〔1〕 イスラエル・プロレタリアートへの呼びかけの欠如

 

 

 「革マル派」現指導部は、「イスラエル・ネタニヤフ政権によるガザ空爆・パレスチナ人民虐殺弾劾」を叫び、「全学連がイスラエル大使館に怒りの拳」という闘争報告を掲載した(「解放」最新号=第二六七〇号二〇二一年五月三一日付)

 だが、この記事には、イスラエルのプロレタリアート・人民に決起を呼びかける呼びかけの言葉はまったくない。「イスラエルの労働者・人民よ、わが仲間たちよ、自国政府のガザ空爆を阻止するために決起せよ!」という呼びかけの指針もなければ、「自国政府のガザ空爆に反対してたたかうイスラエルの労働者・人民と連帯してたたかおう」という・日本においてたたかうわれわれの連帯のスローガンもない。

 ここにしめされているものは何であるか。「イスラエルによる」という表現だけではなく、「イスラエル・ネタニヤフ政権による」という言葉をも使っているのだとしても、「革マル派」現指導部は、イスラエルの支配階級と被支配階級の両方をいっしょくたにした・まるごとのイスラエルを、みずからの敵としているのである。

 これは、「革マル派」現指導部のイスラエル・プロレタリアートへの不信をあらわすものである。彼らは、イスラエルのプロレタリアートの力を信じないのだ。彼らは、現代革命の主体たるプロレタリアートの立場にたたないのだ。彼らは、イスラエルのプロレタリアートに、そしてアラブ諸国のプロレタリアートに、だから全世界のプロレタリアートに、プロレタリアートとしての階級的自覚をうながし、彼らを組織し動員する、という展望を投げ捨てているのだ。彼らの内面は、プロレタリアートへの不信で満ち満ちているのである。彼らは、プロレタリア・インターナショナリズムの立場を破棄し、踏みにじっているのである。

 彼ら「革マル派」現指導部は、ハマスの闘いについては一切触れない。沈黙を守っている。その闘いを支持するとも、その闘いには限界があるとも言わない。判断停止におちいっているのであり、判断を回避しているのである。

 ハマスの闘いをプロレタリアートの立場にたって考察しよう。マルクス主義の立場にたって考察しよう。

 ハマスの闘いは、したがってハマスに領導されたパレスチナの労働者階級・人民の闘いは、パレスチナ民族主義とアッラーへの帰依というイスラーム宗教心とにもとづくものとしてゆがめられているのである。

 「革マル派」現指導部は、このことを見る力さえをも喪失し、アラブ諸国の――支配階級と被支配階級の両方を含む――ムスリムたちに依拠し彼らを主観的に尻押しすることだけを考えているのである。

 「革マル派」現指導部には、「パレスチナとアラブの労働者・人民は、パレスチナ・アラブ民族主義とイスラーム宗教心をのりこえてたたかおう!」と呼びかけるプロレタリア的感覚もなければ、「パレスチナ・アラブ民族主義とイスラーム宗教心をのりこえてたたかうパレスチナとアラブの労働者・人民と連帯してたたかおう!」と日本の労働者・学生に訴える、日本の地でたたかう者としてのプロレタリア的連帯心もない。

 「革マル派」現指導部は、アラブの諸民族のブルジョア民族主義に迎合するという被抑圧民族迎合主義と反米民族主義に転落しているのであり、アッラーに帰依するというアラブの――支配階級と被支配階級の両方を含む――人びとのイスラーム宗教心に跪拝し依拠しているのである。

 彼らは、相対立する諸国家にかんして、その対立を、一方の国の支配階級と被支配階級、他方の国の支配階級と被支配階級という四つ組を措定して分析し、両者の被支配階級同士の連帯と団結をかちとるという指針を明らかにする、というこの四つ組の図さえをも忘れ去っているのである。いや、そのように考えるというプロレタリアートの立場それ自身を、彼らは投げ捨て踏みにじっているのである。

 全学連の学生諸君!

 「革マル派」の下部組織成員諸君!

 このような指導部から決別しよう!

                           二〇二一年五月二七日

 

 

 〔2〕 「パレスチナ独立国家樹立」はプロレタリアートの課題なのか

 

 

 「革マル派」現指導部は、パレスチナ人民の課題として「パレスチナ独立国家樹立」を掲げる(「解放」第二六七〇号)。

 もしもその地が帝国主義国家の植民地であるとするならば、その植民地の労働者・人民の「民族独立」は、プロレタリア世界革命の一環としての・植民地からの解放のプロレタリア革命の過渡的要求をなす。

 だが、パレスチナは、イスラエル・ブルジョアジー独裁国家の植民地でもなければ、アメリカ帝国主義国家の植民地でもない。中東では、イスラエル国家と、パレスチナ自治政府およびアラブの諸国家とが、国家的に外的に対立しているのである。これらの諸国家はすべてブルジョア国家であり、パレスチナ自治政府もまたブルジョア政府であり、国際法上国家として認められていないだけのことである。

 このパレスチナ自治政府が、国際法上、独立国家として承認されたとしても、パレスチナ自治政府が独立国家の政府となるだけであって、イスラエル国家とアラブの諸国家との対立・抗争の何の解決にもならない。

 中東におけるこの国家的対立を解決するためには、イスラエルのプロレタリアート、パレスチナをふくむアラブ諸国のプロレタリアート、そしてアメリカ・日本・ヨーロッパ諸国・中国・ロシアなどなどのプロレタリアートが国際的に団結し、国際的に連帯してたたかい、中東のそれぞれの国のプロレタリアートが自国のブルジョア国家権力を打倒し、プロレタリアート独裁権力をうちたてなければならない。イスラエルのプロレタリアートとアラブ諸国のプロレタリアートは同じ仲間なのであり、対立することはない。中東におけるプロレタリア諸国家は、団結し、統一的意志を形成することができるのである。

 これが、プロレタリア世界革命の立場にたっての・中東における国家的対立のプロレタリア的解決の展望である。これが、プロレタリア・インターナショナリズムの立場にたっての・全世界の革命的プロレタリアートの指針である。

 イスラエル国家とアラブの諸国家の国家的対立の問題は、革命の問題として、われわれはうけとめなければならない。プロレタリア世界革命の展望を考えることを回避したうえで、それから自分の目をおおい隠したうえで、イスラエル国家とアラブの諸国家の対立の問題を考察することはできないのである。

 「パレスチナ独立国家樹立」を叫ぶ「革マル派」現指導部は、現状の国家的対立をそのままにし肯定したうえでしか頭をまわすことができないのであり、プロレタリア世界革命の展望は、彼らの思惟と心のなかにはまったくないのである。彼らにとっては、その展望は、開けるべからずという紙の張られた玉手箱のなかに入れられているのである。

 彼らはプロレタリア世界革命の立場とプロレタリア・インターナショナリズムの立場を投げ捨てたのであり、それを足蹴にし踏みにじったのである。

 全学連の学生諸君!

 「革マル派」の下部組織成員諸君!

 全世界のプロレタリアートと無縁になった指導部を打倒しよう!

                           二〇二一年五月二八日

 

 

 〔3〕 アメリカ案と同水準のパレスチナ問題解決案

 

 

 「革マル派」現指導部の提起する「パレスチナ独立国家樹立」は、アメリカのバイデン政権・および・パレスチナ自治政府の中軸をなすファタハが主張するところの「二国家共存」案、すなわちイスラエル国家とパレスチナ国家とが平和的に共存するという案とどこが違うのだろうか。「革マル派」現指導部の言う「パレスチナ独立国家」が「樹立」されるならば、このパレスチナ独立国家と現存のイスラエル国家とが併存することになるのであり、この解決策はアメリカ案と基本的には同じなのである。

 もしも違うと言うのであるならば、どこが違うのかを展開してほしいものである。

 もちろん、その解決策はアメリカ案と違うところがある。「革マル派」現指導部のその解決策は、彼らがそれを、プロレタリア革命の過渡的要求として位置づけているところが、アメリカ案と異なるのである。しかし、これは、内実が同じものを、その位置づけを変えて、すなわちそれの意味付与を変えて、あたかも別のものと見せかけているだけのことではないだろうか。

 プロレタリア革命と言うけれども、何プロレタリア革命なのだろうか。すなわち、どこのプロレタリア革命なのだろうか。もしもパレスチナ・プロレタリア革命である、というのであるならば、パレスチナのプロレタリアートはみずからを階級として組織し、現存するブルジョア政府たるパレスチナ自治政府を打倒し、階級として組織されたプロレタリアートたるみずからを国家権力へと高めなければならない。プロレタリア国家とも、ブルジョア国家とも、その階級的性格が定かではないパレスチナ独立国家なるものを、パレスチナのプロレタリアートがめざすという余地は何もない。

 もしも、「革マル派」現指導部の言うところの、樹立されるべき「パレスチナ独立国家」がブルジョア国家であるとするならば、そのようなものをめざすかぎり、パレスチナのプロレタリアートは、ブルジョア民族主義に転落し、みずからをプロレタリア階級として組織することはできず、プロレタリア革命を永久に実現することはできない。そのようなパレスチナ問題の解決策は、アメリカの「二国家共存」案と同じなのである。

 「パレスチナ独立国家樹立」策をもって、「革マル派」現指導部は、ハマスを支持しそのもとに結集するパレスチナ人民をオルグできる、と考えているのであろうか。ハマスは、イスラエル国家を認めず、ユダヤ人を、パレスチナ人が居住していた地域から追い出せ、と要求しているのだからである。「革マル派」現指導部の案は、パレスチナ人民からはねつけられてしまうのである。

 パレスチナ人民がブルジョア民族主義の立場にたつかぎり、ユダヤ人が第二次大戦以後に米英の帝国主義諸国に支えられてこの地に侵入してきたのだから出て行け、と要求することになる。

 ユダヤ人がブルジョア民族主義の立場にたつかぎり、俺たちはもっとずっと前に追い出され、各地でいためつけられてきたのだ、この地にもどって建国するのは当然だ、領土をもっと広げるのだ、と主張することになる。

 この対立は解決不能である。

 ところが、「革マル派」現指導部は、ブルジョア民族主義の立場にたつと同時にアッラーに帰依しているパレスチナの人びとに依存し、彼らをみずからの主観のうちで尻押ししているのである。

 これは、かつての四トロ(変質し腐敗した第四インター系トロツキスト)が提唱したところの「植民地革命無条件擁護」を、植民地ではない地の人びとに向かって叫ぶようなものである。

 「革マル派」現指導部は、イスラエルのプロレタリアートにむかっても、パレスチナをふくむアラブ諸国のプロレタリアートにむかっても、ブルジョア民族主義と宗教心を克服し、みずからをプロレタリアートとして階級的に組織して、自国のブルジョア国家権力を打倒せよ、われわれは国際的に連帯するぞ、と呼びかけることはない。

 「革マル派」現指導部は、プロレタリア世界革命の立場とプロレタリア・インターナショナリズムの立場を、投げ捨て足蹴にし踏みにじっているのである。そうであるにもかかわらず、彼らがこのような立場に自分たちがたっていると主観的には思いこんでいるのは、自分たちの過去の闘いの幻影を、古き良き時代の栄光として、自分の外側のタンスの奥にしまいこんでいるからなのであり、あそこにはあるのだ、と自己を慰撫しているからなのである。

 全学連の学生諸君!

 「革マル派」の下部組織成員諸君!

 このように変質し腐敗した指導部から決裂し、わが探究派とともに反スターリン主義運動を再創造しよう!

                           二〇二一年五月二八日