黒田寛一は、『日本の反スターリン主義運動 2』において、みずからが『組織論序説』で追求したところのものを次のようにとらえかえす。

 「二〇世紀現代のかかる事態を根底からくつがえすためには、社会民主主義者やスターリニストの諸政党によってその自己解放がおしとどめられている労働者階級への、その「外部」に存在する「職業革命家集団」としての党による働きかけにふまえつつも、同時にこの党そのものをまさに「前衛=革命的プロレタリア」の党として、つまり社共両党から完全に分離し独立した革命的労働者党として創造することが絶対的な条件である。」(黒田寛一『日本の反スターリン主義運動 2』こぶし書房、1968年刊、225頁)

 そのうえで、「組織論序説」において「前衛組織」という規定を使っていることについて次のように反省している。

 「さらに(ハ)「前衛組織」そのものの規定にも関係していること。前衛党が「前衛組織の政治的結集体」であると規定されていることの根底には、一方では前衛党になお結集していない、あるいは政治的に結集されていない種々の前衛組織(=革命的プロレタリアの組織、たとえばわが同盟が指導している学習会やフラクション、ある一定の党派に所属していない戦闘的あるいは革命的プロレタリア、「反社民・反スタ」のアナルコ・サンジカリストその他)が存在していることの確認が、他方ではプロレタリアートの独裁国家の死滅(政治の根絶)とともに前衛党もまた死滅するのだけれども、しかしプロレタリアート独裁の実体的=組織的基礎としてのソビエトあるいはコミューンとその先頭にたってイニシアティブを発揮すべき前衛的労働者組織は自己止揚的にせよ存続するということの認識が、よこたわっているのである。この後者にかかわる問題は、ソビエト組織論として(階級・党・ソビエトの相互関係の追求として)独立的に追求されなければならないのであるが、これへの橋渡しのいみをこめて「前衛組織」というあいまいな概念がことさらに設定されたのであろう。ところで、前者にかんする問題は、当然にも、「外部=内部」という形態において創造される前衛党組織のその時々の労働運動への組織的とりくみにおける、いいかえればわれわれの組織戦術の大衆運動場面(あるいは諸党派のあいだのイデオロギー的および組織的闘いがくりひろげられている場面)への貫徹における、組織活動の実体的構造として解明されなければならないところのものである。」(230~231頁)

 私はこの部分を1968年にはじめて読んだとき、「えっ、「前衛組織」とは「前衛党組織」のことじゃなかったの。そうすると、KKはなんでこんなことを考えたんだろう?」と思ったのであった。「なんで?」と私が思ったのは、「自分が組織をつくっているんだから、つくっているその組織に概念的規定をあたえる、となるはずなのに(なぜ、アナルコ・サンジカリストの組織などをひっくるめて規定するのか)」と感じたからであった。

 いま、黒田が晩年にはプロレタリアートを信頼できなくなったこと、そして、革マル派組織建設において、ついに党細胞をつくりだすことはなく、実質上革命的フラクションがそれにとってかわったこと、こうしたことを私は考えていて、「前衛組織」にかんする論述が思い起こされてきたのである。

 今日的に考えると、黒田がなぜこのように考えたのかがわからないのである。自分がなぜこのように考えたのか、ということを黒田はほりさげていない、と感じられるのである。

 黒田は、革共同(当初は「トロツキスト連盟」という名称)の結成当初から、太田竜と対決し、前衛党の労働者組織としてRMG(革命的マルクス主義者グループ)と名づけた組織を創造していたのであった。松崎明はこれにくわわり倉川篤という組織名をつけた。そうすると、黒田にとっては、この組織が、自分が倉川らとともにつくりだしている組織なのであり、黒田は、この組織を、学習会やフラクションや、ましてやアナルコ・サンジカリストの組織とは画然と区別するかたちで感覚するのではないのか、と私は思うのである。

 ところが、黒田は、この組織とその他の労働者諸組織とをくくるかたちで、すなわちそれらの諸組織が個々の区別性をもちながらも同一性にあるものとして、「前衛組織」という概念的規定をつくりだしたのである。これはいったいどういうことなのか、と私は思うのである。黒田は、この両者をその同一性において「前衛組織」と規定したうえで、「前衛組織」と規定された・これらの諸組織を、それらの「外部」にある「指導部」をふくめて「政治的結集体」をなしている「前衛組織」と、政治的に結集していない「前衛組織」とを区別した、ということなのである。

 そうすると、このように規定したということは、黒田は前衛党組織においては山本勝彦として実存しているのであるけれども、山本勝彦は、自分が倉川篤らの労働者同志のなかにいるものとしては感じていないのではないか、そのなかにはいず、その「外部」の「指導部」のなかにいるものとして感覚しているのではないか、という気が私にはするのである。

 これでは、前衛党は「前衛組織」の「政治的結集体」であり、その「前衛組織」は革命的プロレタリアによって構成される、としているとしても、「職業革命家集団」としての「指導部」はこの「前衛組織」の外部に存在するのであり、自分はこの「指導部」のなかにいる、ということになってしまうのである。

 たとえ、反省の「(ロ)」として、「革命的ケルンが「内部」に実存しながらも同時に「外部」の指導部とともに、まさに「外部」に前衛党組織を形態的に確立するための組織的闘いを実現する、という党組織づくりそのものの構造(指導部⇆ケルン)が追求されていないということである。」(230頁)ということが明らかにされたとしても、あくまでも「指導部」は、今日の労働運動の内にあって同時に外にあるとされる「革命的ケルン」の外側に位置づけられているのである。すなわち、山本勝彦である自分は前衛党組織指導部の一員であると同時に、革命的ケルンを創造した主体として、この革命的ケルンの一員である倉川篤とともに、この革命的ケルンを形態的にも実体的にも確立するために組織的闘いをくりひろげるのだ、ということ、この意味においては、自分もまた、倉川篤らの革命的ケルのメンバーたちとともに、今日の労働運動の内部に、まさに今日のプロレタリア階級闘争の内部に実存しているのだ、というこの実体的構造が明らかにされていないのである。今日の労働運動とは、今日のプロレタリア階級闘争のことなのだ、ということを考えるならば、上のことは明らかであろう。

 黒田のこの反省と解明は、労働運動の外部に存在する「職業革命家集団」としての前衛党が戦術をうちだして階級を動かす、というレーニンの考え方を、この「職業革命家集団」を前衛党そのものではなく「前衛党の指導部」とするかたちで踏襲したうえで、労働運動の内にあると同時に外にある「革命的ケルン」がその「指導部」のもとにある「下部組織」として前衛党を構成するのだ、とするというかたちでそのレーニン的党組織論の克服をはかったものである、といわなければならない。あくまでも、自分は「革命的ケルン」の外にいる、ということになるのである。

 このように考察してくることをとおして、私は、「外部」「内部」という考え方そのものを破棄したほうがいいのではないか、という気がしてきた。プロレタリア前衛党がプロレタリア階級闘争の外部に実存する、とするのは、おかしげだ、という気がするのである。

 この「外部」「内部」という論理は、われわれ前衛党の成員が労働組合に所属しているばあいに、われわれ主体は、前衛党の成員であると同時に、労働組合の一員である、という論理に(自分の職場に労働組合がないばあいには、われわれ主体は、前衛党の成員であると同時に、職場では一労働者である、ということになる)、すなわち、われわれ主体の・そのおいてある場に規定された・規定性の転換の論理に止揚された、と考えるのがいいのではないだろうか。

 

 

 

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