蛇の心の中にいる蛇 | ぴいなつの頭ん中

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殻付き。そにっくなーすが言葉を地獄にかけてやる


小学4年生のとき、

「自分の感じ方がどうでも、他人から見て幸せそうな自分でいられたらそれがあなたの幸せなの?」

と母に聞かれて、その通りだとこたえたら母は失望していた。

なんで失望されなきゃいけないのかわからなかった。私はそのときもうすでに、感覚的に、欲望とは他者の欲望であり他者あってこそ自己の欲望があり得るのだということを知っていたの。

なんで失望されなきゃいけないのかわからなかった。でも母のがっかりした顔をみて、ああ私はなんか悪い考え方をしているんだろうなと思った。いや、悪いのかなってことさえも思わなかったかも。否定されるべき、存在が許されていない考え方をしているのだろう、治さなきゃいけないのだろう、としか思ってなかったような気がする。

なんで失望されなきゃいけないのかわからなかった。だって私の好きなもの惹かれるものを散々検閲にかけて潰しておいて傷つけて、私の幸福感を否定する意味はなんなの。あなたが生んだ私なのにどうして幸せを感じるのを止めるの。


いや、こんなのはお互いわがままのすりつけあいなのだ。母は娘という存在、若くて何も始まってない、すべてこれから始まる存在、そして自分の生み出した分身、似かよった、そんなまんこを持つこどもを、やらしい気持ちなしに愛し憎まない訳がないんだ。おなじに、娘もまた母を愛し憎悪する。初めて出会う全能の不完全体。ファルスと対等に接し独り占めする、しかし自身はファルスを持たない。娘は母に敵わないことを憎悪しそこから逃げ出そうとする。

母を亡くした私が乱暴なくらい自由に生きているのはそのためだ。もう私を支配するものなど何もない。他者からみて幸せそうな自分でいられたらもうそれ以上の幸福はないだろうと思い続けて生きる。母がこの物質界に残して行った男根であるギターを伴い、母以上に楽しそうに見える生活を選び続けてやる。

そしてきっとこのギターを弾いている限り、私は母の呪いからは逃れられないのだろう。母の記憶への羨望から。