与えられた娯楽ってなんでこんな気持ちいいんだろう、流動食なのかな
楽しみすらもこう楽しみなさいと人から見えない何かから提示されないとわからないんか、そこまで怠惰になりさがったか、
あたらしいものが怖いんだ、知らないものが怖いんだ、
時間がないから、損するのが怖いんだ、
時間が少ない割に楽しまなければならない事項がこの世に多すぎるから、
生きてる間に全部読みきれんほどの本がこの世にどころかこの家にあふれてる
もしもこの端末が壊れても電話帳とメモ帳だけはすぐに復旧できる、知ってるあとは古い写真とか。そしてごくさっきに撮ったばかりの写真とか。あいだの記憶だけ、わたし自身すらも忘れてるような記憶だけがぽっかりすっぽりと抜けてしまっている。
もうずっと前に忘れ果てた19歳の記憶とか、それを恥じていた君のこととか、同じ時を別の場所で生きていたわたしの19歳って一体なんだったんだろうと考える。
19歳の時の方が今よりもずっと年老いていた。
未来に絶望し残りの命を数え、別れと死についてばかり考え、電気あんかの汚いコードをカーテンレールにくくりつけては、死ねない自分を責めていた。
人がたくさん死ぬ事件がニュースで散々流れていたとき、わたしはテレビのない環境で死ぬ寸前の母親の体を揉んでいた。苦しいねえ。苦しいねえ。急におばあちゃんみたいになってしまった間伸びした断末魔の叫びがなんだかかっこ悪く感じて自分しか見ない日記にすら嘘をついた。
そうか、ここが痛かったんだやっとわかった、あー、そう言って判明した直後に母は息を引き取って、処置の間にわたしは何度か病室から庭に追い出された。
狭い部屋の中、母親のベッドの隣に無造作に置かれた簡易ベッドで父親の買ってきたチョコレートだけを貪り食べながら何日も風呂にも入らずまともな食事も飲水もせずにいつまでもこれが続くことはないとどこかで疲れの藪の中で確信しながらそんな自分の確信もずるいな、気持ち悪いな、とまた自分を責めたてながら。
死にたいと願ったわたしは生きていた。あれから何年経っただろうか。毎年死のうと思って10年も経ってしまったと呟いたあの女性の戦ってる姿は眩しくて、わたしは人を信じて待つことをまた少し学んだのだった。
あと10歳で母親の歳を超えてしまう。
あたたかい日、川のそばで待っていた日の出は、曇り空に隠れてただ街灯と同じくらいの明るさを示しただけでわたしの好きな色は見えなかった、
いつのまにか朝にされていた。無理矢理に朝にされていた。
でもそれが朝なのだろうとわたしは仕方なく受け入れる。いろんな記憶を想起しては優しくして川に流して、自分を抱きしめるみたいに肩甲骨の筋肉を伸ばしていく。骨が折れるほどの抱擁は届かない夢。誰もわたしの骨が折れるほどの力なんて持っていないから。