部屋の整理にあたり、昔遊んでいた玩具を近くのドームで行われているフリーマーケットで出品、処分しようと思った。ダンボールに無下に詰め込まれたぬいぐるみや玩具たちに一抹の罪悪感を感じぬわけではなかったが、きっとかれらも新しい持ち主に手垢やよだれや愛でべとべとにめでられた方が幸福だろうと、トイストーリーを見て思ったのだった。おもちゃが大好きで、幼い頃は親の仕事も上り調子だったわが家庭に溜め込まれたおもちゃたちは大量だった。一人遊び用がメインである俗物的わがままラインナップを揃えていて、ダンボール3箱にも及んだ。
フリーマーケット当日は土日ということで親子連れが多く、ドームの中は乳臭い優しさのにおいで賑わっていた。私のおもちゃたちも美品が多かったので(私が小さい頃、少し遊んですぐ飽きて次に乗り換えていたためだ)小さな子供達につぎつぎと貰われていった。
そうして午後がゆったりと過ぎた頃、大人しそうで若い女の子が前を通り過ぎた。ひとりで、いなかのドームで、恋人もいず、服装も気にせず、って感じの、すすけた雰囲気の女の子だった。やる気のない女だな、顔立ちは美人だし、もっと服やメイクに気を遣えばどうにかなりそうなのに、と思っていると、その女の子は、私の思いに気づいたように私の店の前まで舞い戻り、私と目を合わせると涙で顔を曇らせた。
私が、えっ?!とまごつきを表面化すると、彼女は私を睨みつけた。それまでは火の消えたろうそくみたいだった目が、マッチを近づけられたかのようにカッと火を灯した。
やばい、私、いま思ってたこと、無意識に伝わっちゃったのかな。
謝ろうか迷っていると、彼女は私の思惑と視界からはずれ、
ゆっくりと一体のスナフキンのぬいぐるみに手をのばした。スナフキンは、オルゴールが内蔵されていて胴体は硬く、左臀部のネジをまくと柔らかな綿のつまった首をふりながら「遠いあこがれ」を歌ってくれるのだ。
「これ…」
手にとるなり彼女はスナフキンを流れる涙でべとべとにしはじめた。
ママを病気で亡くしてから、あたしの人生はよりかかるところの何もない宙ぶらりんだった。代わりに抱きしめてくれるひとを探したけれど、抱きしめてもらうには愛嬌とおしゃれと、なにより誰かを愛する勇気が必要だった。ママがもういないあたしにはそんな要素は何も持てなくて、恋人同士や親子連れを妬み、うらやみ、ママが教えてくれたロックバンドの曲を爆音で聴きながらぼんやりと街を徘徊する毎日だった。
今日だって、さみしくて人がいっぱいいるところに行きたくてここにきた。さみしいときは人混みに限る。人混みはあたしの存在を大事に抹殺してくれる。誰でもないあたしにしてくれる。そして悲しみを背負ってるのはあたしだけだと思わせてくれる。こんなド田舎じゃこのドームの催しくらいしか人混みに溶けられる場所がなくて、だからここに来たのだ。
そうして偶々、フリーマーケットの中のおもちゃを売ってる人のところで、あたしはそれをみつけた。みつけた瞬間、自分でも気づかないくらいの大量の涙が流れて止まらなかった。
思い出した。
何も知らぬ祖母に捨てられてしまった、ママとの思い出の品、
スナフキンのオルゴールについて。
思い出の中にしかないので記憶を頼りに朧げなイメージしかないのだが、ぬいぐるみスナフキンの首がちかちか回る、ちょっとぽけっとした形のオルゴール。たぶん目の前にあるこのオルゴールと一致する。コロンとした足とか、ふわふわした質感の帽子とか、胴体のかたさ、おしりのネジのかたち。
捨てられちゃったのはずっと前だし、買ってもらったのはもっともっとずっと前だし、ママはもういないから、答え合わせはできないけれど。
ただ、覚えているのは、
オルゴールの悲しくて優しいメロディにのせて、ママがあたしの歌を作って歌ってくれたこと。
ゆい、
ゆい、かわいいゆい
みたいな単純で適当な歌詞だったけれど、あたしはその中に自分が触れてはいけないのではないかとおもうほどの愛情を感じて、聴くたびに涙を流した。
それは幸福のうれし涙ではなく、身に余る幸福に触れたときの、混乱に近い涙だった。だから混乱による自己崩壊への嫌悪と恐怖のためにあたしは無意識にそのオルゴールをクローゼットの奥深くにしまいこんでいた。
ないちゃうからやだ、と言ってママにも歌わないでと頼んだ。
ママは笑っていたが、どんな風に思ったかなどわからない。
歌や音楽のちからに幼いながらも畏怖を感じた娘を、感受性の鋭い子だとよろこんでいたかもしれない。心を揺さぶる音の怖さを知ってしまった小さな娘を、早熟な才能の発揮として胸を踊らせたかもしれない。ただ単にかわいいなと思ったかもしれない。心を込めた歌を拒否されてちょっとさみしかったかもしれない。
それはわからない。ママが生きてたって死んでたって、それが分からないのは同じだ。
あたしはそのオルゴールについて、売り子をしてる人にぽつぽつと話した。その人は何も言わずに頷いて、持っていっていいよとスナフキンを手渡してくれた。なんども千円札を渡そうとしたけれど、その人は全力で拒否した。すんなりとのびた素敵な腕だった。
あたしはそのひとをすきになった。
もう会えないであろうその人のすんなりした腕があたしを抱きしめる夢をなんども見た。おとなになってある程度刺激に強くなったあたしは、オルゴールの曲をなんども聴くうちに涙を流さなくてもよくなってきて、すりきれるんじゃないかとおもうほどなんどもオルゴールのねじを巻いて気をやった。
やがてあたしは至上の愛の表示方法としてその人の歌をつくり、そのために買ったギターを持ってドームのまえで毎日歌って過ごした。毎日同じ歌しか歌わなかった。その人のための歌と、「遠いあこがれ」。