海を渡ればー怒涛の北米大陸 最終回ー | ちょこっと、つぶやいてよろしいでしょうか。

ちょこっと、つぶやいてよろしいでしょうか。

海外生活28年、現地でのオモロ苦労話や、時々する旅話をつぶやいています。

1月、ニュージーランドは最高の夏真っ盛りっ!

 

祝 海外生活25周年

 

勝手に記念し、今までの道のりをお送りしております(^O^)/

 

弱くて海外生活は無理だと言われていた私の、

語学力もスキルもない私の、

海外移住物語です。

 

初回からはこちら↓をご覧ください。

 

 

2000年10月、泣いてもあがいても私のカナダ生活は残り1か月を切りました。

96年にワーホリで渡り紆余曲折しながら4年。

 

 

楽しすぎたメキシコ旅からトロントに戻ると、‘愛方‘と呼ぶ親友が日本から遊びにきました。

高校時代に出会ってから、今までこいつ以上の友人を見つけた事がないっ。

 

シェアメイトとゴハン食べたりカラオケに行ったり、ナイアガラから国境を越えてアメリカまで、、、、と4年間のカナダ生活を締めくくる

とびっきりな旅になりました。

 

ナイアガラでは今まで仕事で出会った人々に別れを告げます。

霧の乙女号のエレベーター係だったクリスじいさんはいつも早く乗れるエレベーターを目くばせで教えてくれました。

これだけでツアーの流れが全然違うのです。

ナイアガラオンザレイクにあるアイスクリーム屋の人たち、ココの‘メープルウォルナッツアイス‘に勝てる美味しいアイスには未だに出会っていません。

 

沢山の人たちとハグをし、お別れをしている横で愛方が涙ぐんでいます。

「なんでアンタが泣かないかん?」とチャカしながらもお陰でステキなお別れが出来ました。

カナダ引き上げるってんで大量の荷物を持ち帰ってもらい、感謝しかないっ。

 

ビザに苦しみビザに翻弄されながら続けてきたガイド生活がまもなく終わります。

 

ガイドとして最後の仕事。

それは前年から請け負っている大型修学旅行で、下見から参加し、ツアー総指揮担当者と幾度となくやりとりをし作り上げて来たツアーです。

これを最後のツアーにしようと随分前から決めていました。

このツアーの総指揮者さんは日本里帰りする度に会いに行く、大尊敬する素晴らしい人。

彼のツアーでガイド生活を終えたかったのです。

 

滞りなくツアーも終わり最終日、そして私のガイド最終日。

 

空港に向かう前、ホテルで出発式をし各クラスの代表が各号車ガイドにお礼の手紙と花束をくれます。

こんな風にガイドにスポットを当ててくれるのが、この学校さん、総指揮者さんのスゴイ所。

 

さて出発、、、と思ったら教頭先生がいきなりマイクをとり

私がこのツアーを最後にガイドを辞めカナダを離れる事を全員に話し出したのです。

全生徒さんからのありがとうは、もうアカン。

 

びっくりしている私を総指揮者さんは‘してやったり顏‘で見ています。

 

完全にやられた~(>_<)

 

そのニクイ演出に出発前だというのに涙が止まらなくなってしまいました。

 

バスに乗り込み涙堪えてマイクを握ります。

修学旅行など学生ツアーでの決めセリフ

 

「またいつかどこかの国の空の下で会いましょう」

 

こういった海外留学や修学旅行が海を渡るきっかけになることも多いです。

 

「おー!!」

 

という元気な声が返ってきた所でバスを降り、手続きを済ませ出国口でお見送りすると何人かが戻ってきました。

 

「僕たちを最後のお客さんにしてくれてありがとう」

 

高校生男子(笑)がテレながら求めてきた握手にまた涙。

 

4年間、何度も何度もこの出国口で沢山のひとたちと握手を交わし見送ってきました。

もうここで誰かを見送る事はありません。

トロントの街を案内する事も、ナイアガラの滝の成り立ちを説明する事も、カナダの歴史を語る事も、ないのです。

 

 

10月30日、今年で閉鎖する4年間お世話になったガイド会社の解散会があり、その翌日私はカナダを去りました。

 

見送りに来てくれた後輩たちと空港へ。

 

 

すざましいしぶきを上げながら流れ落ちるナイアガラの滝、雄大な水が作り出す風景。

トロントの高層ビルの谷間、くつろぐ人々の間をリスが駆け回る公園。

ホットドッグスタンドやチャイニーズ屋台からの香ばしい匂い漂う街角。

 

こんな街に、こんな国に溶け込んでいきたいという願いは結局叶いませんでした。

 

だけど、彷徨いながらも必死で、そして心地よく生きていた4年間はかけがえない宝物。

 

 

 

 

この時はまだ知らなかったけれど、この4年は永住権を取るため大いに役に立つ大切な時間になったのです。

人生に無駄な時間など1秒もない、とわかるのはこの6年後(笑)

 

 

最後のトロントピアソン空港。

 

何度も見てきた大きな大きなオレンジ色の朝日に別れを告げ、私は韓国に向かって飛び立ちました。

 

 

まだまだつづくよ(^O^)/