アラブの問題の歴史的根拠

 

 「イスラム国」が台頭した直接の歴史的根拠は、アメリカ帝国主義権力者ブッシュがイラク・フセイン政権を打倒したこの侵略戦争にある。いま悲惨な事態がひきおこされているのは、アメリカ権力者がみずからの新植民地主義政策をイラクに軍事的に貫徹したがゆえなのである。

 フセイン政権が軍事的に倒されることによって、この政権の軍事的および行政的諸機構を担っていた者たちはちりぢりとなった。こうしたかつての支配者たちが、アメリカ帝国主義の侵略に怒ってイスラム原理主義に走った若者たちとその諸勢力を糾合したのである。この連合体が、シリアの内戦につけこんで、シリアとイラクにまたがる地域を軍事的に支配し、民衆から税金をとりたて、「イスラム国」を自称したのである。

 フセイン政権を担っていた者たちは、スンニ派ではありはしたが、世俗主義者であった。イスラムの原理的教義を今日の政治・経済に直接的に貫徹するというのではなく、支配者である自分たちが経済的利益をえることを優先していたのが、彼らであった。カリフ帝国の建設をいま彼らが高々と掲げるのは、アラーに帰依する全世界の若者たちを自分たちのもとにひきつけ、軍事行動と無差別テロの担い手とするためであり、みずからの支配地および軍事的進攻目的地のスンニ派民衆の支持と服従をえるためなのである。

 帝国主義諸国の侵略にたいする闘いのこのゆがみこそが問題なのである。

 権力者が顔をひきつらせて叫んでいるところの、そして巷で流布されているところの、「テロとの戦い」という構図はまやかしなのである。それは、帝国主義諸国家のアラブへの侵略こそが、今日の事態をもたらした悪の根源をなす、ということをおおい隠すためのイデオロギー的煙幕なのである。

 このことは、歴史をさらにさかのぼるならば、鮮明となる。

 パリ同時テロが実行された一一月一三日は、一九一八年に、英仏軍がオスマン・トルコ帝国のイスタンブールを制圧した日であった。帝国主義国イギリス・フランスによるアラブ地域の分割支配が現実的に切り拓かれたその日であったのである。

 アラブ地域の分割支配は、一九一六年のサイクス・ピコ協定において取り決められた。イギリス、フランス、そしてツァーのロシアのあいだで結ばれた、オスマン帝国領の分割を規定した秘密協定がそれである。これらの国々の権力者どもは、アラブの民衆には、アラブ独立国家の樹立を約束して、彼らをオスマン帝国への叛乱にかりたてておいたうえで、この帝国を倒したあかつきには、この約束をふみにじり、この帝国の領土であった地域をこれらの三国が簒奪しそれぞれの支配地とすることを合意し決定したのである。(一九一七年のロシア・プロレタリア革命によって樹立された革命政権が、奪取した文書類のなかから発見したこの秘密協定を暴露した。)

 この悪辣な策謀をおおい隠すために、「アラビアのロレンス」という偶像もまたつくりあげられた。英雄にしたてあげられたイギリスの工作員トーマス・エドワード・ロレンスは、自国権力者の意図を知りながらアラブ民衆の蜂起の先頭にたち、そしてその民衆を裏切った。彼は罪の意識にさいなまれつつ交通事故で死んだ。

 これらの国々の権力者どもは、傲岸にも厚顔無恥にも、ただほくそえんだだけであったであろう。

 現在のシリアの地域は、フランス帝国主義国家が自国の植民地としてこれを支配したのである。

 現在のフランスの権力者は、自国のこうした過去には一切頬かむりして「テロとの戦争」を叫びたて「イスラム国の壊滅」と称して、アラブの民衆に爆弾を打ち下ろし炸裂させ、彼らを虐殺しているのである。

   二〇一五年一二月二一日(『迫りくる破局 蘇らせよ マルクスの魂を』所収)