先日書いた小朝の圓朝襲名辞退の話。

 

泰葉の結婚は政略結婚だったのか?(小朝の圓朝襲名辞退の考察)

 

それについて調べていたら、興味深い記事を見つけました。

 

なぜ林家正蔵は、三遊亭好の助の林家九蔵襲名に待ったをかけたのか

 

昨年3月に起きた林家九蔵襲名問題についての考察記事です。

 

落語家の名前と言うのは、個人の物ではない。一門の物であり、もっと言えば落語界全体のものである。

 

確かにそういう捉え方で扱われていると思います。だからこそ、襲名に際して過去も色々な問題が起きているのです。

 

この記事の筆者は、林家九蔵の名前は林家が管理するものであるから、林家の現責任者である林家正蔵から筋論からの異論がでるのは当然であると結論づけています。

 

確かに一理ある考えだと思いますが、私はやはりそうは思えません。昨年3月に書いた記事からそう考えは変わっていません。

 

海老名家の横車が、一落語家のその後の人生を左右して良い物か? 追記

 

林家正蔵は確かに林家の止め名です。正蔵が林家を代表するといえるでしょう。

 

が、その林家の範囲が問題であると思います。

 

林家自体はまず関東と関西に分かれています。当然正蔵は関西の林家には影響力はありません。

 

では、関東の林家は一枚岩でしょうか?

 

そもそも九代目林家正蔵の祖父七代目林家正蔵は

 

 柳家三平→七代目柳家小三治→七代目林家正蔵

 

と名前を変え、林家を名乗ることになりました。この経緯については先のブログ記事にも書いていますが、自身が襲名騒動に巻き込まれて、名前が空いている林家正蔵を名乗ることになりました。

 

が、初代林家三平が落語家になって間もなく、七代目正蔵が亡くなったため、正蔵の名前は八代目正蔵(後の林家彦六)が継ぐこととなります。

 

そう考えると、関東の林家も、現状では

 

・初代三平系譜の林家(九代目正蔵、二代目三平)

・林家彦六系譜の林家(林家木久扇)

 

の二系統に分かれていると考えた方がすっきりするように思います。

 

ちなみに、三遊亭好楽は、彦六亡き後、五代目圓楽の元に移籍して三遊亭を名乗っていますが、元は彦六門下であり、今回問題となった「林家九蔵」を名乗っていました。

 

九蔵の名付け親は彦六であり、二代目九蔵は宮崎県のアマチュア落語家が好楽公認の元、宮崎県内だけでの使用を認められて、名乗っていました。

 

つまり、筋論から言っても、今までの経緯から言っても、九代目林家正蔵(=海老名家)が待ったをかけるのは、無理があるように私は思います。(現に二代目九蔵の時は異論が出ていませんでした。)

 

まあ、この話については、あちこちが動き回った結果、落ち着いた話なので、もう蒸し返されることはないと思います。

 

好楽師匠が林家九蔵を名乗らせようと考えたのは、後々木久扇師匠の口添えを得て、彼を圓楽一門から落語協会へ移籍させるための布石という可能性もあるのかなと、私は思いました。

 

圓楽一門の問題は定席小屋に出られないことです。現圓楽が歌丸師匠に働きかけて落語芸術協会への移籍を企図しましたが、頓挫しました。

 

同じように、好楽が笑点繋がりで木久扇を頼ったとしても不思議ではありません。

 

まあ、このように、落語家の世界というのは、他の芸人の世界同様にドロドロしたものなのかもしれません。

 

そう考えると、小朝も、泰葉が言うようには、簡単に圓朝の名前を継ごうとは中々思えないというのも納得できます。

 

まあ、両方とも「朝」の名前は入っていますが、それだけではね、、、