一〇 蘇った幼少の時の教育で培われた情感

 

 

 高知聰は言った。

 「戦前の子どもはみんな軍国少年だった」、と。

 黒田寛一は言った。

 「私はそうではなかった。父親から、日本は必ずアメリカに負ける、と聞かされていて無思想だった。私は敗戦を自然現象のように受けとった」、と。

 だが、はたして、学校で軍国主義教育を受けた幼少の黒田は、軍国少年ではなかった、と言えるのだろうか。

 『実践と場所 第一巻』で黒田は次のように回想している。

 「もしも祈ることによって運が開かれるとするならば、夥しい戦死者も戦災者もでないはずではないか。戦争をはじめたうえで「武運長久」などと祈ってみてもはじまらない。なぜ戦争をしたのか。「八紘一宇」のために、「大東亜共栄圏」のために、「あらひとがみ天皇」のために、ということを、小学生時代から教えこまれてきたのであるが、子供には何のことやら、さっぱりわからなかった。

 「戦意高揚」と称して、出征軍人の歓送のために、町の小学校の約一千名の全校生徒が動員されもした。大国魂神社で神主が「お祓い」をして、「(けがれ)」を清め、「祝詞(のりと)」をあげ、柏手をうつ、というような儀式の後に、高等小学生十名ほどからなる大太鼓・小太鼓・竹笛などの鼓笛隊が奏でるところの、「天にかわりて不義を撃つ、忠勇無双のわが兵は……」のリズムにのって行進する出征兵士を、道の両側に並んだ小学生が見送る。

 他方、「武運つたなく」戦死をとげた戦没兵士を迎えるさいにも、小学生が動員された。このばあいの行進は、厳かに静々と哀悼の念をもっておこなわれた。欅の葉がかすかに揺れる静けさのなかを、ショパンの葬送行進曲がもの悲しげに響きわたるにすぎないしめやかさであった。——「武運長久」を祈っても、戦死者や戦病死者は次々にでる。むしろ「戦死」ということをまだ何も分からない子供たちに教えこむために、生徒たちを葬送にも動員したのであろう。なんとなく厳粛な気持が子供たちに湧きあがるようにするためであったのであろう。軍隊はなぜあるのか、ということもまったく分からずに、「南京陥落」「保定陥落」の提燈行列に、眠たいのを我慢しながら小学生は動員されもした。……人生の運不運ではなく、「武運長久」とか「武運つたなく」とかということが、小学生の頭にたたきこまれたのであった。

 「店子(たなこ)が大家と喧嘩すれば、店子が負けるに決まっている。日本は必ずアメリカに負ける。……」という父親の口癖が非国民的言辞であるということについて分からないままに、落語によく出てくる「大家と店子」についての民衆の知恵のようなものが、小学生であった私の大脳新皮質に刷りこまれてしまった。こんにち風にいえば、父親の言葉は「サブリミナル効果」として五十年後にも働いているというわけなのである。

 こうして大東亜戦争の敗北を「自然現象のように」私は受けとったのである。」(202~203頁)

 この文章を書いていた老齢の黒田の脳裏には、父親の言葉だけではなく、大太鼓・小太鼓・竹笛などの鼓笛隊が奏でるリズムと、ショパンの葬送行進曲のもの悲しげな響きが、小学生であった自分のその時の気持ちと情感そのままに、鮮やかによみがえっていたのではないだろうか。

 何十年も経て鮮やかによみがえるほどに、小学生であった黒田に、感情と情緒を揺さぶる当時の軍国主義教育が、たたきこまれ刷りこまれたのではないだろうか。

 中国への侵略と第二次世界大戦を大東亜戦争として、その敗北を自然現象のように受けとったことをそのままにしておいたのでは、教師たちや軍人教官から幼少の自分にたたきこまれ刷りこまれたものをその根底からくつがえす発条がでてこないのではないだろうか。戦時中に自分が受けた教育とその教育を受けた自分自身を省みて、鼓笛隊の奏でるリズムとショパンのもの悲しげな響きが、軍人教官や教師への怒りと自己への嫌悪をもって、身を切られる痛恨の思いとともに、自分の内面の耳によみがえり響きわたる、というのでなければならないのではないだろうか。こういうようなかたちで、小学生の時のおのれからの断絶をかちとることが必要なのではないだろうか。

 (「ナショナリズム論ノート」はこの10回で区切りとする。ナショナリズムについてはまた論じるかもしれない。)

 

 

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