。

 また、創造ブックス発行の本については、その全文のPDFファイルを順次ホームページに掲載しています。読んでください。

 

 北井信弘・創造ブックスwebsite:    https://n-kitai6.webnode.jp

 北井信弘・創造ブックス ホームページ:https://n-kitai8.webnode.jp

 

 私のメールアドレスは、nbkitai@yahoo.co.jp です。

 自分のおいてある場の現実をかえていくために論議していきましょう。

 私のブログへの感想や、生起している問題についての疑問・考えなどをお寄せください。私に連絡をくださるばあいには、このアドレスにメールを送るようにお願いします。

 私に手紙をくださる方は、本に書いている住所に郵送してください。

 あるいは、メールを送ってくだされば、住所をお伝えします。

 

 革共同革マル派・探究派のブログも見てください。

 「探究派公式ブログ」:

 https://tankyuka.hatenablog.com ででてきます。

 

 松代秀樹・春木良編著『国際主義の貫徹 プロレタリア階級闘争論の開拓』(プラズマ出版)は、全国の丸善・ジュンク堂書店、紀伊國屋書店、書泉グランデ4階(神保町)、模索舎(新宿)など、全国の主要書店で販売中。

 松代秀樹編著『松崎明と黒田寛一、その挫折の深層 ロシアのウクライナ侵略弾劾』など、プラズマ出版発行の本については、プラズマ出版のホームページを見てください。

 プラズマ出版:https://plasmashuppan.webnode.jp