2014/05/20 | ぴいなつの頭ん中

ぴいなつの頭ん中

殻付き。そにっくなーすが言葉を地獄にかけてやる

友人宅の赤ちゃんがとてもとても可愛かったので、ついつい孫のようにむにむにいじくりまわして、母性が漏れ出た。母乳出るかと思った。

そこで考えるのが病気のこと。
私は筋肉の病気を遺伝している。
私が発症する可能性は50%。
私が子供を産んだらその子供が発症する可能性は50%。

夫となる人は妻と子供ふたりの面倒を見なくてはならない。

母親も祖母も同じ病気だったため、小さい頃から介護ばかりしてきた。介護のつらさはよくわかっているし、自分で自分のことができない歯痒さもよくわかっている。

私は引き継いだ病気によって、自分の夫となる人や子供になる人を苦しめる可能性が高い。わざわざ、愛なんていうふわふわしたものを言い訳にして、誰かと結婚したり子供を産んだりしてもいいのだろうか?
大事な人を苦しめるぐらいなら、最初から誰とも結婚せず、誰の子供も作らず、ひとりきりで生きひとりきりで死ぬほうが最大多数の最大幸福の維持になるではないか。

それでも、同じ病気を引き継ぐ親戚たちの中で、そんな生き方を選択した人はいない。結婚し子供を作り、人に迷惑をかけ、夫や子供に生活のいろんなことを手伝わせ介護をさせている。
彼ら親戚たちはそういう選択をしただけであって、それについて私は文句を言ったり批判したりするつもりはない。

きっと、予測される大きな不幸への恐怖よりも、これからありうるきらきらしい幸福とか経験とかへの渇望や期待が上回ったのだろう


同じ病気をもった母が、どうして私を生んだか、ちゃんと聞いたような気もするがなんて答えてもらったか忘れてしまったし、もう母も祖母も死んでるので今更それは確認できない。親戚の人へは心を開けなくてなんか聞けなかったりする。

でも、見てみたかったんだろうな、と漠然と思う。


私も幸福をみてみたいと思うようになるのだろうか?いろいろ無視して苦しいのもなんとかやっていこうと思えるほど、そういう女としての幸せを欲しがることができるだろうか?

とりあえず、父親にこれ以上喪主をさせる訳にはいかないのでまだまだ死ねない、これだけは確かだ。