中途半端な霊感が害になるとき | なぜだろう、なにかしら?

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(2017年1月の記事です  追記有り)

 

以前霊感の開き始めなど、目をつけられることがあるので注意したほうが~ということを書きました
何に目を付けられるのでしょうか?というご質問を頂いたので書いてみたいと思います

1 あちらの世界の良くないモノに目を付けられます

マンガなどでは動物霊や未成仏の人霊などが憑依して~のように描かれますが、わりと事実に近く、悪霊側が現世に干渉する「道具」として、中途半端な霊感持ちは格好のまとになります

 

人霊も「元」人霊になってしまっている場合もあり(似たような思想の霊体でグループ化するため)さらに人間だった頃は宗教関係者だった者も多く(行者や僧侶、神官など)それなりに力があったものが欲に負け(名声や支配欲、金銭欲)死んでからも自分を神として祀らせたいと思っているものが多いです

 

基本神仏は必要以上に人間に干渉しません、逆に悪霊などは過干渉です
昭和時代の新興宗教ブームの頃は、教祖が動物霊なんていうのはきっと山ほどあったのではないかと思います(寺尾玲子さんのマンガでもそういう教祖が出てきますね)
今のスピブログブームもたちの良くないモノからすると絶好の狩り場になっていると思います(※追記 本人が顔出しして集客しているスピ系ブログや本で典型的な動物霊に憑かれているパターンの顔になっている人がいます)

2 教団(今ならセミナー主催など)を立ち上げる時など利用される

少し1の例とかぶるのですが、「霊感もち」は良い「宣伝材料」「看板」として利用価値が高いです
新興宗教団体が分派、分裂、独立する時は看板になる霊感持ちを引き抜くのですが、引き抜きに失敗した時は代わりになる者を探すため霊感のある人は目を付けられます
ここでは霊感と書いていますが、実際は

「少し感がいい」
「なんとなく霊が視える(ような気がする」

「(趣味で)占いとかが得意だった」

くらいで十分です
運営は自分、表に立たせるものは

「少しの霊感と『見た目が良い』こと」

が重要です(簡単に言うと団体の操り人形が必要)、そして
「この宗教(セミナー)に入信したら霊能力が身についた」
という「評判」も教団勢力拡大のためには必要なので盛んにアピールします(特に昭和時代は超能力、霊能力ブームがあり多くの新興宗教団体が乱立しました)
面白いのは、その「人形」がまた独立、分裂、分派など起こしてしまうことです(笑

3 あちらの世界は意外と無慈悲な面もある

どうしても「人」の目線であちらの世界をみてしまいがちですが、けして人間にだけ慈悲深いわけではありません
土地の主(土地神さまや精霊的なもの)が、よくない「氣」がたまった時など、少し霊感のある人間に押し付けてしまうのはよくあります(だから昭和時代は無闇やたらに知らない祠や社、神社で拝むなと言われました)確か天宮視子さんのシリーズのなかで似たようなエピソードが描かれていましたね
僕自身も若い頃はよく押し付けられていましたが、少しづつなくなりました、これはそういう意味でのセンサー(僕は妖怪アンテナと呼んでいますが(笑)が働き
「ここは危ない」
と感じると近づかなくなったからです、ですがその押し付けられたものを処理(供養とかいろいろです)することで自分の陰徳も上がるようです

4 未浄化な霊が寄ってくる

これは多くの人が経験済みだと思います、自分のことが見える、わかってもらえると認識すれば縁があろうがなかろうが寄ってきます
ここで怖いことは、そういうものに一気に寄ってこられると間違いなく「運気」が落ちますし、健康面でも支障が出てくることが多いです
実際はあっちこっちにいるのですが「視えて」いなければ「繋がりません」(もし憑かれても「今日は疲れたなー」程度で終わります)こちらが視えて「認識」してしまうとその分強力に繋がってしまいます、相手の思う壺なわけですね

怖いのは1と2だと思います
今のスピブログブームは、昭和時代のミニ新興宗教乱立時代とけっこう近い状態だな、と個人的には思います
ぷち教祖を目指しスピブログを徘徊して信者候補を探している人や、すでにミニ新興宗教もどきになっているスピブログ、耳ざわりの良いことばかり書いてある「依存を加速させるよう仕向ける」セミナーなど、今のスピブログは昭和時代の歌舞伎町なみに危険かもしれませんよ?(笑
 
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