成長してないよね、ってあのひとっぽい人が消えていく。成長してるよ!って怒っていうけどもうあのひとはそれは聞こえてない。わたしは夜勤前で急いで支度している。間に合わなくてもう15時、なぜか家にいるし着替えてもないのに乗り過ごして新宿まで行ってしまったようで、新宿ー新宿ーってアナウンスが聞こえる。じかんがないよーじかんがないよーって中学生の時みたいに泣きながら支度してて、その頃みたいにキツキツで生きられてるのかな?充実できてるのかな?ってぽつりと思う。ソファーに座る。こんなソファそういえばあったけどすわってなかったね。座ると広がる。グダグダしている時間はない、もう15:30だ。まだ家にいるなんて信じられない時間だ。早くしないと。でも服を出した直後に、カバンの中に服をしまっておいたことを思い出してあーってなる。持ってくのもこのままにしとくのも着るのもなにするのも面倒くさい。ママがくれたジャージ、たぶんもう捨てちゃったやつがあって、それを履いてたみたいだからちゃんと脱いで着替える。ママー!ママー!!!って叫びながら、眼は青空の向こうの窓の洗濯物を眺めている。ママはもういない。会わせてももらえない。夢でさえも顔を出さない。もう会えないということはいくらでも、この世にはある。
ママー!!!ママー!!!ママー!!!
なんども呼ぶ。呼ぶというより叫んでいる。助けを呼ぶみたいに、ママー!!!ママーママーママーママーママー!!!
夢の中だってこともあんまりわかってはいないけど、夢の中なのにもかかわらず、現実での物理的不可能が可能になる世界なのにもかかわらず、ママは出てこない。ママに会いたくても、時々しか夢に出てきてくれない。もう会えないということはいくらでも夢の中にもある。
目覚めてから泣いた。大事な人がみんな消えていっちゃうのかなって思った。自分の行動を振り返ればきっとそうなのかもしれないけど、でもわたしはこの世の誰にも会えなくなりたくなかったのに。死がリアルに頭を擡げて、寝る前の電話で起こったり笑ったり甘えたりしながら、必死に「死にたい」と言うのを我慢しながら「死にたい」っていうメッセージを送っていた。これで最後になるかもしれない電話は、特別にしてはいけない、だって会えないのがつらくなるから、でも死期を知っている自分の中だけではそれは特別で、さらに自分の中だけで特別にしておくのは勿体無くて、他の人の中でも特別にしてあげたかった。だから死ぬかもしれないんだごめんね、っていうサインを、直に表現しないように伝えた。それを見てママは怒ったのかもしれない。大事な人に心配をかけてあんたは結局死なないんだから、成長だってしてないんだから、もっと大人になりなさいと。欲張らずに、誰かの人生を羨まずに、自分の手足で自分の大事なものを守りなさいと。
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