今日が表題の特別展Part1の最終日! 

 

 

この3連休の金曜日の午後と日曜日の午前で、最終の見納めをして来ました。安宅のコレクションや李秉昌(イ・ビョンチャン)だけでなく、本来の東洋陶磁に関連した初見のモノばかりが展示されていて、良い勉強になりました。 

 

Part2はこちら ↓

 

 

前書きを読んでいると、どうも和物が多いかも。。。。 

 

東洋陶磁美術館のホームページを検索していた時、以下のお知らせを見つけちゃいました。

 

 

また、改修工事で休館とは!? 耐震関連だったら致し方ないと思うのですが、何か理解に苦しみます。  

今日は21日、本来なら東寺の弘法さんへ行く筈だったんですが・・・・・

 

最近の弘法さんって内容があまりにショボいって言うか、どちらかと言うとオープンマーケット的になったので行く気になれませんでした。 それと連日の飛び込みや車体異常でJRの遅延も気になりました。 京阪で丹波橋経由、東寺って言う手もありますが、やはり京都まで一本で行きたいのが人情です。

 

と言うことで東寺は第一日曜にして、今日は四天王寺の骨董市へ参陣しました。


以下3枚の写真、骨董市での気になるアングルを撮って見ました。

 

 

 

弘法さんと違って露店の数も多く、画期に満ちていました。東寺に露店を出していた露天商さんもいて、なるほど!って思いました。 

 

馴染みの露天商さんから天目の碗の真贋を見て欲しいと言われて、本物であると確認。ただ海揚がりが残念です。もし発掘だったら私が入手を試みていたと思います。海揚がりは結構、数があるんですよね。しかし状態はかなり良い線でした。

 

京都へ行く電車賃分でランチは、松のやのロースカツ定食(アプリ割で600円)にしました。

 

 

 

今日はサーブされるのに20分待ちでした。値上げで量減のご時世、600円でランチが出来るのはありがたいことです。 以前は500円でしたが、量が減った感は無いです。

 

さて、ランチの後は、前期と後期があるとのことで大阪市立美術館の「妙心寺展」へ再訪しました。 しかし前期と後期の違い分からずガッカリ! と言うことで、妙心寺所蔵の龍泉窯の青磁を見て帰宅しました。


青磁の写真が欲しかったんだが、撮影はダメダメ。図録を買おうと思って青磁のページを見て、あまりに下手な写真でダメダメ。しかも紙質が悪いから経年劣化のスピードは早い。青磁ぐらい、撮影OKにしても良いかと思うんだが! 

 

このタイプの坐像はラタナコーシン様式の代表的な宝冠仏で、王朝が代わったとは言え、ラタナコーシン仏は何処となくアユタヤ仏の面影も見て取れます。

 

以下は、過去に入手したラタナコーシン様式の仏様です。

 

 

 

さて、今回入手したラタナコーシン仏はこちら ↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前述の仏様もですが、埃が凄かったので綺麗に掃除をしたので少し見栄えが良くなりました。iPhoneで撮影すると明るく撮れちゃうので今アップしている写真もキラキラしていますが、実際はもう少し燻んでいます。 

 

実はこの仏様ですが、先の立像と一緒に並んでいて、お顔は鍍金が剥がれ気味ですが台座のデコレーションがあまりに綺麗だったので、衝動買いしちゃいました(笑) でも買って正解、めっちゃ綺麗です。

 

プラワティサートのお店では自主梱包です。プチプチと新聞紙をかき集め、特に宝冠部が折れないよう念入りな梱包をしました。ハンティングしたのが朝で、この後、この重い仏様をエコバックに入れて持ち歩き、最終日と言うこともあって大阪の自宅まで慎重に持ち帰りました。 めちゃめちゃ疲れました!!!!!

 

サイズ 高さ18.0cm   台座幅10.0cm 

 

以下のトラックバックの記事は、ラタナコーシン仏の時代定義の説明になります。

 

富岡八幡宮の骨董市で永年にわたって露店を出してはるプラワーティサートさんから譲ってもらったラタナコーシン朝の2体の仏像うちの1体です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先の記事の4期の定義に当て嵌めると、この立像の仏様は第一期にあたるかと思われます。 プラワーティサートさん曰く、昔、アユータヤへ仕入れのハンティングをしに行った際、この立像の仏様と出会ったのだそうです。

 

サイズ 高さ32.5cm   台座幅7.5cm 

 

 

最近のAIは本当に便利です。但し、質問の仕方で答えが変わるところは、ユーザーのスキルの問われるところかと思われます。 今回、富岡八幡宮の骨董市でラタナ・コーシン朝の仏像を入手しましたので、ラタナ・コーシン朝で作られた仏像の種分け定義をAIを使って確認して見ました。

 

1. 第1期:ラーマ1世~2世「宝冠を戴く王者の姿」 (1782年 - 1824年)

 

 「王権の象徴としての豪華な装飾」

  • 特徴: アユタヤ朝の伝統を引き継ぎ、仏様が「王様の冠」や「肩当て」などの豪華な宝飾品を身につけています。頭に高くて尖った「王冠」を被っているのが目印です。
  • 代表例: ワット・プラケオ(エメラルド寺院)のエメラルド仏。季節ごとに王が着せ替える豪華な黄金の衣裳が、この時代の装飾美を象徴しています。

2. 第2期:ラーマ3世「服に刻まれた花の模様」(1824年 - 1851年)

 

 「平面的な美しさと細密な花紋様」

  • 特徴: 仏様の着ている「服(仏衣)」の表面に、細かな「花柄」や「紋様」が彫り込まれているのが最大の特徴です。
  • 代表例: ワット・ポー(ね釈迦寺院)の巨大な涅槃仏。足の裏には108の瑞祥図が螺鈿(貝殻の装飾)で描かれており、この時代の工芸技術の高さがわかります。

3. 第3期:ラーマ4世「人間のようなリアルな姿」(1851年 - 1868年)

 

「西洋リアリズムと人間への接近」

「モンクット王」として知られるラーマ4世は、仏教の合理化を推進しました。

  • 特徴: 西洋の考えを取り入れ、仏様を「神」ではなく「人間」に近づけました。頭のコブ(肉髻)をなくし、髪も普通の人間のように表現しました。髪の毛がウェーブしており、頭の上が平らで、最も人間らしい顔立ちをしています。
  • 伝統的な「頭頂の隆起(肉髻)」をなくし、「人間らしい髪型と表情」をした写実的な仏像(プラ・サムプッタ・パンニーなど)が登場しました。 
  • 代表例: ワット・ラチャプラディットの御本尊。衣のひだがリアルに表現されており、以前の形式的な仏像とは一線を画します。 

4. 第4期:ラーマ5世以降「しなやかで洗練された美」(1868年 - 現在) 

 

「古典美への回帰と洗練」

 西洋化が進む一方で、タイ独自の伝統的な美しさが見直されました。

  • 特徴: ラーマ5世が「昔のスコータイ時代の仏像こそが最も美しい」と考え、そのスタイルを復活させました。指先が細長く、全身がしなやかなS字の曲線を描いています。私たちが今日「タイの仏様」として思い浮かべる最も洗練された形です。
  • 代表例: ワット・ベンチャマボピット(大理石寺院)の御本尊。スコータイ様式の傑作「プラ・プッタ・チンナラート」を模して造られた、極めて優雅な仏像です。
 
以上から、ハンティングで入手した仏像を次のスレッドでアップしたいと思います。

燃料サーチャージって言う言葉が旅行者に認知された昨今、今回のイランのホルムズ海峡閉鎖、機雷散布から原油が上がる=航空運賃の値上げは容易に想像出来るかと思います。

 

そして現在、日系を除く上記の外航が値上げを発表しています。

悩ましい説明をしていましたが、日系はシンガポールケロシンの相場で上げる要因が無かったとか? まあ、あり得んでしょうね。 永く航空業界に携わって来た経験から6月以降、「マジか?!」って言うぐらい航空券の値段が上がる可能性が大です。

 

と言うことで、ちょっと早いですが、値上げされる前にバンコク行の切符を買っちゃいました。

 

 

12月4日で定年します。その前にリーマン生活を耐え抜いた自分へのご褒美です。とりあえず額縁は整えたので、これから絵を描いて行こうと思います。

 

 

確かに紙に石油は使っていないので紙不足は考え難い。しかしトイレットペーパーを剥き出しでは売れない。ビニール包装は必須であるし、また、トイレットペーパーは独りで歩いて来てくれない。トラック輸送でもってお店、消費者に届けられる。ビニールも輸送も石油が入ります。トイレットペーパーは手作りではありません。機械で作ります。機械はガソリンが無いと動きません。トイレットペーパーが不足するとは、生産、流通が滞ることでそれが尋常ではない状況になることです。

 

トイレットペーパーが無くなるはデマではないと思います。デマって言う人は、もうちょっと頭を使った方が良いかもです。

 

因みにトイレットペーパーに次いで我々の生活が無いと困るのがサランラップです。医療機器、器具、部材も大変なことになり、軽軽に怪我が出来ないようになるでしょうね。

 

まあ、強がらず、やばいと思ったら買い貯めが肝要です。 買い貯めは悪ではありません。生きる知恵です。

 

緑釉酒尊  後漢  1 ― 2 世紀

 

蓋の凸凹は仙人が住む山が表現されていてます。山水画と言うのがありますが、古来、漢民族が好む自然美を表したものでしょうね。お酒の容器ですが副葬品か実用品か分からないにしても、もし実用品だったら、鉛釉を使っていることから、健康被害があったことでしょう。当時の皇帝の短命は鉛の中毒死からかと言う説があります。

 

褐釉走獣文壺  後漢  1 ― 2 世紀

 

鉛釉には褐釉陶器と緑釉陶器があり、最初に褐釉陶器が短期で作陶されその後、緑釉陶器が長く作陶されました。

 

緑釉犬 後漢  1 ― 2 世紀

 

番犬の意味合いで副葬されました。主人を守る忠犬ハチ公と言ったところでしょうか?

 

 

ここから緑釉と言えば、楼閣です!

 

緑釉水榭  後漢  1 ― 2 世紀

 

緑釉楼閣  後漢  1 ― 2 世紀

 

後漢の中でも楼閣は明器の最たるもので、建築関係は当時の漢民族のライフスタイルを知る上では最も貴重な資料となります。家畜との共存が漢民族の農家の在り方だったようです。

 

緑釉鳳凰多枝燈  後漢  1 ― 2 世紀

 

 

崑崙山は伝説上の山で道教の霊山、崑崙山脈はチベット北部から新疆のタクラマカン砂漠南部に位置します。

崑崙山は古来より神話の山で、死後、魂は崑崙山へ向かうと言われており、その時、鳳凰が灯りを共しながら魂を導くとされていました。この燈篭もそう言った意味を込められて作陶されたのでしょう。

 

そして時代は青磁に向かいます。

 

 

青磁人物楼閣壺(神亭) 西晋  3 ― 4 世紀  越州窯

 

殷の時代に植物の灰を使った自然釉が始まり、その時は酸化焼成での粗野な青磁でした。

そして本格的な青磁は後漢の灰釉からスタートし、西晋時代、浙江省の越窯で青磁が完熟期を迎えます。しかし、六朝時代から隋、唐時代に生産が減数されるも、五代十国時代には盛り返すことになります。北宋衰退後、青磁は龍泉窯に取って代わります。

 

青磁羊形水滴  東晋  4 ― 5 世紀  越州窯 

 

青磁崑崙奴燭台  六朝 ― 隋  6 世紀末  越州窯 

 

この蝋燭台、前回も出展されていましたね!? 

 

受付で聞いたのですが、今回を含めて3回に亘って、中国陶磁器の展示をされるとか? 松岡の中国の陶磁器コレクションは、必見の価値があるので、日帰りでもして残り2回の展示を見たいものです。

東京の中国陶磁の展示、そして、東洋陶磁美術館のコレクションを全て拝見した後の、今回の講義でした。

 

 

話は春秋戦国時代に遡り、秦、漢、南北朝時代、隋、唐の時系列で各時代の俑の特徴を習いました。パワーポイントもうまく纏められていて、分かりやすかったです。そして私が江戸、大坂で見て来た俑に対してのResume的な講義にもなりました。

今回、質問時間があれば勇気をふり絞って挙手し質問をしようと思ったのですが、質問時間は無かったので講義終了後、学芸員の方に質問を以下の2点させてもらいました。

 

①   俑の 顔に鉛釉が施釉されないのは何故? 松岡美術館に顔にも施釉されている俑もあるようだが・・・

 

私が思っていた通り、温度が高温の為、鉛釉が溶け出してしまって見苦しくなるからであろうとのこと。その分、加彩で色付けをした方が綺麗であることも説明に付け加えられました。 松岡美術館の俑の顔に鉛釉が施釉されているものがあるが、あれは単色塗りが多いからで流れてもブサイクにはならない為。

 

② 三彩が中国以外に影響を与えたのは日本(奈良三彩)の他に、どんな国に影響を与えたのか?

 

モノは沢山、各国に持たされたかと思うのですが、技術は中国国内に留まった感じであるとのこと。

 

今回の江戸の中国陶磁巡りの締め括りに相応しい学びの多い講義でした。


中之島に来たら少し足を伸ばして老松まで行って見ました。老松でランチとなると私的には衣笠のカツ丼の一択です(笑) 

 

 

私、瓜系の食べ物が全くダメで今日、お漬物が胡瓜だったので下げて貰うようにお願いすると、お新香にしてくれました。こう言うちょっとしたサービスって良いもんです。

 

 

とんかつがホンマ美味い! 本物の豚肉を使っています。 最近、カレー屋さんとか出来てそちらに浮気しようと思うこともあるのですが、やっぱり衣笠ですな!

 

 
食後は馴染みの骨董屋さんに顔を出し品定め。
 
骨董屋さんの後は、ちょっと頭を使って疲れたので、淀屋橋のドトールでコーヒーを飲みながら、今日のブログのアップ準備をしています。

 

 

黄釉馬 隋 6−7世紀
 
この馬俑は唐三彩の発祥となるそうです。
 
これより唐三彩の馬俑、三彩馬になります。時代は唐時代の7−8世紀です。
 

 

 

 

足元のプレートに文様が施されています。連珠対禽文と言う文様ですが、これは西方から伝えられた文様で、当時より西域、シルクロードの通商が成されていた事が分かります。

 

 

 

眉間にマークが施されていますが、これはライオンになります。この三彩馬が見つかると言うことは、高貴な方、軍隊の将軍の墓に三彩俑が葬られた事が推測できます。

 

灰陶加彩胡人駱駝引き 唐時代 7世紀

 

灰陶加彩騎乗駱駝 唐時代 7世紀

 

これらの俑を見て、当時のシルクロードの商隊の雰囲気が伝わってきます。駱駝に乗っている人の傍に水筒が見えますが、きっと当時の商隊の人たちは少しずつ水筒の水を飲みながら喉の渇きを癒したのでしょうね。

 

後漢になると、加彩から次の三彩に変わっていきます。

 

三彩駱駝引き 唐時代 7−8世紀

 

三彩駱駝 唐時代 7−8世紀

 

三彩官人 唐時代 8世紀

 

宮廷に使える役人です。この分官と同じくして武官の俑も一対で焼成されました。

 

加彩武人 唐時代 7世紀

 

今にでも歩き出しそうな俑です。邪気避けに祀られたと言われていますが、墳墓に眠る故人の立場に立って考えれば、みよの世界でも生前の威信を保ちたかったのではないかと思うのです。

 

三彩神王 唐時代 8世紀

 

この時代になると神格化してきます。 それとこの俑、めちゃめちゃ珍しいのです。と言うのは、顔に鉛釉が施釉されています。と言うのは本来は高温で焼成されると鉛釉が溶け流れてしまうので、顔に施釉はしない筈なんです。 この俑は施釉されていて釉薬の流れがありません。後漢になって三彩の技術が進化したと考えられるかと思います。

 

加彩白馬 唐時代 7〜8世紀

 

唐の宮廷では舞馬(馬を踊らせて)で饗宴を盛り上げたそうで、その雰囲気をこの白馬は表しているそうです。これまでの俑の馬と違い武具は備わっていない感じです。寧ろ、人と違って装飾品が踊りに特化している感じがします。

 

ここからは人の三彩です。

 

三彩婦人 唐時代 8世紀

 

藍彩侍女 唐時代 8世紀

 

この時代でコバルトが使われていることは、当時の唐王朝の国際交易が如何に豊かであったかを知るエビデンスになります。

 

加彩婦人 唐時代 8世紀

 

唐の前期と後期では女性の体型美が異なります。前期は腰回りが細いのに対し、後期はぽっちゃり系です。大阪の東洋陶磁美術館の展示にある加彩婦人と加彩宮女俑を見ればその差が良くわかります。

 

三彩騎馬人物 唐時代 7−8世紀

 

三彩商人 唐時代 8世紀

 

鵞鳥(ガチョウ)型の酒壺を抱えた商人。 中国の時代劇でこの壺を持った人が出て来ます。 多分、時代考証で参考にしたんでしょうね?!

 

ここから器になります。

 

 

三彩菱形盃 唐時代 7世紀

 

これ、大阪市立美術館にもありました。

 

 

菱形ではなかったのですが、三彩の色調がとても繊細でした。

 

三彩杯 唐時代 7世紀

 

初期の三彩だけあって初々しい色調です。

 

 

三彩鳳凰文扁壺  唐  7 ― 8 世紀

 

三彩鳳首瓶  唐  7 ― 8 世紀

 

ペルシャの銀器を模したそうで、西の文化の融合が分かるアイテムとのことです。

こう言うアイテムは、回転台に乗せて360度で見たいものです。

 

三彩飛鳥文三足盤 唐 7 ― 8 世紀

 

白いところは蝋抜きをして鉛釉がかからないようにしています。 8世紀の唐三彩は前述にもありましたが、技術の革新で成せる技がたくさんあります。

 

三彩大壺  唐  7 ― 8 世紀

 

この三歳の壷は他と違い、スケール感が違います。 

 

今日、大阪市立美術館で俑についての講義があります。江戸で得た情報のアップデートを試みたいと思います。