silver☆foxのブログ -26ページ目

silver☆foxのブログ

ブログの説明を入力します。

先ずは、長いですがそのまま以下に転載します。
(ちゃんと最後まで読まないとダメですよ。読めない人はコメント不要ですので。)






靖国参拝を米国が許容できない理由
日米の認識のギャップ
2014年01月07日(Tue)  辰巳由紀 (スティムソン・センター主任研究員)



総理が昨年12月26日に靖国神社に参拝して以降、フェイスブックなどのソーシャルネットワークサイトやその他のメディアでは「安倍総理の靖国神社参拝に対するアメリカの反応」に注目が集まっている。米国政府は参拝当日に、アメリカ大使館が参拝に「失望」を表明する声明を出すという異例の対応をしたが、この声明を巡り、アメリカ大使館のウェブサイトが「炎上」する事態にまで発展しているという日本の報道も見た。しかし、おおむね日本では「アメリカ政府はそんなに腹を立ててはいない」「日米関係にはあまり影響はないだろう」という楽観的な雰囲気のようだ。
 ワシントンで生活している身としては、大いなる違和感を感じる。ワシントンでアジア政策に何らかの関わりを持っている人たちの間では、今回の総理による靖国参拝は大問題として認識されており、安倍総理を見る目は格段に厳しくなっているからだ。ちなみに、前掲のアメリカ大使館が出した声明も、「大使館に出させたのは手ぬるかった。ホワイトハウスからの声明として出すべきだった」という声すら一部からは挙がっているほどなのだ。

靖国とアーリントンは「似て非なるもの」

 ここまで書くと「米国は中国や韓国による働きかけに影響されているのだ。日本がきちんと説明すれば、米国も理解してくれるはずだ」という声が返ってくるかもしれない。しかしお断りしておきたいのは、今回の批判はそのような観点から出てきているものではなく、それ故に日本にとっては今後、非常に取扱いが難しい問題になる可能性が高いということだ。
 私自身の経験から言えば、アメリカ政府の関係者やアメリカ人研究者と話をするとき、中国や韓国の専門家が相手であっても「戦争に負けたら、国のために犠牲になった人に尊敬の念を表してはいけないのか?」という問いに「そうだ」と答えることができる人はまずいない。いわゆる「歴史問題」に関する誤解や疑問について日本の立場を丁寧に説明すれば、「日本が国のために命をささげた人たちを追悼し、敬意を表すことは批判されるべきではない」という点については、同意してくれるようになることが殆どだ。
 しかし、その場合でも、「戦争の犠牲者に対する日本人指導者による敬意の表し方」としての「靖国神社参拝」はどうしても理解してもらえないのだ。特に、ちょっと日本に詳しい人になると、1979年にA級戦犯が合祀されて以降、天皇陛下が靖国神社を参拝していないことも知っており、「天皇陛下ですら参拝していない場所を参拝することに、なぜ一部の日本の指導者はそこまでこだわるのか」となる。

 ちなみに、靖国神社参拝の正当性を主張する際に、米国バージニア州のアーリントン国立墓地を引き合いに出し、「アーリントン国立墓地だって南北戦争時の南軍の兵士が埋葬されていても大統領が献花したりするのだから、靖国神社に総理が参拝して何が問題なのだ」という論調を日本で目にすることがあるが、これはアメリカ人には全く受け入れられないたとえである。
 彼らに言わせると、アーリントン国立墓地は、確かに南軍の兵士も埋葬されているが、宗教色のない墓地であり、敷地内に奴隷制や朝鮮戦争、ベトナム戦争の正当性を主張するような資料館もない。さらに「米軍で戦闘地域に派遣される時に『アーリントンで会おう』と言って出発する兵士なんかいないよ」というあるアメリカ人の研究者の言葉が端的に示すように、国立墓地の存在が米軍人の精神的支柱になってはいないという意味で、靖国神社とアーリントン国立墓地は「似て非なるもの」なのだ。

米国の不信感と当事者意識

 要は、米国では、靖国神社とは、A級戦犯の合祀や、敷地内の資料館「遊就館」の展示を含め、戦前の日本の行為を正当化する象徴的存在なのである。つまり、そこに日本の総理が参拝することは、事後にどのような説明があったとしても「第二次世界大戦前の日本の行為を正当化する歴史観の肯定」であり、サンフランシスコ講和条約以降の国際秩序(当然、日米安全保障体制もその一部に含まれる)の否定につながる。これは中国や韓国の反応を抜きにして、米国として許容できないものなのである。
 さらに日本の総理が靖国神社に参拝することで、中国や韓国に「日本の軍国主義化」について大騒ぎをする絶好の口実を与えることになり、日本にはこれからアジア太平洋地域で安定した安全保障環境を作り出すために一層、安全保障分野での役割を拡大してもらいたいと考える米国にとっては非常に具合が悪い。つまり、日米同盟をこれから深化させていきたいという米国の意図が本物であればなおさら、日本の総理大臣による靖国神社参拝は敵に塩を送るに等しく、「百害あって一利なし」の行為なのだ。
 このような背景をもとに、安倍政権発足後、米国は水面下であらゆる機会をとらえて「靖国参拝だけはしないでもらいたい」と安倍総理本人やその周辺などに水面下で伝えてきた。政府関係者だけではなく、自民党に知己の多い民間の研究者からも、一貫して同じメッセージが出ていた。昨年10月に日米安全保障協議会(2プラス2)会合のために来日したヘーゲル国防長官とケリー国務長官が揃って千鳥ヶ淵に献花に赴いたのも、「戦争の犠牲者に追悼の意をささげるのであれば、こちらの施設があるではないか」という明確なメッセージだった。

 それにも拘わらず先月、安倍総理が靖国神社参拝に踏み切ったことで「安倍は個人の信条を日米同盟の将来や日本の国益に優先させる指導者なのか? そうだとすると、尖閣諸島で状況が緊迫するようなことがあった場合に、理性的な対応をしてくれることを本当に期待できるのか? わざと中国を挑発するような行為に走らないといえるのか?」という不信感が湧き上がっている。「大局的判断よりも自分の思い入れにこだわる指導者を米国は信頼できるのか? そのような人物がけん引する日本という国との関係を強化することで、米国がリスクを抱え込んでしまう可能性はないのか?」というわけで、米国の東アジアにおける立ち位置を考慮したうえでの「日本リスク論」が首をもたげているのである。
 このような不信感は、参拝から2週間が経過した今も根強く残っている。これまでは靖国神社参拝を「日本と中国・韓国の間の過去の歴史を巡る問題の一つ」であるとして、事態を静観していた米国が、今回の靖国神社参拝を契機に、この問題に当事者意識を持ち始めるに至っているのである。

日米関係への影響は不可避

 特に今回、総理の靖国神社参拝についての事前説明が日本側から全くなかった(参拝するという通報も、参拝の30分前に行われたという話もある)ことが、米政府の苛立ちを強めているようだ。ビジネスライクなことで知られるオバマ大統領は「サプライズ」を何よりも嫌うが、今回の参拝はオバマ政権にとっては「サプライズ」以外の何物でもなかった。小泉政権時代のように、米国との関係が指導者の強力な個人的関係にけん引され、ブッシュ大統領の強い意向を受けた米政府が、小泉総理に対する表立った批判を一貫して抑制していたような時代ではない。
 しかも、今回の参拝は、米国からの度重なるメッセージを無視して強行された、という見方がワシントンではほぼ、定着している。「水面下でのメッセージが伝わらないなら、これからはもっとはっきりと、公の場で米国は発言すべきではないか」という主張がジワジワと説得力を増している。今回のアメリカ大使館から出た声明がその第一歩となってしまう可能性も十分にあるのだ。
 参拝以降、「来春のオバマ訪日は中止すべきでは」との声も根強く残っている。「訪日は中止すべきではない」という意見の人の中にも、「オバマ大統領本人の口から、はっきりと安倍総理に米国の不快感を伝えたほうがいい」と思っている人がいる。つまり、日本での認識とは異なり、今回の参拝は今後の日米関係に何らかの影響を及ぼすことは避けられないというのがワシントンの雰囲気なのだ。

 今回、残念なのは、「安倍総理靖国参拝」の衝撃が余りに大きく、「沖縄県の普天間飛行場の辺野古移設案受け入れ」という日米関係の実務面では極めて重要な成果が全く注目を集めていないことだ。しかも、この件について日本政府に謝意を表明するために行われたはずの日米防衛電話会談の中でも「日本が隣国との関係改善に努力することの重要性」についてヘーゲル国防長官が言及している。
 昨年12月17日に発表された日本初の国家安全保障戦略、新防衛大綱、新中期防衛力整備計画から明らかになった「アジア太平洋地域の安定という公共財のために日本は努力を拡大する」「自衛隊をより機動的に運用する」「本土防衛に必要な能力を強化する」といった方向性をもとに日米防衛協力の指針(ガイドライン)など、より具体的な防衛協力の中身を議論しようというときに、日米関係、ひいては安倍政権を見るオバマ大統領や閣僚の目が厳しくなるというのは、この作業に従事する事務レベルの人間にとっては、非常にやりにくい状況なのである。

米国に配慮しつつ参拝する方法はなかったのか

 国に命をささげた人に敬意を表し、追悼の意を表すために靖国神社に総理として参拝したい、して何が悪い、という安倍総理の思いも理解できる。しかし、この問題はまだ日本の中でも意見が分かれている。日本の国内がそのような状況なのだから、参拝を「国民との約束」と説明するのは無理があったのではないか。であるならば、米国にも一定の配慮を示しつつ、靖国神社を参拝するような方法は模索できなかったのだろうか。
 参拝そのものへの注目が大きすぎてほとんどのメディアが報じていないが、靖国神社参拝後に安倍総理が出した声明は「不戦の誓い」がはっきりと言及され、参拝に当たっての安倍総理の思いが伝わってくる、非常に良く書かれたものだ。たとえば、靖国神社参拝直後に千鳥ヶ淵にも献花し、そのあと、正式な記者会見を開いてあの声明を読みあげ、記者からの質問に答える、という方法を取ったらどうだっただろうか。
 安倍政権は、政権発足以降、「日米同盟間の信頼の回復」を掲げて安全保障政策上の様々な措置を積極的に講じてきた。国家安全保障戦略の策定や防衛大綱・中期防衛力整備計画の見直しはもちろん、国家安全保障会議の発足や特別秘密情報保護法の成立など、いずれも、日本の安全保障政策が国際安全保障環境に迅速に反応し、種々の政策を打ち出す即応性を得るためには必要とされてきたもので、日米同盟にとってもプラスになるものばかりである。政策実務面で日本が着実な前進を見せ始めた今、今回の靖国参拝が指導者間の「信頼」に傷をつけ、実務者の足を引っ張るようなことにならないことを願うばかりである。





転載おしまい





新年の挨拶も省略して、いきなり本題で失礼致しますが、私が一番懸念していた事を記事にしてくれて居ましたので、少し長いかと思いましたが全文転載させて頂きました。

今回、著者が書いている内容や思想は右とか左とかのイデオロギー抜きに、ワシントンで著者が感じたものを素直に分かり易く解説してくれたものだと思います。また、著者が日本ではなく米国寄りの意見として書いていると思う節も有りますが、その部分も踏まえてこういう意見も有るのだと理解しておくことが肝要だと思います。

以前より懸念し何度か取り上げて書いて来ましたが、現在米国は共和党では無く民主党なので日本に対して融和的な見方をするかと問われれば、今までの日米関係を少しでも興味を持ち、共和党政権時と民主党政権時の日米関係を俯瞰して見られる人ならば、答えはハッキリと「ノー」だと答えられると思います。

一方で靖国参拝について今の国民の支持、特に政治に興味を持つ多くの人たちは概ね賛成の意思を示して居ります。つまり安倍総理の参拝については国民の総意と言っても差し支えないと言っても良いと思います。

そこへ、米国の現政権が懸念を示したというのも前述の説明で私的には頷けます。記憶の新しいところで言えば元クリントン大統領が親中派で有り、当時も数多く意見が寄せられて居りました。ですが、例の不倫事件以降に共和党政権が誕生し、ブッシュジュニアが大統領に就任し小泉政権と共に日米の友好関係が築かれ小泉政権が長期化したのも記憶に新しいと思います。他に未だ記憶に新しい順で云うと長期政権で云えば中曽根時代もですが必ず共和党だったのです。お互いを「ロン」「ヤス」と呼び合う仲だったと新聞紙上を賑わせたものでした。

ですから現政権が親日的では無いというのは明白であり、「こうあって欲しい」という願望を抱くのは危険です。ただ不幸にも日本は未曽有の東日本大震災という大災害に遭いましたので、元々持つ米国民主党が反日姿勢を畳み掛けるのではなく、フラットな関係を構築していこうとしましたので、反日色が薄まっただけでTPPを一々取り上げるまでもなく、又、米国民主党とは地球温暖化詐欺の首謀者ですから日本にとっては味方というより要注意すべき相手であるという事です。

そこへ私が驚いたのは、大使館が書いた書簡の英文に保守を名乗る論陣の各々が自ら訳して「自分の都合」が良い内容で翻訳し、米国は懸念を示してはいるが【深刻】という程では無いといった主張をする人が少なからず居られた事です。これは明らかに誤った扇動です。御本人にその気が無くても信頼が厚い人が出した意見を素直に受け取るのが人情ですので、幸せな嘘(というよりも勘違いという方が正しいですが)ではありますが、そういった片方の意見を鵜呑みにする事は非常に危険であると指摘しておきます。

何が言いたいかという部分ですが、本質的な部分で政治に興味が無い人、最近興味をお持ちになった人に是非知って欲しい事は、米国と言っても一枚岩では無いという事です。
なので、私が今回紹介するコラムを日本の国民として否定も肯定もする必要が無いのですが、こういう意見もあるという事を重々承知して妙な安堵感を持たない、そうではなくて自分自身が日本人としての矜持を持っているのかが試されているという事です。

確かに歯切れの良い事を書けば読む方も分かり易くて賛同し易いと思います。
ですが、多種多様な意見が有るという視点に立ち、尚且つ一番大事な事は日本の国として、日本人として、何が正しくて何が誤りなのか、誤解を招くべくは今までの日本の姿勢でも有るので、今回の靖国参拝をキッカケに日本国中が大東亜戦争について正しい認識と、隣国に敵対する為にではなく平和を願い先祖英霊を祀る為なのだといった神道の考え方そのものを相手に理解させなければ、この問題は解決なぞしないという事を明記し終えたいと思います。

神道について「もし」諸外国が理解し得たなら、必ず理解を得られるでしょう。
ですが、神道を軽視して来た現代日本というのも大きな罪を作って来たという事実も無視すべきでは有りません。

新年のあいさつ代わりに今後厳しい日米関係を察し、何が起ころうとも決して揺るがない真の保守(国を思うならば)が試される年になりそうだと思った次第です。皆さん揺るがない信念をもって支持して行きましょうね。