「ももちゃん親子の場合」という詩を以前書いていたことがあって。ももちゃん親子は死んでしまうのだけれど。
クリスマスはなんだか人を救うような幸せになれるような詩が書きたかった。
ももちゃんを救う詩を書こうと思っていたら、ももちゃんだったはずの子は「わたしは別の女の子でかなちゃんといいます」とのたまふ。かなちゃんはずっと母親の目の代わりをしていたヤングケアラーだったそうな。
ももちゃんを死なせてしまったことをわたしは後悔している。
ももちゃんはもう帰ってこないんだなと思う。
作品の中の女の子なのだから、神の手をもってわたしが彼女の生き死にを自由にしてもいいはずなのだけれど、きっとあと何人かの「ほんとうの」ももちゃんたちを助けてあげるまでは、わたしはそれを書けないのだろうなと思う。
詩を思うまま書いたあと、それが現実になってしまうことがたまにあるのだけれど、みんなあるものなのかなあ