1、2の続きになります。

 

海老名家の横車が、一落語家のその後の人生を左右して良い物か? その1

 

海老名家の横車が、一落語家のその後の人生を左右して良い物か? その2

 

前記事について訂正があります。

 

まず、その1の一覧表内で、小朝師匠の所属が間違っていました。正しくは落語協会所属です。

 

その2の相関図の中で、好楽師匠と五代目圓楽師匠の関係→が間違っていました。点線が正解です。

 

両方とも修正致しました。ご指摘ありがとうございます。

 

・・・急いで作るといけませんね。こういうミスがある。・・・

 

 

さて、今回は、ちょっと思い出話。

 

平成の世が明けた頃、TBSの土曜深夜に、三宅裕司さんが司会で、「イカすバンド天国(通称イカ天)」という番組がありました。

その後の引き続き番組で、第三部で「ヨタロー」という番組がありました。

 

この番組、当時の各団体の若手落語家が出演してチームを組み、大喜利やコントで得点を競うという番組でした。

 

司会は松尾貴史。審査員になぎら健壱、ヨネスケ等がいました。

 

出演チームは四つ。

 

・芸協ルネッサンス(落語芸術協会所属若手)

・落協エシャレッツ(落語協会所属若手)

・円楽ヤングバンブーズ(円楽一門会所属若手)

・立川ボーイズ(立川流所属若手)

 

芸協ルネッサンスには、春風亭昇太師匠がおり、立川ボーイズには立川談春師匠、立川志らく師匠がいました。

 

たった一年の放送でしたが、結構楽しんでみていました。

 

当時は落語界冬の時代。

寄席のお客さんがどんどん減って、落語界全体が冷え切っている、今の落語ブームからは考えられない時代でした。

 

そういう時代背景もあったのでしょうね。こうして所属団体の違う若手が、テレビで一緒に活躍できる場ができたのは。

 

今、可能なんでしょうかね?

 

親しい間柄で、所属を超えて、大掛かりな落語界をやることは結構増えてきたと思います。

 

博多天神落語界とかそうですね。

 

 

ただ、若手がこの番組のように、自由に活躍できるTVの場というのは、今、地上波ではないですよね?

 

笑点は、若手とは言えない、大御所主体の番組です。

 

BSや専門チャンネルを探せばあるのかもしれませんが、誰もが気軽に見られる場ではありませんね。

 

 

今、落語ブームだと言いながらも、若手の名前をしっかりと世に売り出す場を作り出さなければ、又、昭和末期から平成最初頃の冬の時代が到来するのではないでしょうか?

 

もちろん、本業の落語の腕があってこその話ですが、結局のところ、名の世間に知れた落語家というのは、そのほとんどが、ラジオやTVで名前を売って、世間に知られるようになったのです。

 

常設の寄席なんて、東京にしかないんです。名古屋は大須だけ。関西も落語メインの常設寄席は最近できたばかり。

 

伝統も大事です。ただ、そこに凝り固まっていれば、この芸は、日本の一地方主体の伝統芸能と化してしまうかもしれません。

 

そこに、起こった今回の襲名騒動。

 

未だに、悪しき伝統にしがみついて議論をしているようにしか、私には思えません。

 

 

名前は大事なものです。しかし、それがあるからと言って、全てが良くなるわけでもなければ、返って、それが原因で身を亡ぼすことも多々あるのです。

 

芸人というのは、自己主張の塊。だからこそ、お互いに相手を立てることによって、上手くいくのです。

 

歌丸師匠と談志師匠・五代目圓楽師匠の関係がいい例でしょう。

 

歌丸師匠は1951年入門。

談志師匠は1952年入門。

圓楽師匠は1955年入門。

 

本来なら、歌丸師匠が身分は上でした。しかし、一度師匠を破門になり、1961年に再度復帰したため、二人の下になることになりました。

 

だから、歌丸師匠は二人を立てた。談志師匠とは笑点の件で世話になったこともあったでしょう。圓楽師匠とは、友と呼び合う仲でした。

 

そして、二人も歌丸師匠を立てた。

 

だから、この三人は仲違いしなかったんです。

 

 

海老名家にはもう一度よく考えてもらいたい。

 

落語の中心は人情です。人情っていうものが、どういうものかを・・・