タイ政府、海外旅行客に国内線を無料提供へ

タイムアウト東京


我ら外人には朗報ですが、これって独占禁止法、タイは根拠法に抵触しないだろうか? 

 

① タイ人は適用外

② JAL、ANA、その他のタイ以外の航空会社は適用外

 

ある意味、国主導型カルテルかと思われます。

 

平安の蚤の市へ行ってランチをしながら、諸国民芸のTさんのところで見た褐釉の壷が気になっていました。 家内から「値段ありきかな」って言ってくれて、インスタのメッセンジャーと電話で値段についてノッキングすると、私の思っている値段にして下さることになりました。 それと同じくしてバンコクの友人からLINEが入り、以前、諸国民芸のTさんがインスタでアップされていた古代ビーズの写真をその友人に送っていて、そのビーズが欲しいと言う話もあり、平安蚤の市へ戻ることにしました。

 

平安蚤の市へ戻り、お目当ての壷をロックオンしました。それがこちらです。

 

 

美的感覚って人によって違います。この壷を見てチャーミングでないと思うタイのマダム、この茶褐色の釉味と自然の紋様に惹かれる私。次に売れるか否かよりも、感性に従いました。

 

 

 

 

唐津で胴に3本線は見たことが無いと言う、日本古陶磁の見識に明るいプラワティサートさんの見解。

 

 

 

 

 

 

 

底面に銀化が窺えます。 銀化は土壌から揚がった証です。 しかも土壌の成分と陶磁器の成分の奇跡的な出会いが成せる自然のアートです。

 

 

 

 

 

糸切りは和物が専らと思われがちですが、中国、アジアでも糸切りはされていました。 大陸の技術伝承かと思われます。

 

私のパッと見では、タイの15世紀位の褐釉か、クメール褐釉陶かのいずれかかと思ったのですが、置いてあったのは和物が売られているコーナーでした。Tさんからは唐津の金石原窯からと説明を受けました。この状況、悩ましくなるのが人情です。ビーズの購入依頼をして来たバンコクの友人は、以前タイでアジアの古陶磁に関する図録(下の記事を参照)

 

 

 

への協力を求めて来た方で博士号を持っている人ですが、LINEで送った写真を見てもらったところ、彼もクメール陶であろうと見立てました。

 

翌日、セカンドオピニオンとしてこれもバンコクですがアジアの陶磁器の研究に強い大学教授にFacebookのメッセンジャーでこの壷の所以をお聞きすると、タイのブリーラムって言われるところの窯で焼成された壷で13世紀のものと見立てていただきました。特に底面の糸切りが当時の技法にマッチングしているとのことでした。

 

サイズ、 高さ17.3cm    口径15.5cm     底面直径9.5~10cm

 

 

ブリーラムはクメールのアンコール朝が支配していたところで、多くの褐釉の古陶磁器が焼成されていました。

 

 

骨董市を歩いていると、思わぬところに思わぬモノが転がっているモノです。ただ、このご縁はモノに惹かれる潜在的な感覚があるんだろうなぁ〜〜〜って思いました。 骨董は男女間の出会いと同じで、縁は異なもの味なものです。

平安蚤の市の戦果報告です。

 

和物の陶磁器は専門外! コレクションと言うよりは、日用使い的な目線でのハンティングになります。そしてそのセンスで今回は、伊万里と出会いました。

 

素朴な疑問の一つとして「古伊万里と伊万里の違いとは???」 AIによると、

  • 古伊万里:江戸時代に佐賀県有田町とその周辺で製作された骨董価値の高い磁器を指します。 
  • 伊万里:明治時代以降に伊万里市で焼かれた磁器を指します。現在も生産されています。
更にAIによると、
 

古伊万里と伊万里焼を見分けるには、主に以下の3つのポイントがあります。

艶(テカリ)

古伊万里は江戸時代に作られたため、長年の経過で釉薬の質が変化し、柔らかい光沢やくすんだ感じになります。不自然なテカリがあるものや、新しさを感じるものは、古伊万里ではない可能性があります。

表面の傷

古伊万里には、使用や経年による微細な傷が無数に付いています。これらの傷は様々な方向についているのが特徴です。新しく作られた伊万里焼は、焼き上がったばかりのようにつるりとした表面をしています。また、表面にムラがあったり、光沢が失われて色褪せた印象があるものも本物の可能性があります。

歪み

江戸時代の伊万里焼は、薪を使った窯で焼かれており、温度管理が一定でなかったため、器の形に微妙な歪みや揺らぎが生じていることが多いです。現代の技術で作られた伊万里焼は、精密な温度管理が可能で均一な仕上がりになっているため、歪みがほとんどありません。器を水平な場所に置いた際に、縁が完全に整っている場合は偽物の可能性が高いでしょう。


古伊万里と伊万里焼は、どちらも佐賀県の有田町を中心に作られる磁器の総称ですが、製作された時代に違いがあります。古伊万里は、特に江戸時代(主に17世紀~18世紀頃)に作られた歴史の古い伊万里焼を指します。一方、伊万里焼は時代を問わず、有田や周辺地域で生産され、伊万里港から流通してきた磁器全般を指します。明治時代以降に伊万里地区で焼かれた磁器を「伊万里焼」と呼ぶこともあります。

古伊万里は、日本で初めて磁器が作られたとされる有田で約400年前に生まれました。当時、有田で焼かれた磁器が伊万里港から国内外に輸出されていたため、「伊万里焼」と呼ばれるようになりました。その歴史的価値と希少性から、特に江戸時代の古伊万里は骨董品としての価値が高く評価されています。

 

AIが無い時は、自力で本を読んで、もしくはつい最近まではネット検索をして、知りたいものを探求したものです。それがキーになる文言で数時間かかった作業が、5分以内で出来ちゃいます。 これって、絶対に脳が退化します! 

 

これらの説明を見ていると李朝を目利きする時に似ています。 朝鮮時代の作陶家が渡来して来た名残があるのでしょう。

 

さて本題ですが、西宮に骨董店を持つ露天商さんから家内の見立てで2皿を購入しました。




店主曰く、色彩の入った方が伊万里(明治)、Blue&Whiteが古伊万里(江戸後期)なんだそうです。

 

上記の説明で見比べて行くと、なるほどと思わせる差が分かってきます。例えば歪みが顕著です。 机の上で皿を裏返すと、ガタつきを感じるのがBlue&Whiteの方です。 恐らく会社にある定盤で見たら、より顕著に歪みが分かるかと思いました。

 

サイズは色彩の方が直径15.5cm、Blue&Whiteの方が17.3cmです。

 

色彩の皿の方は、松竹梅に鶴・亀の吉祥文が描かれています。

Blue&Whiteは、古伊万里と言えば青海波(せいがいは)のアレンジが描かれています。

 

さてどうしてこの二つのお皿を買おうと思ったか!?









帰阪する前に東寺に寄って、東寺餅、道明寺、わらび餅を買いました。 

どうでしょう、東寺餅、道明寺、わらび餅とマッチングしてませんでしょうか? 日用使い出来る骨董品は、使われてモノが喜んでいるように思えます。

 

今日は有給休暇を取って、家内の実家のお寺さんへのお参りと平安蚤の市へ行って来ました。

 

平日の朝の京都は通勤時間と重なるので渋滞は必至。 6時半に家を出て、若干の渋滞に遭いましたが、平安神宮に8時ごろ到着しました。

 

 
到着してとりあえず一巡しましたが、平安蚤の市は9時ごろからしか露店の開店が整わないことと、早朝とは言え相当な暑さの為、スタバで小休止することにしました。
 

 

今日、スタバのちょっとトリッキーを知りました。スタバって、次のコーヒーを飲む時は190円で飲めるOne More Coffeeって言うサービスがあります。 これ2人で纏めて会計すると1人分しかサービスを受けることが出来ないのです。2人分のサービスを受けようと思ったら、別々に会計をしてレシートを2つにすることが必須です。 今回、会計を纏めてしたが為にレシートは1枚、2人分のコーヒーを支払っていて、1人分のコーヒーしか飲めなかった悲しいお話でした。。。。。 同じコーヒーなら最初にコーヒー代を払って、次のコーヒーをOne More Coffeeで飲む手もありますけど、得てして別々の違ったコーヒーになりがちです。

 

 

 

 

戦果はありました。また、改めてのブログアップをします。

 

この後、北山の家内の実家のお寺さんにお参りに行って、ランチはお馴染みの「南山」で焼肉三昧をしました。

 

 

 

 

 

 

 

南山焼肉ランチと特選牛盛合せ、豚骨ラーメンを注文しました。

 

 

 

2人で4,500円程のちょっとリッチなランチでした。  ランチをしていて少し心に残った骨董品があり、そして、バンコクの友人から電話があって買って欲しいものがあるとのことで、ランチの後、再度、平安蚤の市へ戻りました。

 

今日は京都市内を右往左往の1日でした。

 

 

 

Xにシーロム通り古地図がアップされていました。

 

シーロム通りって言うのはバンコクの有名な通り名で、スクンビット通りと相対する通りです。私が初めてバンコクに来たのは彼此30年ぐらい前でしょうか? 当時は海外旅行は苦手でHISのパッケージツアーを使ったような覚えがあります。

泊まりはバイヨークスカイ! https://baiyokesky.baiyokehotel.com/ja/ 高層のホテルで部屋がめちゃめちゃ広く、エアコンがガンガンに効いていて寒くてブルブルと震えていました。

 

そしてアジアの骨董に目覚めた頃、シーロム通りにあるトリプル・ツー・シーロム

 

 

と言うホテルが私の定宿になりました。このホテルにはホンマ、お世話になりました。 当時、この近くには骨董屋さんが多く、今はごちゃごちゃとしたチャオプラヤー川も当時は緩やかに流れていて、骨董ハンティングが終わった後はチャルンクルン通り界隈の飯屋さんでチャオプラヤー川を眺めながら晩飯を食べたもんです。 

 

私が味わった古き良き時代のシーロム通りよりももっと昔のシーロム通りは、実は運河だったのです。 シーロムって風車って言う意味があり、当時は運河に風車が沢山あったそうです。オランダのロッテルダムに似ていたと言う人もいるようです。

 

私が生まれて慣れ親しむ大阪の街も昔は運河の街でした。大阪とシーロム、どこか同じに匂いがします。でも今は、スクンビット通りに定宿を構えています。バンコクの色んなことを知るとやはりスクンビット通りにいる方が便利です。

 

 

2023年10月23日から2024年1月21日まで、長崎県美術館で表題の展示がありました。私がこの展示を知ったのは2023年の12月初めごろで、年末年始は既に予定が満載だったことから、拝観のチャンスを逸してしまいました。

 

 

永田玄氏は私よりも14歳年上で、恐らく、収集歴は10年先輩かと思われます。ひょっとすると彼の地ですれ違ったことがあったかもしれません。なんせ真っ当なモノの出何処は限られていて、図録の内容を拝見する限り、多分、同じところを周っておられたのではないかと拝察しました。

 

図録ですがご自身が北タイの古陶磁器を力説されているだけあって、最高級の品質を持った素晴らしいコレクションです。ただパヤオの皿とするべきモノがサンカンペーンの皿になっていたりと多少のエラーはありましたが、パヤオとサンカンペーンの古陶磁器の見分けはよく似ていることからそもそもの見分けは難しいものがあります。

 

図録を見ていて、やっぱり、長崎へ行っておくべきだったと後悔しています。 年末の御用繁多があったものの、ただ、この展示を見に行くのと長崎ちゃんぽんを食べに行くだけで、往復3万円の交通費を使うのもちょっと悩ましい。 出来れば関西でも展示をしてもらいたいものです。

今年は母の初盆と言う事もあり、我が家の菩提寺である尼崎の本興寺へ昨日と今日の連日で、法要に行って来ました。

 

精霊送り

 

 

 

 

私が母のお腹にいる時から本興寺に通っていますが、精霊送りの法要は夕方から始まり、私自身がこの法要にお参りしたのは初めてでした。

この法要は檀家さんだけでなく一般の方も参詣出来るようになっています。沢山のお供えが本堂に置かれていました。

 

盂蘭盆施餓鬼法要

 

 

幼少の時は祖母に連れられ、大人になって母を連れられ、今は家族でお参りと三世代で100年以上、お参りしているんやなぁ〜〜って感慨深く思いました。

 

 

 

 

本興寺は15世紀ごろに建立されたお寺で、重要文化財の多く、建築学的にも珍しい様式を使ったお寺です。

 

法要は午前中で、その後のランチは最近、尼崎に来ると食べに行くようになったベトナム人が経営するベトナム料理店へ向かいました。

 

 

店の向かいに大鳳って言う中華料理屋さんがあって物凄い行列になっていますが、ベトナム料理店はベトナム人でいっぱいでした。

 

 

 

 

 

 

 

このニンニクのスライスですが米酢に漬けられたもので、フォーに入れるとこれがめちゃめちゃ美味しくなります。

 

フォーガーと炒飯の定食で870円は安い! 味もベトナムで食べるのと同じです。

 

生春巻きも美味しんですが、私的には揚げ春巻きがオススメです!

 

食後はHollys Cafeで、家族会議! 

 

 

 

 

 

昔、北浜のHollys Cafeで営業の途中、良くおサボりをしたもんですが、久しくコーヒーを飲んで結構美味いやん!って思いました。

 

9連休のお盆休みを明日で終わり! また来週から不良品との戦いです。ホンマ、ビックリするような案件があり、毎日、刺激満載です!(笑)

 

 

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当ブログでは今後、8月15日は終戦の日とします。 何故なら、記念日とか祝いのようなものではないからです。

 

今日は8月15日、日本が鬼畜米英に嵌められて、日本人の歴史的価値を放棄させられた日です。無論、このような事態を招いたのも井の中の蛙だった当時の日本人のせいです。

 

 
さて、戦後教育として大東亜戦争は日本の侵略戦争と教えてきたのは、当時の文部省、教育委員会そして最も日本の教育をダメにした日教組です。
 
昭和50年代の学校教育は日教組が力を持っていて、今の50歳代の人が受けた歴史教育で、故意に江戸幕府の大政奉還までを3学期に終わるようにして、明治以降の近代史は自習とさせられました。私の小学校の担任の先生はバリバリの日教組の役員で、日の丸掲揚、君が代を酷く嫌っていたのを覚えています。だから、今でもちゃんと君が代が歌えないのです。高校は関西大倉学校って言う大阪の北摂に通っていましたが、そこでも歴史は江戸幕末まででした。卒業式も蛍の光は歌わされましたが、君が代は歌った覚えはありません。無論、日の丸掲揚とか皆無。最後は当時流行っていたスクールウォーズの主題歌「ヒーロー」の曲が流れて卒業式が終わり。
 
海外では国旗掲揚、国歌斉唱は当たり前です。 当時の先生たちに言いたい、「お前ら、どこの国の人間や!」 
 
今日、8月15日を知らない子供が増えていると言う話を耳にしました。
 
文科省は日本の歴史をちゃんと教えないとホンマ、やばいよ。 このままでは大東亜戦争で散った人たちは犬死にです。
 
参政党は教育をちゃんとするって言うてたけど、ここまで腐った日本の教育を立て直しできるんだろうか?
 
 

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お盆休みを利用して、12日、13日と銀行詣をしました。

 

その前に必ず要る以下の公的書面を一部づつ用意する必要があります。

 

  1. 故人の除籍謄本(人が亡くなると戸籍が無くなり、除籍となる)
  2. 相続人の戸籍謄本と印鑑証明
  3. 遺産分割協議書(相続人が多いと用意する方がBetter)
1、2は市役所で入手ですが、除籍謄本は故人の生まれた所から亡くなるところまでの全部を用意します。従って生前に色々と本籍を移動された方、バツ1、バツ2、バツ3となった人とかになると、物凄いページ数の謄本になり、因みに手数料も3,150円もかかります。
 
さて、問題は銀行の対応です。 今回、これでかなり疲れました。
 
どの銀行も同じで、故人の口座を凍結しない限り、一切、説明をしてくれません。これはどの銀行も見事なくらい徹底していて、必ず、こちらが凍結しても構わない旨の同意を言わせるよう迫って来ます。
 
先ず、郵貯です。近所の郵貯へ行ったのですが、めちゃめちゃ親切でした。窓口の職員の方も手続きの流れをよく知っていて、特に問題無しでした。 
 
次にりそな銀行ですが、支店に行くとテレビ電話が置かれていて、相続専門で対応する社員が説明をします。説明が一方通行で質問は指定された書面の質問以外、一切、答えてくれませんでした。どうも相続の手続き代行のサービスがあるので、もし一般的な質問に答えると、その有料サービスが機能しなくなるからかと思われます。例えば、テレビ電話の銀行社員が「残高証明書が要るか要らないか」と私に尋ねて来て、私が「どう言う時に必要か?」と尋ねて、要るか要らないかで答えるように言われました。 翌日に行った池田泉州銀行の方に教えてもらったのですが、税務署の監査が入った時とか、大家族で遺産分割する時に使うとかで残高証明書がいるそうです。それを聞いて、りそな銀行に電話して残高証明書が欲しい旨を言うと来店が必要とのことで、また、テレビ電話で対応してもらいました。ちゃんと親切に対応してくれたら2度、銀行に行く必要は無かったのです。 りそな銀行は大和銀行から発しているのですが、その当時の通帳があったとしても返金が出来ない可能性があるそうです。どうもデーター化されていないみたいで、合併の繰り返しをしている銀行の弊害です。 テレビ電話で対応出来ない案件、例えば、謄本のコピーは支店の職員がしてくれるのですが、謄本って順番が大事でコピーを取る前に順番だけはめちゃめちゃにしないようにしっかりと念押ししたにもかかわらず、必要分のコピーを取った後は、案の定、順番めちゃめちゃで返却されたのにはクレームしました。しかも市役所で順番に付箋をしてくれたのに、その付箋も失くしてしまう始末でした。 
 
池田泉州銀行は対面対応で、テレビ電話に比べると違和感が無し。って言うか、高齢者だとテレビ電話よりも対面対応が絶対に良いでしょうね。 池田泉州銀行もちゃんと対面で質問に対して親切に答えれくれたので良かった! 相続の仕方のマニュアルをくれたのも池田泉州銀行だけでした。
 
最後に一番頭に来たのが、三井住友銀行でした。 猛暑の中、たらい回し(家と支店を2往復)に遭って、危うく、熱中症になりそうでした。
郵貯は家族で死者が出た時で預金がある場合は、先ずは店頭に来てくださいって言う案内がホームページにあったのでアポ無しで窓口に行きましたが、その他の銀行はアポを取る必要があります。ところが三井住友銀行の場合は、相当数の個人情報を入力する必要があり、一つでも入力出来ないとアポが取れないのです。従って、アポ無しで店頭に行ったら、案の定、店頭では手続きができないのでフリーダイヤルで対応するのでそこに電話して欲しいと、こちらの言い分も聞かず、門前払いされました。帰宅後フリーダイアルに電話して、受話器に出た銀行職員に「必要な公的書面を持っていて、届出の書面が欲しい」と私が言うと、電話の窓口の職員が「であれば支店で対応出来ます」と言われて、支店では門前払いされたとクレームしました。その後、支店の責任者らしき人から電話があって、再度、支店に出向いて対応してもらえたのですが、対応した職員は経緯を全く理解せず、詫びもなく、淡々と対応する有様でした。
 
と言うことで、今回の銀行詣で思ったのは、大手の銀行になる程、QOSが下がります。それとデジタル化が進んでいるのは致し方ないですが、自分が70歳を超えた時、デジタルについて行けるか不安を感じました。となると大手の銀行とは今後、取引を減らして行って窓口を重視している郵貯や信用組合系の銀行が高齢には適していると思いました。
 
しかし、相続ってホンマ、疲れますね。 お盆休みがあったのでちょっと助かりました。
 
この後は税務署が恐喝に来るでしょう。。。。。
 
銀行でカスタマーハラスメントでSNSでの誹謗中傷はダメ!って言うポスターが貼られていました。今日のアップした内容は誹謗中傷にならないよう配慮し事実を元にアップしました。そもそも誹謗中傷を言われたくなければ、ちゃんと企業モラルの構築や社員教育をした方が良いでしょう。 それと多少なりとも今日のスレッドが相続手続きの参考になればと思う次第です。
 

大東亜戦争は侵略戦争でなくアジア全体の自衛であり、米、英、仏、蘭からの植民地解放だったことは先のブログ記事で記しましたが、

 

 

戦犯の定義と見方の理解が必要かと思います。 先ず、AIで当時の戦犯の定義を調べさせました。

  • A級戦犯:
    • 「平和に対する罪」で訴追
    • 戦争の計画、開始、実行の責任を問われた
    • 主に国の指導者層が該当
  • B級戦犯:
    • 「通例の戦争犯罪」で訴追
    • 敵兵や敵国民に対する大量殺人や虐待などを行った者
  • C級戦犯:
    • 「人道に対する罪」で訴追
    • 民族的、宗教的、政治的な理由に基づく迫害や虐殺を行った者
    • 捕虜の拷問や虐待などの容疑がある者が該当   
A、B、Cとありますが、これは犯罪の程度(序列)を言うのではなく、戦犯の種類の定義であること。Aだから極刑って言う印象操作をこれまでメディアはして来ました。 
 
この裁判で問題は、法律の不遡及、すなわち、本来は法律が制定された場合、昔の犯した罪を遡及して犯罪に問わないと言う当たり前の考えが無視され遡及されたことです。 これはアメリカをはじめ連合国の日本へのいじめに等しいやり方です。 仮に遡及できるのであれば、アメリカが落とした原子力爆弾は、ハーグ協定では空爆の定義の有無で微妙ではあるが有罪の可能性はあり、遡及できるのであれば、1977年に制定された『ジュネーヴ諸条約追加議定書』に該当して有罪とするのが公平かと思います。
 
もっと重要なことは、アメリカ、即ち、ルーズベルトは真珠湾攻撃を事前に知っていて、日本が闇討ちにしたように見せかけてハワイを犠牲にしたことです。 ハワイはアメリカにとっては有色人種の島、また、米軍の左遷組(無法者)の集団の駐留地であったことから、ルーズベルトが犠牲にするのに躊躇は無かったと思われます。 
 
当時も今もスタート地点で「白人至上主義」による白人社会が善であり、我々有色人種は「動物」と見做され悪とされる以上、東京裁判は、法の原理原則が適っていないことから、日本とアメリカが同盟国と言うのであれば、また、同盟を続けるのであれば、100年目を目指してしっかりとした歴史検証が必要だと考えます。
 
それと南京事件は東京裁判で認定されているので、これは取り消しが不可欠です。南京事件で虐殺したのは蒋介石であって、日本軍ではないことが明らかになりつつです。それと当時の南京の人口が20万人もいなかったことも周知です。
 
しかし、日本人って忘れっぽいって言うか、何事も臭いものに蓋、事なかれ主義、他人事の際立った人種だと思いますね。