鞍馬・貴船めぐり⑤ ~鞍馬山・奥の院~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

鞍馬山(くらまやま)は
標高584メートルという
低山ですが、

2億6000万年前に
海底火山の隆起によって
生まれた山だといいます。



古くは
暗部山(くらぶやま)ともいわれ、

歌枕にも
なっていたようです。

紀貫之(きのつらゆき)は



梅の花  匂ふ春べは  くらぶ山
闇に越ゆれど  しるくぞありける


と、
宵闇にただよう
梅の香を詠み、

藤原業平
(ふじわらのなりひら)の孫の
在原元方
(ありわらのもとかた)も



秋の夜の 月の光し あかければ
くらぶの山も  越えぬべらなり


と、
月の光と山の闇の対比を
詠んでいるようです。



また、
平安歌人の
坂上是則
(さかのうえのこれのり)は



我が恋に くらぶの山の 桜花
間なく散るとも 数はまさらじ


と、
恋多き人生を
桜と「比ぶ」て
詠んだようです。



というのも、
この鞍馬・貴船は、
若狭街道(わかさかいどう)

のひとつでもあり、

八瀬(やせ)から伸びる
鯖(さば)街道とはべつに、

 



鞍馬から北上する
ルートがあったようで、

その

宿場町として栄えた

といいます。

 

ですから

鞍馬には、

多くの人々が
通ったようです。

近代では、
与謝野晶子(よさのあきこ)
与謝野鉄幹(よさのてっかん)
夫妻もたびたび
訪れたといいます。



山中には
霊宝殿(れいほうでん)
という博物館があり、

鞍馬の自然や、
与謝野夫妻の記念室、
仏像などが
展示されています。

とくに仏像は、
国宝でもある、

毘沙門天三尊立像
(びしゃもんてんさんそんりつぞう)が
展示されており、

毘沙門天(びしゃもんてん)と
吉祥天女(きっしょうてんにょ)
善膩師童子(ぜんにしどうじ)
がならんでいます。

この三尊は
親子であるらしく、
一説によると、

天照大神(あまてらすおおみかみ)
瀬織津姫(せおりつひめ)
天忍穗耳尊(おしほみみ)

の関係を
暗喩しているとも
いわれているようです。

 

もちろんこれは、

本殿金堂(ほんでんこんどう)

祀られている、

 

毘沙門天王(びしゃもんてんのう)
千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)
護法魔王尊(ごほうまおうそん)

 

にも

通じているのでしょう。




息継ぎの水という
湧き水をすぎると、

与謝野鉄幹が

 

遮那王が 背くらべ石を 山に見て
わがこころなお 明日を待つかな


と詠んだ
背比べ石があります。
 

源義経(みなもとのよしつね)は
鞍馬出立の前日に

この石で
背比べをしたという
故事によるようです。

 

鞍馬へ来たときには、

まだ石より低かったのに、

鞍馬を出るときには、

すっかり大きくなっていた、

 

そんな感慨が

あったのかもしれません。

 

もしかするとこの句も、

『背「くらべ」石を「山」に見て』が

古名の「くらぶ山」に

掛かっているのかもしれません。

 

暗い未来と、

明るい明日の対比を

九十九折のように

詠んでいたとしたら……

 

鉄幹の才能も

おそろしいですね。


ここからはいよいよ、
聖地へ入ってゆきます。



木の根道(きのねみち)です。

アラベスク模様とも
いわれるこの根は、

マグマによって
地下の砂が

硬化してしまい、


行き場を失った根は

地表に這い出して

生きながらえている、
といわれているようです。

 



火山のエネルギー
マグマのエネルギーが
ここには
残っているのでしょうか。

とても

心地のよい場所です。

この先には、
大杉権現(おおすぎごんげん)
といわれる
巨杉の虚(うろ)が

あったのですが……



見る影もなく
崩壊していました。

 



大杉苑瞑想道場
(おおすぎえんめいそうどうじょう)
ともいわれる一帯で、

護法魔王尊
エネルギーもつよく、

レイキヒーリング発祥の地
といわれていますが、

 



残念でなりません。
本当に、本当に。

しかし、
ぼくとしては、
山の再生力というものも
信じたいです。

これまでの
神聖な場所は
失われてしまいましたが、

またどこかに、
こうしたありがたい場所が
生まれてきてくれたらなと、

自然の力に
期待したいのです。



さらに

山道をすすむと、
不動堂(ふどうどう)
があります。



最澄(さいちょう)が
天台宗(てんだいしゅう)を

開くという悲願に燃えて、

刻んだ

不動明王(ふどうみょうおう)像が、
奉安されているといいます。

この本堂前にも、
星曼荼羅(ほしまんだら)

描かれていて、

パワースポットとされているようです。

向かいには、
義経堂(よしつねどう)
があります。



31歳という若さで
非業の死を遂げた
義経の御霊を

遮那王尊(るしゃなおうそん)として
この地に祀ったようです。

この義経堂は、
雨風によって
背後の谷が崩落する際、

1メートルほど
跳躍して
難を逃れたといいます。



義経らしい逸話ですね。

 

不動堂のある一帯は、
僧正ガ谷(そうじょうがたに)といい、

義経と天狗が
稽古に励んだ場所
だといいます。



天狗はまたの名を、
鞍馬山僧正坊(そうじょうぼう)
というそうです。

僧正坊というのは、
僧を統括する
役職名だといいます。

鞍馬の天狗は、
すべての天狗を統括する
といいますから、


このような名前が
付いたのかもしれません。



かくいう、
ぼくが鞍馬山で
もっとも好きな場所は
ここです。



僧正ガ谷の

ベンチにすわって、
ぼうっとするのが
たまらなく好きです。

 

ここから、

さらに山道を越えてゆくと



いよいよ、
本丸に到着します。

鞍馬寺の奥の院である
魔王殿(まおうでん)です。


ここは、

太古のむかしに
護法魔王尊が降臨したという

磐坐(いわくら)群が

祀られています。

 



鞍馬山で
もっとも神聖な場所と
されているようです。

瑞風庭(ずいふうてい)
描かれていたのは、
ここのことですね。



ただ、

とても素晴らしい場所だ

というのはわかりますが、
 

ぼくにはちょっと
強すぎるのか
あまり長居はできませんでした。

 



鞍馬山は、
ヴォルテックス

(渦・上昇螺旋)の
力もつよいとされており、

樹木までが
ねじれてしまうといいます。

 



ですからもう、
鞍馬山にいるだけで、
力の恩恵を受けられるようです。

 



はじめて
この山道を通ったときは、
ぼくも頭痛に
みまわれました。

 

ですが以来、

神社やパワースポットに

興味のなかったぼくが、

 

1年と経たずに

このような記事を

書くようになったというのは

とても不思議なことだと

思っています。



さて、
天狗といえば、
その長い鼻から

 

導きの神といわれる
猿田彦(サルタヒコ)さまとの
類似性も言われています。

たしかに

猿田彦は、

古事記・日本書紀でも
突然あらわれる
奇妙な神様です。

高天原(たかまのはら)

から降臨した、

天照大神の孫の
瓊瓊杵尊(ニニキネ)を、

地上で待っていた、

猿田彦は、
国つ神だと名乗ります。

ホツマツタヱでも
大概はおなじで、

滋賀県の
高島市あたり
ニニキネ一行を
迎えたとあります。

 



しかもなぜか、
ニニキネの行先を
知っており、


天照大神とも
旧知だったようです。

その本拠は、
三重県鈴鹿の
椿大神社

(つばきおおかみやしろ)の

あたりだったといいます。

 

また椿大神社には、

猿田彦の

御陵(みささぎ)まで

あるといいます。

そんな

猿田彦さまが、

じつは
650万年まえに、
金星から

鞍馬山に降臨した

地球を護る神だとしたら、

とても
面白いのではないでしょうか。
 

鞍馬から、

若狭街道をとおって、

高島へゆくというのも、

 

地理には

適っていると思います。

 

 

ただ、

650万年もあれば、

世界中どこだって

回れることでしょう。

導きの神である
猿田彦は、


のちに
芸能の神ともいわれる
ウズメを娶りますが、

これは神智学で
言うところの、

人類を導く
サナト・クマラと、

愛と美の女神
ビーナスの
婚姻関係にも
近い気がします。

ウズメは
胸をさらけだして
猿田彦と

対面したといいます。

また
猿田彦の長鼻は、
陽物を表している

ともいいます。

ですから
この2神は
夫婦和合の神とも
いわれているようです。

さて、
鞍馬山が
火の山で、
男神を祀るとすると、

つづく
貴船神社は、
水の谷で、
女神を祀っているといいます。

 

山道を降りると、

そこは貴船(きふね)神社の

参道となっています。


鞍馬・貴船めぐり⑥ へ つづく

 

 

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