アメリカインディアンの教え
ビリビリに破かれたお母さんの夢、生きがいの創造、誰が書いたかは忘れてしまった
分別もつかないならそれもまあ仕方ない
一緒にいることを望んだのだから代償はしかたない
ある程度仕方ない
ゆるしたくなくて、テープで直すのに
やぶかれるまえよりもぐちゃぐちゃになって
愛せない
わたしはかつて
アメリカインディアンの教えをびりびりにやぶいたことがある
本の通りの育児をしようとして
いつでも「ちゃんと」やろうとして
失敗した、
おかあさんをまるで、どこかで、
叱るみたいに いさめるみたいに
本なんか見ないで
わたしを見て
そうしてわたしたちきょうだいはふたりで
おかあさんの育児書をびりびりにやぶいたのだった
分別もつかないうちから
ただひとつすがりたいなにかにむけて
運命的な何かに向けて
その両手で
いつかはお母さんと同じように筋肉が取れて萎えてしまうその両手で
大事とされることが書かれた紙をおもうさまやぶいたのだ
本じゃなくてわたしを生きがいに
いや、それもまた重たいから
わたしはあなたの分身じゃないし
わかってあげられる相手でもないよ
もうひとりのあなたをみないでわたしばかり見ても
なにも見えてはこないよ
きれいにきこえる言葉にそんなに怒れないのは
わたしが幸せだったからなのかもしれない
わたしが恨んで泣いていたほど
状況は絶望的ではなかったのかも
それでも
わたしの罪も
あなたの罪も
消えない
生まれでたことで原罪を背負う
原罪を意識することでわたしは生まれ直した
わたしはいくらかのひとのいくらかの生きがいを破いた罪を
その35倍くらいの人の生きがいを取り戻そうとすることで
あがなっている
びりびりにやぶかれた生きがいの創造と
アメリカインディアンの教えは
わたしの本棚にずっとある
ページが抜け落ちたまま
ぐちゃぐちゃにかびて古ぼけたまま