海を渡ればー悲願のオセアニア 第7話ー | ちょこっと、つぶやいてよろしいでしょうか。

ちょこっと、つぶやいてよろしいでしょうか。

海外生活28年、現地でのオモロ苦労話や、時々する旅話をつぶやいています。

1月中旬、素晴らしいとしか言えない最高の夏!真っ最中のニュージーランドです。

 

祝 海外生活25周年

 

を勝手に記念しまして、これまでの道のりをお送りしております(^O^)/

 

弱くて海外生活は無理だと言われていた私の、

語学力もスキルもない私の、

海外移住物語です。

 

初回からはこちら↓をご覧ください。

 

 

ウルルの旅から戻り、7か月の何も掴めなかったケアンズガイド生活も残り3日。

 

すでに仕事は辞めているので家で荷物の整理をしていました。

もう必要のない資料やらをどんどん捨てていきます。

 

するど、社内でぶっちぎりのイケメンが突然訪ねてきました。

住所、どこで知ったんや💛

 

とりあえず上がってもらいましたが、たわいもない世間話がぎこちなく続いています。

 

なんや、告白かいな。

もしそうなればお受けしたい気持ちもありましたが、その頃私は3つも年をサバ読んでいたので思った以上の姉さん女房になってしまいます。

 

そんな余計な心配をぶち破るように

 

「うちの会社で観光ビザで働いている人知ってる?」

 

しかも「他に」って、他って、私の他に?アナタもそうなの?

と頭を張り巡らせましたが、「そんな人いるんですか?」と渾身の演技で乗り切りました。

 

会社の先輩が里帰りしてケアンズの入国審査で捕まった後すぐ閉鎖された事務所。

きっと私だけではなかったのかもしれません。

 

なぜ私が就労ビザなしなのを知り、そんな事を言いに来たのかは不明ですが、たぶん心配してくれていたのは「お給料」

エージェントさんからガイド会社にはお給料が支払われています、私の手元に来ないだけです。

じゃあ、そのお金どこに行く??

 

「ビザをぶら下げて働かせ、あっさり切る」

 

海外ではよくある話です。

 

なので「ビザを出せない」と言われた時、めっさ交渉して少々のお金を貰いました。

最初の3か月は私が言い出しましたが、残りの4か月は会社が言った事です。

一か月分くらいの給料でしたけど、それがなかったら日本にも帰れないから。

 

 

海外生活を目指し、移民するその日を夢見て苦しい思いをする人たちは沢山います。

 

生まれた国以外で住むという事は、簡単ではありません。

だけど、

あきらめなければきっといつかどこかの国に辿り着ける。

 

語学力もスキルもない私は、ビザを得る為とにかくなりふり構わず走りつづけなければいけません。

 

 

 

ウルルツアーの夜、仲良くなった日本の子たちと話をしていました。

このツアーが終わったら日本に帰る彼女たち。

またビザを求めて戦いに行く私。

 

「そんなパワフルな生き方できなーい」と言われて気が付きました。

 

私はちょこっと、

強くなったのかもしれない。

 

 

最初は1年くらい海外で、という軽い気持ちでした。

まさかここまでやってくるとは思いもしませんでした。

 

無茶苦茶で悪い事もしてしまったけれど、やらずに後悔するよりやって後悔した方がいい。

そう心に決めて走り続ける事にしました。

 

日本以外の国に住むために、私の戦いはまだ終わらない、終われない、終わらせない。

 

 

 

2003年4月30日、ビザが切れる日の朝、私はオーストラリアを出国しました。

 

舞台はいよいよニュージーランドへ。

 

 

 

出発の朝。

ドラえもん部屋の同居人だったジョンさんとギャリーさんが見送ってくれた。

 

 

つづく。