己を馬鹿だ愚かだと書く人間ほど、本当はそうではないんだと言われますが、
私は、自身を馬鹿だ愚か者だと真面目に思っている。
私の場合、初めは「何でも屋稼業」からの出発であった。
「何かお手伝い出来ることはありませんか」企業への軒並み絨毯爆撃からのスタート。
営業(セールス)は、それ以前にバイトで何社かやっていたことはある。
市長と喧嘩して、福祉の窓口から飛び出した直後からの話です。
タイムライフの「人間世界史」や、確か「エンサイクロペディアブリタニカ」
そんな英文字だけの百科事典を扱ったこともある。
「YES・YES・NO」のセールストーク技法を学んだこともある。
大手の化粧品会社ポーラやメナードのセールスもやったし、
岡本理研ゴムのコンドームの在庫で押入れを一杯にし、両親を驚かせたこともある。
「私が手に持つ魔法の杖を振ったら、この豪華な百科事典がタダになるとしたら」などと、
嘘八百を並べたこともある。
人間世界史では、「例えばこの写真、世界でたった1枚、違う方向から撮った写真」
ある幼稚園では、そんな嘘を並べ、園長先生はじめ、先生方全員が買って呉れた事もある。
きっと足が悪い私への同情もあったのかも知れない。
初めて飛び込んだ会社で、言葉が出なくて、気付いたら息を吸うのを忘れていた。
そんな毎日だった。
絨毯爆撃営業は、途中で止めると、一気にする気が無くなる。
最初に手掛けた仕事は、日産ディーラーからの小型トラックの荷台のゴム板。
2,500円でホームセンターから仕入れたゴム板を8,000円で売った。
5,500円が社長としての初めての仕事の営業利益である。
約9年で、従業員数約600名、工場だけで5か所、年商は最大時で約60億。
下請け企業約200社。
多くが原材料を仕入れる会社、その内製造担当の下請けも数社、自身で作り、
成績の良い従業員に作らせた場合も4社あった。
営業利益だけで今では考えられないだろうが約6割。
決して、過去の栄光を書きたい(のであろうが)。
こんな車を買うのは、幾ら取引先台湾のお坊ちゃまの為とは言え、アホで馬鹿な証拠。
如何に当時が、馬鹿で愚か者だったかということ。
1年364日、朝の8時から夜中の1時、時には4時まで働き続けた9年だった。
休むのは、1年に1日だけ、元旦の寝正月、2日から毎年会社には行っていた。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20211222/21/nayamikaranokaiho244147/ed/bf/j/o0176014415050096733.jpg?caw=800)
全て、経営者は自らが決め、誰に相談する訳でも無い。
そこら辺りから「孤独だ」と言いたいのであろう。
人間関係に於いても従業員に気遣いも無く、気遣いがあったとしても、その種類が違う。
「社長、それは違いますよ」と社員に言われても、極端には「馬鹿を言うな、愚か者」
で済んでいく。
倒産させて、翌日には「2度と人は雇うまい」と決めた。
マネー亡者の存在をシアトルで知り「こんなん、会社経営なんて意味ないやん」
「幾ら頑張って稼いでも何の意味があるの?」
目指した福祉も「結局は金がもの言う下らない世界」
ワザと倒産させたが、今ではれっきとした犯罪である。
社内の揉め事の大半が人間関係。
堂々と、不倫を求めるパートさんも居た。
何とか、私のお気に入りになろうとする女子社員も居た。
馬鹿な私は、お陰でアパート・マンションだけで4つも5つも借りることになる。
でも、同じ部屋には寝れないし、防音室まで作った馬鹿オヤジ。
私が「他人と同じ屋根の下では暮らせない人間」になり果てたのも、
恐らく社長業が原因の一端ではないかと思うのも、何となく分かる。
会社が、社員やパートさんだけに任せて於ける段階になると、
会社に行くのは月に1度か2度。
毎日、旅先の宿から「別に変わりは無いか」の電話1本。
社員の中には「うちの社長アホか」と思っていた者も居ただろう。
本当にアホで馬鹿な人間だったと今でも思う。
一度経営者になった人間は他人に雇われることが苦手。
従って、今は1人社長になったんだと思う。
義弟と同じ屋根の下に暮らせないのも、
例えば、義弟は食後の食器洗いに台所の洗剤の原液をスポンジに付け使う。
そのスポンジを使う私は、きっと「アホか」と何処かで思ってしまうのであろう。
ワザワザ、界面活性剤を体にしみ込ませているようなもの。
社長時代、製造のラインでは「能率・効率・節約」などを徹底的に求めた。
勿論、営業利益6割の大きな理由は得意先経営者や担当者への「賄賂」ではあるが、
従業員を選ぶ目は、常に「それらを求める従業員を」であった。
例えば、パートさんにしても、片手で部品を棚に乗せる人より、
両手で部品を棚に乗せる人を面接で見極め雇用していたのである。
時に、私自身を「歪な人間」と書くのも、そんな過去があるからであろう。
今は、他人の手を借りず1人で稼ぐようになったのも、
「他人を雇うのは懲り懲り」と思っているのも、私自身が招いた天罰かも知れない。
何が「経営者は孤独だ」と思う。
さぁ、何時ものように訳の分からないハチャメチャな文章のブログですが、
いよいよ旅立ちの準備を始めますか。
仕事の合間をぬって荷物を荷造りし、元通訳の方に送るのですが、結構大変なのです。
「死出への旅立ち❔❔」
「違うわい」俺らは「旅のつばくら」なのさ。
やっぱり、このオヤジ「ホンマもんのアホやでぇぇ」
妻は、あの時、救急搬送の救急車の中で・・
覚悟の涙を一筋流し、「亡くなったのだ」そう思って旅立とうと思うのです。