ちょこっと、つぶやいてよろしいでしょうか。

ちょこっと、つぶやいてよろしいでしょうか。

海外生活29年、現地でのオモロ苦労話や、時々する旅話をつぶやいています。

2月上旬、夏はまだまだ続いてる!ニュージーランドです。

 

 

ワタクシゴトですが、今年は、

 

祝!海外生活30周年

 

25周年の時には海外移住までの道のりを振り返ったので、今回はその後にした旅を振り返りたいと思います。

 

海外移住までの道のりはコチラ↓からご覧くださいっ。

 

2017年4月の旅は今までとはひと味もふた味も違う旅になりました。

 

いつものように、ストップオーバーしようとやってきた

 

 

チャンギー空港から、お馴染みair aisaで飛んだ先は、

 

 

 

大好きな国マレーシアの、

 

 

 

ペナン島

(≧∇≦)/

 

 

バス・トイレ付きシングル1泊約2000円。

 

 

1週間滞在していたジョージタウンは、

 

 

とにかく、

 

 

 

見つける度に、

 

 

 

見惚れてしまう

 

 

 

ウォールアートと、

 

 

 

絵画のような景色が溢れる、

 

 

 

世界遺産の町でした。

 

 

 

とにかく素敵なの

ヾ(。>﹏<。)ノ゙✧*。

 

 

 

プラナカンの佇まいにうっとりしちゃう

 

 

 

 

ブルーマンションは見学も宿泊も出来ます。

 

 

マレーシア好きではありますが、実はペナン島には何の興味もありませんでした。

おばちゃんのひとり旅にリゾート地って(笑)とずっと思ってました。

 

ペナン島の暮らしを発信しているhiroさんのブログに出会うまではっ!!

 

私がブログを始めた2012年からのお付き合いだから、本当に感謝ですよね〜。

 

そして、この旅で、やっと、

 

 

 

ご本人と出会った😀

 

滞在中、とにかくhiroさんご夫婦のご厚意にずっとずっと甘えさせて頂きました。

 

 

 

見たかった大好物のナシレマッを作る所。

 

 

 

沢山お寺も見ました。

この時ご主人が放った「スマホ持ってるね〜」の一言は、今でも爆笑😂

 

 

 

普通では行けないどローカルなドライブは本当に楽しかったです。

 

 

 

バターワースに渡るフェリーの中でしたおしゃべりは今でもしっかり心に残っています。

人が海外に出る道のりには、必ず物語がある。

 

 

 

バリプラウで食べたアヤムラクサの味は忘れられない。

 

あまり食の冒険が出来ない私ですが、この旅ではhiroさんご夫婦のお陰で色々なローカル味を楽しむことが出来ました。

 

 

 

夢だった旅先でのアフタヌーンティ。

ひとり旅では出来ないですからね。

 

本当に本当にどれだけ感謝してもしたりないほどの旅をさせてもらいました。

 

お二人の人柄が良すぎて、お別れが辛かった〜。

この数年後には札幌に会いに行っちゃった😆

 

私がブログを始めたのは、現地ガイドの職を失い次の仕事が見つからずクサクサしていた時に当時住んでいたシェアハウスのオーナーの子が勧めてくれたから。

 

そこからコメントで交流したり実際にお会いしたりと、色々な方との繋がりができました。

 

この”つぶやき’を読んでくださる人もいて、コメントを頂くことも!!

 

ネットは凶器にもなるけれど、正しく使えば幸せな気分になれたり旅の可能性がとことん広がる。

 

ブログで繋がったご縁に感謝しながら、私はペナンを後にしました。

 

 

 

 

2017年ペナン旅でした。

 

 

旅の本編はコチラ↓からご覧くださいっ。

 

 

旅シリーズの初回はコチラ↓からどうぞ~。

 

2月上旬、夏ですよっ!ニュージーランドです。

 

ワタクシゴトですが、今年は

 

祝!海外生活30周年

 

25周年の時には海外移住までの道のりを振り返ったので、今回はその後にした旅を振り返りたいと思います。

 

海外移住までの道のりはコチラ↓からご覧くださいっ。

 

 

ホテルのハウスキーピングの仕事にありつき普通の収入を得られるようになった私は、調子こいて翌年も日本里帰りをしました。

もちろん、シンガポール航空のストップオーバー制度を利用した東南アジアバックパッカー風味旅付きです。

 

2015年10月にやってきたのは、

 

 

 

ミャンマー、ヤンゴン

 

ブログで交流のあるayaさんの記事で見てずっと行きたかった場所ですが、NZにはミャンマー大使館がなくビザの取得が日本と郵便でのやり取り。

 

NZの郵便配達は少々怪しいので、行き先の候補に上がりながらもなかなか行けない状態ではありました。

 

が、しかーし!

ミャンマーのビザ取得がオンライン化されたのですっ!!

 

文明〜。

(≧∇≦)/

 

 

代理店のカウンターで、とか、現地に行って宿を決めるという旅の仕方ではなくすべてがコンピューターで完結する便利な時代になりました。

 

旅の宿は今までずっとアゴダで取っています。

 

ドアがカーテンで鍵もないベッドだけのシングルルーム1泊約1800円。

 

まだ入れない地域はあるものの観光への扉を開いたミャンマーは、この頃観光物価が爆上がりしていたようです。

 

翌日、カオスなバスターミナルから向かったのは

 

 

チャイティーヨー(ゴールデンロック)

 

 

落ちそうで落ちない岩。

 

これがっ、これがどうしても見たかったのです。

 

 

日本のトラック。

 

今はどうかわかりませんが、当時はキンプンベースキャンプという場所からトラックの荷台に乗りジェットコースターのように揺さぶられながら崖っぷちを猛スピードで駆け上がる、かなり肝を冷やす行き方でした😂

 

 

バス・トイレ付き、さらにドライヤーや飲み物、朝食まで付いて1泊6300円。

 

ホテルの選択肢がなく、かなり奮発して良いホテルに泊まりました。

 

現地ガイドの仕事を失ったことはショックではあったけれど、普通の収入を得られるようになり旅に余裕が持てるようになったのはホントに良かったと思います。

 

 

翌日戻ってきたヤンゴンでは

 

 

 

チャウッターヂーパヤー、寝仏大好き😀

 

 

 

ブログで見てずっと探していたガイドさんに偶然出会えたシュエダゴォンパヤー。

 

 

 

翌日にはチャウタンの水上寺院にも案内してもらいました。

 

 

 

ayaさんのブログで見たカレー屋さんは格別に美味しかった。

 

 

 

’シンガポールフライドライス’という不思議なネーミングだけど、たまらぬ美味しいさっ!

 

 

そしてヤンゴンでは大切なミッションが。

 

 

1日中、コマ送りのように

 

 

 

街の写真を撮っていました。

 

2003年、NZに来て初めての同居人はミャンマー出身の人でした。

政治的に国を追われ、色々な国への移住に挑戦しやっとNZのパスポートを手にした彼女は、出会って3ヶ月後に先にイギリスに定住していた家族と暮らすためNZを離れました。

 

ミャンマーに行くことをメールすると「ラングーン(ヤンゴンの昔の呼び方)の写真見せてね」

 

彼女が住んでいた大体の住所を聞きその周辺で撮った沢山の写真を送ると、その中の一枚が見事ヒットして彼女たちが暮らしていた家が写っていたのです!

 

彼女からの「arigato」というメッセージを、私はヤンゴンの宿で受け取りました。

 

この時、私が街の中で見ていたパレードのようなものはアウン・サン・スー・チーさんの選挙だったことを、旅を終え里帰りしていた日本のニュースで知りました。

 

もしかしたら彼女がミャンマーに帰る日がくるかもしれない。

 

初めて出会った時「私はビルマ人です」と真っ直ぐな瞳で自己紹介した彼女が故郷に行けたのは私がミャンマーを旅した数年後。

 

彼女が国を追われてから20年以上経っていました。

 

 

 

ミャンマーでは、

 

 

本当に沢山の、

 

 

日本からの支援を

 

 

見る機会があって、私が日本人だと知ると必ずお礼を言ってくれました。

 

チャウッターヂーパヤーに向かうタクシーの中で運転手さんに「ジャパン、メニーメニー、ギブ、サンキュー、サンキュー(日本は沢山ものをくれてありがとう)」と手を合わせながらたどたどしい英語で伝えられた時にはグッとくるものがありました。

 

私は何もしてないのに、日本人なだけなのに。

 

言葉が通じず行けない場所もありましたが、日本とミャンマーとの深い繋がり、日本の素晴らしさを実感して私はミャンマーを離れました。

 

 

やってきたのは、

 

 

4度目のクアラルンプール。

 

 

ベッドのみのシングル使用で1泊約2300円。

 

 

内装のファンキーさが最高です。

 

私がマレーシアを好きな理由に”安宿が素晴らしい”があります。

大きめのラウンジが付いている所が多く、くつろいでいると誰かしらやってきておしゃべりが始まる。

 

 

この時は体調を崩していたので、行こうと思っていたピンクモスクを諦め、

 

 

 

宿で出会った人たちと、ひたすら近所をウロウロ。

 

 

 

行きつけの屋台でバクテー(骨肉茶)を食べるくらいでした。

 

 

この旅では、本当に沢山の人々と触れ合う機会がありました。

 

道に迷っても必ず誰かが助けてくれたし、マーケットでも食堂でも道端ですら声をかけてくれる人が多かった。

 

そして「日本」という言葉に手を合わせて感謝を伝えてくれるのです。

 

ひとり旅をしていたはずなのに、誰かと一緒に旅をしていたように思い出の中には沢山の人たちの笑顔が残っています。

 

この写真を撮った時にいた人と、数カ月後NZで再会を果たした。

 

2015年、ミャンマー旅でした。

 

旅の本編はコチラ↓からご覧くださいっ。

 

 

旅シリーズの初回はコチラ↓からどうぞ〜。

 

2月上旬、夏はまだ続いてる!ニュージーランドです。

 

 

ワタクシゴトですが、今年は

 

祝!海外生活30周年

 

25周年の時には海外移住までの道のりを振り返ったので、今回はその後にした旅を振り返りたいと思います。

 

海外移住までの道のりはコチラ↓からご覧くださいっ。

 

2014年10月、オークランド空港出発ロビーのスモーキングエリアで、私は震える手を抑えながら一服していました。

 

2年半ぶりに帰る日本、もちろん東南アジアバックパッカー風味旅付きです。

これに興奮しなくて、いつ興奮するんですかっっっ!!

 

現地ガイドの仕事を失い、苦しみながらもがきながらやっと仕事が見つかり、旅立つ資金が貯められたのです。

 

仕事探しの経路はコチラ↓からどうぞっ。

 

まさかこんな風に旅立つ日がまた来るとは!!

(≧∇≦)/

 

オークランド空港からまずはシンガポールへ飛び、ストップオーバーをします。

 

ストップオーバーは乗り継ぎ先で24時間以上滞在できる制度で、シンガポール航空はこの時は14日間無料で出来ました。

 

 


東南アジアバックパッカー風味旅ではお馴染みになったAir asiaで到着したのはバンコク。

 

 

 

翌朝、バンコクの北ターミナルから長距離バスに揺られて7時間、やってきたのは、

 

 

 

スコータイ

 

 

ガイドを辞め完全ぷー太郎になった私は、仕事を探しながらいくつかの講座に通っていました。

 

勉強や宿題をやっていた図書館で息抜きにと見ていた旅行雑誌に載っていたスコータイ遺跡、仕事が見つかったら絶対見に行くと決めてました。

 

世の中はすっかりネット予約の時代になっていたので、初めてアゴダで予約した

 

バス・トイレ付き、しかもテレビや冷蔵庫まで!シングル仕様で1泊約1200円。

 

EZハウスは、歴代の安宿の中でもかなり上位にランクインするほどお気に入りになっています。

 

 

 

絶対に見たかったワット・サバーンヒン

 

 

ワット・シーチュムのアチャナ仏は「おそれない者」という意味

 

遺跡好きになるきっかけとなったアユタヤより前の遺跡なのに、しっかり残っていて、

 

 

 

そのどれもが神秘そのもの。

 

 

 

遺跡公園内を自転車で巡るという初めての経験も楽しかった。

 

 

スコータイからバスで1時間ほど行ったカムペーンペット

 

 

英語がほぼ通じず、メニューもタイ語表記のみ。

 

 

 

適当に指差しで頼んだヌードルが美味しかった。

 

カムペーンペットでは、忘れられない素敵な出来事がありました。

 

言葉が通じなさすぎて行きたい場所行きのバスが見つからず、「なら歩いて行こう!」というアホ思考になり、道に迷ってしまったのです。

 

助けを求めた民家の人が日本在住の友人に連絡をしてくれて、

 

「今、日本でとても優しくしてもらっているから日本人のアナタを助けたい」

 

と、バイクで私を送るよう頼んでくれました。

 

 

こうして沢山の優しさで辿り着いたワット・プラケオは、

 

 

 

この旅で一番見たかった景色。

 

今後もこれ以上お気に入りになる写真は撮れないと思います。

 

実は帰りも優しい家族連れのお陰でヒッチハイクのようにしてスコータイまで帰るという、本当に今までで最高に思い出深い旅になりました。

 

 

 

 

バンコクでは大好きなワット・ポーを再訪したり、

 

 

 

思いっきり街歩きをしました。

 

 

でも、この旅では問題が発生していました。

本来ならこの後、シンガポールで日本からやってくる母と落合い一緒に旅するはずでした。

ただ、父が病に倒れキャンセルに。

 

幸い、急な事情はなく母曰く「キャンセル料もったいないで見てこやー」とのことで、私は旅をすることにしたのですが、母が来ないのでシンガポールに行く理由がありません。

 

Air asiaはキャンセル料がバカ高いので一旦予約通りシンガポールには飛び、そこから向かったのは

 

 

 

東南アジアバックパッカー風味旅の原点、マラッカ。

 

7年ぶりっ!

 

私が尊敬する旅の師匠のブログ記事を見て、もう一度行ってみたくなっていた場所です。

 

マラッカ行きは前日に思い立ったので、慌てて宿を取り、長距離バスの乗り場もわからずバスの集合駐車場でドライバーを捕まえボラれて乗るという久しぶりのバックパッカー風味な旅になりました。

 

世界遺産に登録されたマラッカは私が訪れた2007年からかなり変わっていました。

 

 

 

7年前とは別世界

 

 

 

ユニクロ

もう、うそやんっ!

 

初めてマラッカに来た時にときめいた趣は、

 

 

少しだけ、

 

 

 

色褪せていました。

 

 

 

だけど、世界遺産に登録されたことで開発された町を見るのも、

 

 

 

なんだか子供が成長したみたいで、嬉しかったです。

 

 

 

マラッカに来る前バンコクでチャオプラヤー川を見ていた時、

 

 

ふと、旅を続けていつしか逞しくなっていた自分に気づき淋しくなった瞬間がありました。

 

2007年、旅を始めた頃は何を見ても興奮冷めやらぬだったのに、旅を続けて行くうちにその感情は薄れ、なんだか淡々とやりこなすような気持ちになっていたのです。

 

でも行き当たりばったりでマラッカに来たことで、旅の楽しさを再確認できました。

 

旅に出れば、必ず極上の思い出が残るっ。

旅をやりきった後の爽快感は何度味わってもいいっ。

 

だから、旅はやめられない。

 

 

 

 

旅の最後は必ず見るジョホールバル水道。

 

マレーシアからシンガポールへの陸路移動も5回目。

これを見ると旅の終わりを感じます。

 

初めての時のようにワクワクする気持ちで見ることはもうないけれど、世界のあちこちに懐かしい景色が増えていくのも案外良いのかもしれない。

 

 

 

ビビるほど変わっていたマラッカ。

 

2011年、タイとマレーシアの旅でした。

 

旅の本編はコチラ↓からご覧くださいっ。

 

 

旅シリーズの初回はコチラ↓からどうぞ〜。

 

2月上旬、セミの声が聞こえて本格的な夏がやってきたニュージーランドです。

 

私はオークランド中心部から少し離れた治安の雑な地域にあるボーディングハウス(下宿屋)に、国籍もバラバラな老若男女11人で共同生活をしています。

 

過去記事で怒っていた

 

過去記事はコチラ↓からどうぞ〜。

 

 

共同キッチンの蛇口壊れたまま問題。

 

 

やっとやっと

 

 

直りました〜

(≧∇≦)

 

 

が、

( ゚д゚ )クワッ!!

 

 

よく見ると、

 

 

浄水の蛇口、曲がってないか!?

 

根本が、

 

 

取れかけとるやないか〜い

(「・ω・)「ガオー

 

 

水道の蛇口が直るまでに10日間ほどかかり、新しい蛇口に付け替えられたもののまだ水漏れが直ってなかったので再度連絡し、5日後に修理されたら浄水の蛇口が取れかけとなり、現在、まだ、

 

 

絶賛水漏れ中

 

前より激しく水漏れ中

 

 

ドコを修理していったんや!?

 

 

日本以外の国で暮らしていらっしゃる海外在住のみなさま、

 

おつかれさまです。

m(_ _)m

 

 

本日は海外生活を生き抜く心得を伝授。

 

 

1,期待しな〜い

 

どこか壊れる度に思うんですよね〜、いつ直るかなって😂

すぐ直るなんて期待せず、直るまでどうやって過ごそうかを考えます。

 

 

2,諦めるぅ〜

 

待って待って待って、堪忍袋がはち切れそうなくらい待って直してもらうんですけど、直ってないんですよね〜😂😂

もうこのレベルの直しで限界なのかも、これが直ったって言うことなのかもって諦めるんです。

 

 

3,ここは日本ではないので

 

公共交通機関が時間通り動くことはないし、聞く案内はまず間違っているし、丁寧で親切な接客を受けることもないし、10時に集合と言われて行っても誰もいなし、頼んでいたことは忘れた頃に解決したりする。

 

日本に帰った時、フードコートで「席とっておこ」って上着やらハンカチやら置いていく友人たちを見て驚いたんですけど、そんなことしたら

 

荷物も席もないですよーーーーっ!!!

 

恐るべし日本の常識。

 

 

昔、現地ガイドをしていた時、日本のお客様から沢山文句を言われました。

レストランで「頼んだ飲み物が来ない」

ホテルで「壊れた部分を直しに来ない」

 

まあまあまあまあ、

いつか来るから(^_^;)

 

そういった文句を聞く度に「日本って幸せな国なんだな」って思ってました。

そんなことで怒れるなんて、普段どれだけいい生活してんだって思ってました。

 

 

 

そんな安心安全、サービスの行き届いた日本で働く外国人が増えてきましたね。

 

日本のコンビニで外国人の店員さんとおしゃべりをしていた時、奥から日本人の店員さんが「大丈夫ですか?」と出てきてくれたことがありました。

 

ささっと金を払いささっと帰るハズのお客様がずっと外国人の店員さんと話をしてたら心配にもなりますもんね。

 

 

日本だと英語を話す機会がなく忘れちゃうから話したいし、日本に住む外国の方の様子を聞きたいからアカンと思いつつ話し込んでしまう私。

 

久しぶりに母国語でめっさ話をしたいし、自分の国ではレジでお客様と話し込むのも普通のことだからなんとも思わない外国人店員。

 

”問題があったかも”って心配して休憩中なのに出てきてくれた優しく真面目な日本人店員。

 

色んな文化が混ざってとても面白い瞬間でした。

 

 

 

時々レビューで見てしまう「外国人の店員だから、、、」というクレーム。

 

確かに、日本のサービスは群を抜いて素晴らしい。

文句を言いたくなるのもわかります。

 

私だって海外生活30年、心がはち切れるほどブチ切れてきました。

 

だけど、そういう文化の国もあるのだと理解しておくと少しは楽しくなるかもよ。

 

2月上旬、暑っ!28℃くらいでへばっていては日本の方に申し訳ないけれど、暑いもんは暑い!真夏のニュージーランドです。

 

 

ワタクシゴトですが、今年は

 

祝!海外生活30周年

 

25周年の時には海外移住までの道のりを振り返ったので、今回はその後にした旅を振り返りたいと思います。

 

海外移住までの道のりはコチラ↓からご覧くださいっ。

 

本日は番外編。

 

 

2011年2月、カンタベリー地震

2011年3月、東日本大震災

 

ニュージーランドと日本で起きた大きな災害は、人生を変える出来事になりました。

 

2011年5月、日本里帰りを終えNZに戻った後の生活はかなり悲惨で、日本からの観光客が減少した上にお給料もどんどん減らされていくことになりました。

 

基本、毎年の里帰りはしていないのにその翌年2012年にも里帰りしたのは、少しでも生活費を稼く為短期バイトをすることと、もうひとつは日本に永久帰国するかを決める為でした。

 

実際、震災後から日本に引き上げる人は増え、海外に住むようになって一番送別会をした年になったと思います。

 

今まで仲良くしていた仕事仲間が、どんどん帰っていく。

 

自分も一旦日本に帰り、これからの未来を真剣に考える時がきたのではないかと少し長めの日本滞在をしました。

 

叔母が立ち上げた会社を手伝いながら、就職情報誌を見てみたり、自分が帰国した時の事を常に考えながら過ごしていました。

 

でも、ドコを見ても、何を考えても、日本に帰る気が起きません。

かと言って、NZに戻ったところで現地ガイドの仕事を続けていくことは経済的にかなり苦しい。

 

結局、何も決心できないままNZに戻ると所属しているガイド会社から「至急話がしたい」と連絡がありました。

 

私が日本里帰りをしている間すでに会社では話し合いがされていて、ほとんどの人が籍は残したままではありますが、会社を去っていたのです。

 

”観光業界が元のように戻ることは今後5年、10年ないかもしれない。

このまま生活も出来ないようなお給料で耐えていくか、それとも別の仕事を見つけるのか”

 

社長から突きつけられた現実は、薄々気づいてはいました。

 

だけど、1996年に日本を離れてから、カナダ、オーストラリア、そしてニュージーランドと現地ガイドの仕事が好きでここまできた私は認めたくなかった。

 

社長との話を終え家に向かう途中、どうしても運転が出来なくなり車を路肩に停めて思い切り泣きました。

 

一生続けたい天職、現地ガイド。

 

こんなにこの仕事が好きなのに、続けることが難しい。

経済的にもう限界なのは頭では理解しているけれど、心が追いつきません。

 

わかるのは、どれだけ涙を流しても現状は変わらないってことだけです。

 

 

社長との話し合いの2ヶ月後、私は会社に籍も残さずガイド界を去りました。

 

生活保護を申請し、あてのない仕事を探すだけの毎日。

日本にも帰れない旅も出来ない日々は2年半続きました。

 

旅シリーズの初回はコチラ↓からどうぞ〜。