黒田寛一は、社会形態の発展について、『実践と場所 第一巻』において次のように論じている。

 「このように社会的人間存在の「人―間」的価値意識性が対象的に表現されている文化および「文化財」は、時代性・階級性を体現しながら、しかも変容をうけつつ、後代の階級社会におくられてゆくのである。

 いわゆる文化をこのようなものとして捉えるためには、それゆえに唯物史観(社会弁証法)が前提にされなければならず、この歴史観によって把握内容も規定されてくることになる。原始共産制から「奴隷制・農奴制・資本制」という三大階級社会形態へ、さらに階級なき未来社会へ、というように人間社会史は地域的かつ段階的に発展するものとしてとらえられる。人間種族あるいはエスニック集団が、それにもとづいて発展してきた「共同体」を基本にすえて社会史をとらえるばあいには、原始的・ギリシア=ローマ的・そしてゲルマン的の三類型が剔出されうる。(注意されるべきことは、後二者が階級的に疎外された形態であることが確定されなければならないという点である。このような留保づきの括弧づきの共同体を没階級的にあげつらうのは、ブルジョア社会に現存する家族を「共同体」とみなすことと同断である。)そして、アジアにおいて太古から存在していた専制体制(いわゆる「アジア的専制」)を、ヨーロッパ的奴隷制に似た形態をふくみつつも・時代的にはこれに先立つ生産様式であるとし、この専制がおこなわれた時代の社会的生産を、マルクスは「アジア的生産様式」と規定し、もって、これが「アジア的停滞性」の根拠であると論じたのであった。「物質的=精神的」生産の仕方様式を、つまり生産(=生活)様式を、それぞれの様式が歴史的に繁栄し衰滅した地域に即して把握するばあいには、「アジア的・古代ギリシア=ローマ的・中世ゲルマン的」というように特徴づけることが可能である。」(584~85頁)

 「いうまでもなく、専制主義にもとづくアジア的生産様式は、治山治水とりわけ灌漑・排水を大規模に効率的におこなうために創出された方法であって、ヨーロッパ的形態としての原始共産制と奴隷制との混合形態、あるいは後者の政治経済制度に似た形態であるともいえる。」(585頁)

 だが、アジア的生産様式を「ヨーロッパ的形態としての原始共産制と奴隷制との混合形態」などと規定するのは、アジアを特別な地域とみなし、アジア的生産様式を特別視して、原始共産制の社会から階級社会への転換の区切り目をあいまいにするものである。原始共産制の社会は無階級社会なのであり、奴隷制の社会は階級社会なのであるからして、両者の形態は画然と区別されるのであり、両者の混合形態などというものはありえないのである。

 「三大階級社会形態」として「奴隷制・農奴制・資本制」の三つを挙げるとともに、「共同体」の形態としては「原始的・ギリシア=ローマ的・そしてゲルマン的の三類型」を指摘し、それぞれの生産様式が主要に成立した地域に即して把握したばあいとしては「アジア的・古代ギリシア=ローマ的・中世ゲルマン的」というように論じるというのでは、これを読む者に、意図的に、「原始的」社会と「アジア的」社会とを二重うつしにするように印象づけるかのようである。

 マルクスの「アジア的生産様式」の規定に立脚するかぎり、階級社会形態としては「アジア的専制・奴隷制・農奴制・資本制」の四つを挙げるとともに、「共同体」の形態としては「原始的・アジア的・ギリシア=ローマ的・そしてゲルマン的の四類型」を指摘し、それぞれの生産様式が主要に成立した地域に即して把握したばあいとしては、原始共産制的生産様式およびアジア的生産様式を地球上のあらゆる地域に成立したものとし、それ以外を「古代ギリシア=ローマ的・中世ゲルマン的」としなければならない。

 「アジア的生産様式」という規定にかんしては、マルクスの時代には、この形態はアジアにおけるそれが主要に研究されたことからして、彼が「アジア的」という呼称をあたえたのだ、といわなければならない。マルクスが「資本制生産に先行する諸形態」においてアジア的生産様式にかんしての研究の対象としたのは、イギリスが植民地として支配したインドであったが、当時でも、中国、エジプト、メソポタミアやアメリカ大陸の各地などに存在した同様の社会は知られていたのであった。

 今日では、マヤ・アステカ・インカなどの滅び去った社会の研究がすすんでいるのであるからして、「アジア的生産様式」という呼称は、それが早くに発見され研究された地域をさすものとしなければならないのである。

 一九五〇年代に書かれた『社会観の探求』であるならば、階級社会の諸形態を「奴隷制・農奴制・資本制」という三大形態とするのは当然であるとしても、ギリシアにおいて、奴隷制の社会の以前に、ミケーネ社会などの、古代エジプト社会と同様のアジア的生産様式をとる社会が存在していた、ということが明らかにされ研究された一九六〇年代以降には、階級社会の諸形態を「アジア的専制・奴隷制・農奴制・資本制」という四大形態としなければならないのである。アジア的生産様式をとる社会においては、貨幣や商品は存在せず、専制国家の官僚が記帳によって生産と分配を指揮し管理していたのであり、王と官僚と神官などの支配階級によって収奪されていたのは、売買されるところの奴隷ではなく隷属農民だったのである。

 マルクスはアジア的生産様式をヨーロッパ的奴隷制に似た形態(ないしそれをふくむもの)と捉えたわけではない。そのようにみなしたのはスターリンであって、スターリンはそのようにみなして、マルクスの言うアジア的生産様式を抹殺し、それをギリシア=ローマ的奴隷制のなかにふくませて、かの五段階発展史観を定式化したのである。

 また、マルクスは、アジア的生産様式を「アジア的停滞性」の根拠であると論じたのではない。「アジア的停滞性」ということを主張したのはマルクス以前の論者たちなのであり、マルクスの言うアジア的生産様式を「アジア的停滞性」の根拠であると論じたのは、マルクスよりもずっと後のスターリン主義学者やブルジョア学者たちなのである。そう論じた学者たちは、アジア的生産様式そのものと、ヨーロッパにおいて封建制が成立した後にそれの影響をうけて中国などでうみだされたところの、アジア的生産様式が封建制的に変化した形態とを一緒くたにしていたのである。

 日本における社会の諸形態の発展にかんして、「古代奴隷制(律令制)、中世農奴制(荘園・公領体制)、そして三百年にわたる江戸時代、さらに明治維新以降の急速な「近代化」の時代、こうした歴史の歩み」(464頁)というように捉えるのは、アジア的生産様式を抹殺したスターリンの五段階発展史観をアテハメたものだ、といわなければならない。

 「原始古代=大和王朝時代」(586頁)と言ったのでは、黒田は、大和王朝時代を、「原始共産制と奴隷制の混合形態」と捉えているのか、と思えてしまうのである。天皇が君臨する大和王朝時代の日本の社会には、原始共産制的要素ないし痕跡は微塵もない。それは、専制君主の支配するところのアジア的生産様式の日本的形態の社会なのである。

 黒田が「アジアにおいて太古から存在していた専制体制」というときの「太古から」ということについては、立ち止まって考察しなけなければならない。三十万年前とか何万年前とかをさして、黒田は「太古」と呼ぶからである。三十万年前には専制体制は存在せず、ホモサピエンスさえもが誕生していず、当時生存していた人類種は原人なのである。何万年か前にも専制体制は存在せず、ホモサピエンスの原始共同体が現存していたのである。紀元前五〇〇〇年ぐらいに中国の長江流域や黄河流域に成立したのが、アジア的生産様式をとる専制体制だ、といいうるであろう(研究の進展によってもっとさかのぼるかもしれない)。

 アジア的生産様式をとる専制体制の成立によって、それまでの原始共同体という形態での原始共産制の無階級社会は、階級社会に転換したのである。この区切り=結節点を明確におさえなければならない。階級社会の諸形態のなかからアジア的生産様式をとる専制体制の社会を放逐するとともに、アジア的生産様式を「ヨーロッパ的形態としての原始共産制と奴隷制の混合形態」などと規定するのは、この区切り=結節点をあいまいにするものである。それは、アジアという地域的特殊性の名のもとに、無階級社会と階級社会とを混然一体化させ、連続化させるものである。

 (アジア的生産様式にかんしては、『危機 現代へのマルクス主義の貫徹』のなかの「アジア的生産様式論序説」の諸論文を参照してください。)

 

 

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