新宿が好き | ぴいなつの頭ん中

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殻付き。そにっくなーすが言葉を地獄にかけてやる

荻窪から黄色っぽいラインの電車に乗り新宿へゆく。
順調に回復してきている私の診察は矢のように素早く終わり、時間があまったことに気づく。乗車してから5分後のことだった。
空いた席に座れてるし、このまま少しだけわざと電車を乗り過ごして、御茶ノ水かそこいらで引きかえそうか。そう思ってだらだらと本を開いた。

その時、夕日のやける匂いがした。目をあげて車窓の外を見ると、あがった雨とこれから降る雨の境目に、柔らかい色の夕日がやけている。天使でもおりてきそうな、パラマウントピクチャーみたいな空の色だった。

空の色に魅せられたわたしは、なんとしてもこの夕日を生でみたいと思った。次の駅で電車がとまるなり急いで車両から出て、ホームをわたり今きたほうへ帰る車両に乗り込んだ。
途中下車したいところだが、定期圏外なのでお金がかさんでしまう。夕日がいくらきれいでも、夕日のためにお金をかけられるほどわたしは裕福ではない。新宿まで急いで戻った。

新宿駅で電車を降り、人ごみに呑まれつついらいらした気持ちで改札を超えた。空の景色は、ちょっと目を離しただけですぐに変わってしまうものだ。ただでさえ、雨のせいで雲の動きが肉眼ですぐ認められるほど早いのに。焦っているので出口を間違う。いつもはのっそりと踏みしめてゆく階段を素早く駆け上がる。

地下から這い上がる。空を見ると、西口の方面にしろっぽい光を放つ夕日がやけていた。光は強く長く平等にさすけれど、今日はやけているというよりぐつぐつ煮えているじゃがいもみたいだ。夕焼けじゃなくて夕煮えか。

出たのが東口だったので、人ごみやキャッチやティッシュやコンタクトを掻き分けて西口の方面へ走った。早くいかないと日が沈んじゃう。奇しくも美しい景色は新宿のビル群にいいところを隠され、高いところに上ったらきっともっと美しく見えるのだろう。
でももし、上れる場所があったとしで、上っている間はわたしはきっと自分のあしもとをみることで精一杯だし、そうこうしている間に夕日が落ちてしまうかもしれない。夕日がおちたあとの暗さはさみしい。たのしい時間が終わってしまった気がして。だからおちるまえに、しっかりと夕日をこの目にしておくんだ。もう二度と同じものは見られないであろう、百面相の空の景色を。

ビルのすくないあたりを探して、わたしはすたすたと走った。まるで何かを追いかけているように。うんそうだ、夕日を追いかけているんだ。絶対に追いつくことなどないけれど、その姿を見るためだけに。

夕煮えは昔見た映画のワンシーンを思い出させた。屋根の上に乗ったロボットの少女が、陽の光に当てられ輝く金髪をなびかせる。肩に偶然とまった鳩は天使の羽根のようで、中学生だったわたしはその少女によって「無垢」という言葉を覚えたのだった。

流れの早い雲はくるくるとまわり、形を変えながら夕煮えにまとわりつく。ことことと煮詰められて水分と優しさをふくんだ、柔らかい野菜のような、母の愛のような、そんな光が私の無垢な部分を照らした。気恥ずかしいような、誇らしいような、そんな気持ちで、沈みゆく一日を見送った。

気づいたらひとつ隣の駅まできていた。苦笑いしながら、新宿へと戻った。