オン・ザ・ロード
生鮮の聖戦
稲穂のサラサラいう音で目覚めた。私の田舎の原風景だ。もう上京して何年にもなるというのにどうしても、疲れがたまるとこの夢を見る。黒いアジア人の運転するトラックの荷台に、ヒッチハイクを共にする仲間たちとぎゅう詰めで乗り込んで旅をしていた。
ージャック、あなたはどこへ行くの?
ーおれは台湾。
ーわあ、いいね。美味しいものがきっとたくさんあるよ。
ーぼくはね、ノルウェーにいくんだ。
ーごついおっさんが鮭を獲りまくる国だろう、鮭と間違われてやられないようにな
ー鮭なんかに間違われるもんか、ぼくのこの胸毛をみろ。ヴァーー。ガルルル。
ーはいはい。ケイティは?
ケイティとは私の名前。驚くべきことにこの旅の途上では、ヒッチハイカーの女の子は何人もいた。パパの話では、ケルアックの時代は女はお家に置いてけぼりだったというのに。
ーわたしは、日本。狭いし、マジメな人ばかりだっていうから不安だなぁ。
ーなに、ケイティが少し首を傾げて笑ってやればみんな君に優しくするよ。
旅の時間の90%は、土埃にまみれたこの荷台の中で過ごすものだったが、楽しい仲間と和やかな会話のおかげで大した苦ではなかった。
目を覚ました私は、外の景色をみるために荷台にあいた小さな窓に近づいた。延々とつづくアメリカのハイウェイ。どこにいっても、道が砂埃っぽいのは同じだなと思う。でも土の匂いは、300マイルも離れればかすかに違ってくる。
ふるさとのサリナスから、ゆうに800マイルは離れただろうか。私たちは自分の本当の行き先は知らない。けれど、トラックに乗って旅をしようが、職場と自宅の往復を繰り返そうが、自分がどこに向かっているのかはっきりしている人などいるのだろうか?私たちは、なんとなくの行きたいところを、「自分の行く先」と信じて、そこについて語り、夢を語り、過程をたのしんでいる。私たちは結果を視野におきうつ、時間の大半を占める「過程」を楽しむコツを知っている。だから笑っていられる。
長い旅路にゆられ、黒いアジア人がチョコレートをうまそうにかじっているのを見ていた。少しずつ喉が渇いていることに気付く。彼は最近になって手に入るようになった新しいカカオの「ドラッグ」を舌の上でゆったりと転がし、フェニルチアニンを受容してにこにこしていた。インドや中国でも流通するようになったおかげで、カカオの需要が大幅に増え、チョコレートの値段は上がっているという。私は、どうでもいいなあと思いながらその話をBGMに眠る。眠っている間に、降りる者は降り、また途上で新しい人が乗せられて行く。眠ってる間に別れがすんでいるので、別れをつらいと思ったことはない。
頬を叩かれて目覚めた。「ついたぞ」アジア人の声だ。東洋らしい、下手な英語だったから逆にはっきりと聞き取れた。私は指定されたブースで手続きを行い、タグを受け取って胸につけ、待機する。ここはトラックの中よりずっと広く、空は白く光っている。同じように待機する他の者たちともすぐに打ち解けた。たくさんの友人ができた。ここでもルールは一緒。談笑し、過程をたのしみ、目をつぶってる間に誰かが去って行く。同じように過ごしたはずの両親を思い出し、出身地の書かれた胸のタグを誇らしく思った。
ただ、暫く過ごすうちに、ここでは特別なイベントがあることに気づいた。毎日定刻になると、エプロンをつけた集団が現れ、脱水しかけたり病気になっている仲間を選んで連れて行くのだ。連れて行かれた者は空き地に遺棄されるとのことであった。連行の先に待っているのは、死だ。私たちはいつもその集団を警戒していたが、なす術はなかった。
やがていつもの時間が来た。彼らは呪文を唱えながらやってくる。
「ド生鮮…ド生鮮…ド生鮮…ド生鮮…」
ここにきてからいちばんの相談相手だったケンが、選ばれて連れて行かれた。かれは数日前から風邪をひいていたのだった。悲しい別れは、生まれて初めてだった。
私は叫ぼうとしたが、かわききった喉のせいでうまく声が出ない。ケンと最後の視線を交わし合う。ケンはくたびれたからだで泣いていた。
私は、この冷酷無比な集団を憎んだ。自分が連行される最後の日まで、憎み続けた。「SEIYU」とかかれたエプロンを着た、21世紀のホロコーストの女たちを。