黒田寛一の『実践と場所 第二巻』は次のような叙述につらぬかれている。

 「このような社会的場所の地域的・風土的な特殊性において、階級的疎外にたたきこまれながらも営々と生産し生活しつづけてきた人びと、時代的に変化し段階的に発展してきた生産様式に決定されながらも、世代から世代へと受けつがれ変容してきた生活様式(暮らし方)とこれにもとづいて創出された地域文化をひきついできた人びと。——たとえ彼らが階級支配のもとにおかれ、特定の階級国家のもとに「国民」として網こまれ、近代ブルジョア民族という規定をうけとるのだとしても、彼らは同時に本質的には、支配される階級と支配する階級とに基本的に分かたれるのである。特殊的社会において生き働き生活する人間のこの階級性には、しかし、約一万年も前から地域的に形成されはじめたエスニック集団に固有なエスニシティと、風土的特殊性を帯び徐々に時代的に変容をこうむってきたそれが、そしてブルジョア的民族性が、つらぬかれているのである。それだけでなく、ネグロイド・モンゴロイド・コーカソイドという人種上の違いが、これらに重なりあう。」(208頁)

 この展開の特質は次の点にある。

 「彼らは同時に本質的には、支配される階級と支配する階級とに基本的に分かたれるのである」として、階級的分裂を確認したうえで、その後に、「特殊的社会において生き働き生活する人間のこの階級性には、しかし、約一万年も前から地域的に形成されはじめたエスニック集団に固有なエスニシティと、風土的特殊性を帯び徐々に時代的に変容をこうむってきたそれが、そしてブルジョア的民族性が、つらぬかれているのである」と黒田は書き、後者の文の途中につっこんでいる「しかし」という接続詞をもって、前者の論述の内容を後者の論述の内容へとひっくり返してしまうのである。ここに「しかし」という語が位置しているかぎり、その前の、階級と階級とに分かたれるということよりも、その後の、この階級性には「エスニシティ」「風土的特殊性」「ブルジョア的民族性」がつらぬかれているということを、筆者は重要視し押しだしているのだ、ということを、この文章は意味するからである。

 このような文章表現上のあやを駆使して、黒田は、「約一万年も前の」無階級社会から階級社会への転換をあいまいにし、この両者をくくったものを、地域的に形成され風土的特殊性を帯び時代的に変容をこうむってきたエスニック集団として、階級性を超えた歴史貫通的な存在とみなすのである。

 日本人にかんしては、黒田は次のように説き起こす。

 「約三十万年前からヤポネシアに居住しはじめたと思われる古モンゴロイド系のヤポネシア人が、蛇紋土器文化を創造し日本語をつくりだしたときに、血縁にもとづく氏族共同体ないし親族共同体はエスニック集団になったといえる。」(232頁)「ヤポネシア人が、朝鮮半島をつうじて渡来した寒帯順応型大陸モンゴロイドと混血することをつうじてひらいたのが、弥生土器文化であった。渡来人たちは稲作技術や製鉄技術や漢字文化などをもちこみはじめ、紀元前約四世紀から紀元六世紀にかけての約一千年間に、ヤポネシア人は渡来文化を吸収し、古墳時代を経て日本古代の奴隷制およびその文化を徐々に創造したのだと推定される。」「列島東部(関東地方など)に残っている「前方後方墳」や列島西部に見いだされる「前方後円墳」は、四、五世紀の技術の粋を集めたものといえる。」(245頁)「弥生土器時代・古墳時代を経て、古代奴隷制・中世農奴制・近代資本制というような社会史をつくりあげてきた」(209頁)。

 ここでは、ヤポネシア人というエスニック集団なるものが、階級を超えた歴史貫通的な存在とされているのである。

 ここで「古代奴隷制・中世農奴制・近代資本制」という規定は、スターリンの五段階発展史観をアテハメたものといえるのであるが、黒田は、ヤポネシアのエスニック集団の出発点をなすとみなす蛇紋土器時代を原始共同体ないし原始共産制と規定しない。何とも規定しないのである。これは、どうも、弥生土器時代と古墳時代、とりわけ古墳時代にかんしてその社会形態を規定しないためではないか、と私には思えるのである。

 「前方後方墳」や「前方後円墳」を「技術の粋を集めたもの」などと言うのは、古墳へのものすごい賛辞である。黒田は、エジプトのピラミッドにかんして「技術の粋を集めたもの」と言うのであろうか。

 今日では古墳と呼ばれるこんな巨大なものをつくるのだから、この時代には、社会は支配階級と被支配階級に分裂していた、といえる。しかし、黒田は、この階級的分裂については語らない。

 この時代にはすでに大和朝廷が成立していたのである。天皇と呼ばれることとなった専制君主の一族とこれに仕える諸豪族、神を祭る者どもなどが支配階級をなしていたといえる。そして彼らによって収奪される隷属農民(あるいは他の仕事をする者もふくめて一般的に表現すれば隷属民)が被支配階級をなしていたといえる。前者の天皇を長とする者どもが、後者の隷属農民を使って古墳をつくったのである。私は、このことを言わないでは、「技術の粋を集めたもの」などとは言えない。

 この時代には、このように大きな土木事業をやったのであり、この時代の生産様式をアジア的生産様式と呼ぶことができる。

 一般的に言うならば、人類の誕生とともに、人類が住みついた地球上のあらゆる地域で、原始共産制的生産様式をとる原始共同体がうみだされたのである。この原始共同体は、太平洋の島や極地などの・他と隔絶された地域を除いて、すべての地域で、時期的差はあれ、またその形態はさまざまであれ、アジア的生産様式をとる社会に転化したのであり、階級社会へと疎外されたのである。(「アジア的」という語は、最初に研究されたその対象の地域をさすにすぎないのであり、その生産様式は世界のあらゆる地域で生みだされたのである。)ギリシアといえども(ローマについてもそうだと思うけれども、私はローマについては個別的研究をやっていない)、原始共産制の社会から奴隷制の社会へと転化したのではない。この地域には、古代エジプトと重なる時代に、アジア的生産様式をとる諸社会が成立していたのであり、このアジア的専制の国家が崩壊したのちに、この地に奴隷制の社会が生みだされたのである。奴隷制生産様式を支配的な生産様式とする社会が生みだされたのは、世界でギリシアとローマだけである。ブルジョア国家が成立したそれぞれの地域に、スターリンの五段階発展史観をアテハメて、奴隷制と解釈されていた社会は、ほぼすべて、アジア的生産様式をとる社会だ、といってよい。

 原始共産制の社会が階級社会へと疎外されたときには、原始共同体の内部に支配する者と支配される者とが生みだされ、これが階級となった、ということではない。ある共同体が他のいくつもの共同体を制圧し支配したのであり、前者の構成員が支配階級となり、後者の構成員が被支配階級となったのである。このばあいに、前者の者どもは専制君主とそれにつながる種族として、後者の諸共同体にたいして、小さな共同体というその形態を残したままでその諸成員をその共同体に繋縛(けいばく)させ、彼らの剰余労働を収奪したのであり、支配された者たちは共同体の「偶有的属性」(マルクス)となり、この共同体は被支配階級の者からなる共同体へと疎外されたのである。そして専制君主およびその種族とこれが支配する小さな諸共同体とからなる大きな共同体が、アジア的専制国家を形成したのである。

 マルクスは次のように書いている。

 「たいていのアジア的根本形態におけるように、すべてのこれらの小共同体の上に立つ包括的統一体が、上位の所有者または唯一の所有者としてあらわれ、したがって、現実の諸共同体はただ世襲的な占有者としてのみあらわれる、というばあいである。統一体は現実の所有者であり、共同体的所有の現実の前提であるのだから——この統一体そのものが、多数の現実の特殊な諸共同体のうえに、一つの特殊者としてあらわれうるのである。そして、そのばあい個人は事実上無所有である。いいかえれば、所有——すなわち、彼に属する諸条件としての、客体的諸条件としての、労働および再生産の自然的諸条件にたいする個人の関係、非有機的自然として存する彼の主体性の現身——は、個人にとっては、総統一体——それは多数の共同体の父としての専制君主において実現されている——から特殊な共同体を媒介として個人に移譲されることを通じて、媒介されたものとしてあらわれる。したがって、剰余生産物——といっても労働による現実的占取の結果として合法的に規定されるそれ——は、おのずからこの最高の統一体に属する。」(マルクス『資本制生産に先行する諸形態』岡在次郎訳、青木文庫、10~11頁——下線は、原文では傍点)

 私は、マルクスのこの論述をおのれのものとし、マルクス以降の研究を検討したことにふまえて、原始共同体がどのようにして疎外されアジア的専制国家が成立したのか、というように、いま展開したのである。

 また、私は、大和朝廷によって支配され収奪された小共同体、その諸成員を隷属農民と呼んだのである。

 このように考察してきたことを基礎とするならば、黒田が、次のように論じて「社会的に共通的な価値意識性」というようなものを設定するのは、ヤポネシア人のエスニシティないし日本民族のメンタリティといったものを、階級および階級性を超えるものとして基礎づけるためである、ということがわかる。

 「()(ねん)に、規範にのっとった行為をしたり、規範に反したり規範から逸脱したりした行為をするようになるのは、日常生活経験や実践的体験をつうじて人間存在の内に社会的に共通的な価値意識性がつくりだされているからなのである。この意味において、共通的な価値意識性とは、内面化された社会的規範であるといえる。」(205頁)

 「もろもろの人間実践をつうじて歴史的に創られるとともに・逆にこれを制約し規定することになる社会的諸規範は、そこにおいて生産的=「人―間」的実践がおこなわれる社会的場所の地域的特殊性を、あるいはその特殊的風土性を刻印される。」(207頁)

 もしもこのことを、人間社会の本質論のレベルにおいて、すなわち人間社会の本質形態にかんして論じるのだとするならば、「社会的場所の地域的特殊性」とか「特殊的風土性」とかというものを捨象し、「社会的に共通的な価値意識性」ではなく、共同体ないし共同社会の自覚的一員としての人間の価値意識そのものを論じるのでなければならない。

 黒田は、ここでは、このような人間社会の本質形態にかんして論じているのではなく、私のこの文章の冒頭に引用したように、「階級的疎外にたたきこまれながらも営々と生産し生活つづけてきた人びと」(208頁)について論じているのである。

 だが、そうであるかぎり、黒田の論述は誤謬である。

 階級的疎外にたたきこまれている人びとには、彼らに共通的なものとしての、「日常生活経験や実践的体験をつうじて人間存在の内に」つくりだされている「社会的に共通的な価値意識性」などというものは存在しない。そのようなものが存在すると考えるのは幻想である。

 原初的なものとして、アジア的生産様式をとる社会を考えよう。支配階級たる専制君主・官僚・神官などは、神とその化身たる王の名において、隷属農民たちに彼らが生産した諸生産物を国家の倉庫に収めさせることを、おのれの価値意識としたのである。これにたいして、被支配階級たる隷属農民たちは、神とその化身たる王をあがめて、自分たちが生産した諸生産物を国家に貢納するのが自分たちの定めだ、という価値意識をもつことを強制されたのである。エジプトの隷属民はピラミッドをつくることを、日本の隷属民は前方後円墳をつくることを、自分が神と一体化することであると感じて、その仕事に熱烈に邁進したのである。これが、彼らの価値意識だったのである。

 専制君主・官僚・神官どもと隷属民たちとでは、経験し体験した日常生活そのものが異なるのである。前者は、神の声を聞き、計画し記帳して、隷属民たちに生産と労働を割り当て、諸生産物を収めさせ・土木作業に動員する、という日常生活を送ったのであり、後者は、神に命じられたものと信じて、生産と巨大建造物の構築のための労働に励む、というのが日々の生活だったのである。

 専制君主・官僚・神官どもと隷属民とで異なるこの生活の体験に共通なものを見出し、「共通的な価値意識性とは、内面化された社会的規範である」などというのは、この階級的対立を、専制君主・官僚・神官どもによる隷属民からの剰余労働の収奪と宗教的・政治的支配を、おおい隠すものである。社会的規範そのものが、支配階級の成員と被支配階級の成員とではまったく異なるのであり、前者のそれは、後者から収奪し後者を支配するためのものであり、後者のそれは、前者に屈従し諸生産物と労働をさしだすことを定めとして強制されたものなのである。

 しかも、こうした支配階級と被支配階級とのあいだに、地域的特殊性や特殊的風土性というような共通性が刻印されていたわけではない。いまでは、一定の地域にこの専制国家が成立しているのだとしても、この国家の専制君主・官僚・神官などになっている者どもと、彼らに支配される・いくつもの小共同体の成員をなす隷属民とでは、異なる共同体を形成していたのであり、前者の共同体が後者の諸共同体を制圧したのである。こういうことからして、前者の共同体と後者の諸共同体とでは、また後者の共同体同士でも、暮らし方や習慣や規範は異なったのである。新たに、一定の地域を物質的諸条件として、支配階級に成り上がった者どもが、自分たちによる収奪と支配に適したように、支配する自分たちの規範と自分たちに従わせる者たちの規範をつくりだし、この後者をいくつもの小共同体とその諸成員に強制したのである。このようにして、小共同体の諸成員は、共同体に繋縛された隷属民となったのである。

 黒田の論述には、このような分析はまったくない。黒田の理論展開は、階級的に分析することを回避したものなのである。

 『実践と場所 第二巻』は、階級を超えたエスニック集団ないし日本民族といったものを設定するための、人間の歴史についての超階級的で超歴史的な説明につらぬかれているのである。

 われわれは、若き黒田寛一をよみがえらせるために、『実践と場所 第二巻』を——その『第一巻』とともに——その根底からひっくりかえすのでなければならない。

 

 

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