親子の亀裂とは | やっぱり一人が好き

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 何年も日記のようなブログを書いていると、私の悩みは、一人でいるか、ワイワイするのかで揺れていると思う事がよく分かった。

 まさにその点が私の心のわだかまりであるし、辛いところである一方、生きている証拠でもあると思う。



 シャンシャンも中国に戻ります。

 おかさんともお別れです。国をまたいでお別れです。

 パンダは二年くらいで、親が、子供から離れてしまいます。
 動物園で飼われているパンダは少し違うかもしれない。

 親と子供を引き離すとき、良浜は、泣いて探していた。

 猫と違い、声を出すことで人間とやり取りが、出きることまでは、パンダには分からない。

 だから、野生のまま、声を出すことは余りない。

 楓ひんと引き離されたとき、多分匂いはするのであろう、良浜は哭いていた。

 普段は、お母さんから見捨てるように消えていくのに。

 昔、伊集院静の本で、亀の話があった。亀は、卵の状態でお母さんは離れて行く。

 涙を流しながら、沢山卵を産んで、そして、海へ帰っていく。

 その涙は、お別れの涙でもある。

 悲しいけど、生を持って産まれたものの、試練なのである。


 人間は、どうだろうか?

 親と仲が、良い人もいるとは思うが、大概は、仲が悪い。

 なぜそうなるのか?

 私もそうだし、生徒を見ていてもそれを、感じる。

 多分、ある一言で、亀裂が入るような気がする。

 私は、完全に親が、無いものになったのは、父親が、生意気な口を聞いてくるときだった。

 私は、母親が無くなった後、父親と二人で暮らしていたが、特に交わりが無いけど、話しはした。

 どってこと無い話し。

 痛風になったので、スポーツジムに行っていたので、そんな話をした。

 ある時、スポーツジムに行きまくっていて、仕事をしていないと思っているのか、剣幕替えて、怒りだし、「遊びは、終わり、何やってるんだ」と言われた。

 殺そうかと思った。

 私は、言ってやった。

 「いいか、良く聞け。おれは、お前に金をいれてんだぞ。それが、一度でも滞ったことがあるか。おれが、何しようと、お前には関係ない。お前が、何して生きようが、俺には関係ないのと同じだ」と、言ったきり、同じ家に住んでいて三年口を聞かなかった。

 私は、意外と怖いのである。

 「こいつは許さない」と思ったやつは、絶対に許さないし、結果、脳卒中なのである。

 これは、昔から、そう。

 隣のジジーも死んだ。

 沢山ある。

 だから、人を恨むのを辞めようと思ったとしても、脳卒中は、止められなかった。

 ごくたまに、生徒の父親が、私にコンタクトを取ることがある。

 親バカですみませんと言いながら。

 多分、不用意な何かが、あって、多分、その生徒は父親と口を聞かなくなるのである。

 それは、私のような第三者が、口を挟めないもんだい。

 ただ、おやは、原因が、そこに無いと思っている。

 ちゃんとある。


 血で結ばれた関係も、二度と戻ることはない。

 親子の責務とは、異なる。

 それは、パンダや亀と同じ、別れなのである。

 一緒にいてはいけないのである。

 そしていつか、親が、亡くなる時、子供としての、責務を果たす必要も出てきたりするから、不思議なもの。

 それが、悲しいけど、人間サガなのである。