TBSラジオの「TOKYO POD 許可局」で、泰葉についてちょろっと話題が出ていたようで、その件を調べる過程で、泰葉と小朝の離婚後に表題のような話が泰葉から出てきたということがあったようなので、少し調べてみました。

 

さて、このタイトルに出てくる圓朝とは、落語好きならば誰でも知っている大名跡、初代三遊亭圓朝のことです。この人は幕末から明治時代に活躍した落語家で、落語中興の祖と呼ばれる凄い方です。多くの噺を作ったことでも有名であり、例えば桂歌丸師匠が晩年に演じていた「真景累ケ淵」も圓朝作です。

 

この名跡は預かり名跡となっており、生前に襲名した人はいません。(二代目は襲名直前に死去したため、幻の二代目と呼ばれています。)

 

さて、この大きな名前。泰葉の元夫、小朝に襲名の話があったという話が離婚後に出てきました。

 

1996年に圓朝の名前を預かっている藤浦家の藤浦敦氏(映画監督)が小朝と対談した際、「あなたがこれからの落語界のリーダーになりなさいよ」と小朝に勧めています。

 

そして、泰葉が週刊文春2008年5月22日号で、藤浦から小朝に圓朝襲名の話が実際にあったが、小朝本人がそれを固辞したと公表しました。(これは離婚後の話です。)

 

で、色々とネットを調べていくと、確かに状況証拠というものは出てきますね。

 

例えば、小朝が中心に2003年から行った六人の会。メンバーは

 

・春風亭小朝(落語協会)

・笑福亭鶴瓶(上方落語協会)

・九代目林家正蔵(2005年に襲名、それまでは林家こぶ平)(落語協会)

・春風亭昇太(落語芸術協会)

・立川志の輔(立川流)

・柳家花緑(落語協会)

 

の六人です。

 

東京POD許可局はブログで

 

・鶴瓶→笑福亭松鶴

・こぶ平→林家正蔵(実現)

・花緑→柳家小さん

 

となれば、落語界の最重要人物を全て押さえることになり、この会で落語界総揚げの体制は整っていると書いています。

(つけ加えれば、六人の会には、五代目三遊亭圓楽も関りがあったりしています。)

 

この会は林家正蔵、二代目林家三平襲名でも積極的に協力をしています。

 

これだけ見れば、襲名に向けて着々と準備を進めているようにも見えます。

 

が、正蔵襲名時の独断専行が落語協会で疎まれ、小朝は2006年に落語協会理事を引退することになります。

 

又、六人の会も「銀座大落語祭」が2009年から「宮崎大落語祭」に場所と名前が変わって行われ、そして、一度の開催で終わってしまい、現在は目立った活動は行われていません。この変更の際には六人の会の中でも色々あったようです。

 

そういった点を踏まえると、仮に小朝に襲名の野心があったとしても、簡単には行かない状況にあると言えるかもしれません。

 

さて、ここで出てくるのがやはり前妻泰葉(=海老名家)との関係です。

 

確かに、小朝が泰葉と結婚した理由は、三平もしくは正蔵の名前欲しさであった可能性は高いと言えるでしょう。

 

小朝と泰葉が結婚した当時、海老名家は初代三平を失い、一門存続の危機でした。海老名家にしてみれば、小朝を後ろ盾にして、こぶ平を三平にしたいという意図があったかもしれません。(当時次男二代目三平はまだ学生。落語家を目指す前の段階でした。)

 

一方小朝にしてみれば、自身の師匠を失っている手前、落語界で確実に上に上がっていく為には、名跡を手に入れる必要がありました。

 

その点で両者の利害は一致していたといえるかもしれません。

 

しかし、落語家いっ平が誕生し、こぶ平と合わせて二人で海老名家の持っている名跡と有名な三平の名前を独占しようと海老名家が考えたため、小朝と海老名家において断絶が発生、そして泰葉と小朝が離婚することになる。

それでは泰葉はまるっきり犠牲になっただけになる。だからこそ小朝には圓朝に襲名してほしい。

 

端的に言えば、泰葉の離婚後の文春での主張はそのような内容だったと言えます。

 

状況だけを見れば確かにそうです。が、2009年頃であればそういう見立てもできたのでしょうが、あれからほぼ10年が経った現在、どうにもそれが全て正しいのかという疑問を抱かずにはいられません。

 

確かに小朝には権力欲があったのかもしれません。あちこちで散見される話です。が、どこまでが本当なのかは考える必要があるでしょう。

 

彼は36人抜きで真打ちになりました。これは異例の出世でした。落語家の世界は年功序列で嫉妬深い世界です。小朝に対する中傷は割り引いて考える必要もあるかもしれません。

 

又、圓朝襲名については、泰葉がそう主張しているだけで、預かり名を管理している先から具体的な話がでている訳ではありません。泰葉の話は割り引いて考える必要がある。2019年時点の我々はどうしてもそう判断してしまいます(今までの経緯がありますからね。)

 

又、小朝が正蔵の名前を狙っていたとしたら、こぶ平、いっ平の襲名にあそこまで尽力した理由は何なんでしょうか?圓朝襲名の下地慣らしにしては力を入れ過ぎていないでしょうか?

 

私は、小朝にも結婚当初には名前を継ぎたいという願望もあったのだろうが、そこまでは強くなかったし、泰葉と海老名家に辟易したというのが意外と真実のような気がします。

 

二人の襲名は海老名家との縁切りにつもりで尽力したという考えは成り立たないでしょうか?

 

と、思うのが慰謝料一億五千万円です。この破格の慰謝料は手切れ金と見た方が何となく納得できます。

 

この件は、色々と考察する必要がある気もするので、又色々調べたいと思います。