ジョンレノンを射殺したあの男は、ジョンレノンが好きで好きで仕方なかった。
私は彼の気持ちがよくわかる。私もまた彼と同じタイプの人間だからだ。
彼はきっと、ジョンレノンが好きすぎて、自分の心に住まわせたジョンレノンを大きく育てすぎたのだ。かれの依存心と執着心と欲求とあらゆるものを餌にして大きく育ったジョンレノンは、彼の心を侵食し、彼の人格をジョンレノンの人格にすげ替えた。かれはジョンレノンを思うあまり、ジョンレノンそのものの心になってしまったのだ。
自分が育てた、心の中のジョンに巣食われていることに気づいたかれは、自我が奪われてしまうことに恐怖を感じた。じぶんを取り戻す方法を考えあぐねた結果、ジョンを殺すことしか、自分を取り戻す最善の方法を思いつかなかったのだ。
この、対象への愛と深い思い込みが、カービィのように他者をコピーする能力を発達させたのだ。
小さい頃からごっこ遊びがすきだった。好きになったアニメの登場人物を、言語化できないレベルで緻密に研究し、分析し、それを忠実にコピーして生活すべてを「登場人物」としての私に任せて生きていた。
だれかになりきって誰かのふりをしないと自分の人格を守れないなんて弱い人間のすることとされた。だから、なりきりによる不自然な言動は、異常なほどの依存心と自信のなさ、すなわち人間としての弱さを全面にアピールしていることとなる。弱さアピールしかしない人間を、他人が愛するわけもなく、私はいつも浮いていたしいじめられた。理由はわかっていた。私の言動は他人からみると、何かが変に見えるのだ。でも小さい頃からこうやってコピーを切り貼りして生きてきたわたしに、素の自分なんてあるかわからないし、わかるわけもない。だいいち、普通に生きてる人たちだって、何かしらのものから影響を受けているはずだ。親などの他人やら、本やら、漫画やら、バンドやら歌手やら。それらの細かいコピーの貼り合わせだから、だれとだれのものを集めたかなんて簡単に分析できなくて、そのコラージュを「素のままの自分」と呼んでるんじゃないか。命を持つものはすべて他者とかかわりながらいきていくものだから、だれからも影響をうけずにじぶんだけで生きているなんてひとはたぶんいない。自分に影響を与えた他者を取り込んだ様々なデータを、細かく刻んで貼り合わせたら、見かけ上はまるで違ったものになる。私と普通の人のちがいは、刻むか、刻まないか。ひとつに思い込むか、思いをいろんなものに散らばすか。ただそれだけなのだ。
それでも、嫌われたりしたくないし、人を殺したくなったりしたくないし、うまくやりたいから、大人になるとき鋏が必要になる。
鋏は女が女として所持できるいちばん価値の高い武器だから余計にそれが欲しい。
せっかくコラージュのための鋏を手に入れても、鋏だけではただの武器になりかねない。きっと私は糊も欲しくなるだろう。
わたしは人殺しにならないために、自分をセーブして鋏と糊が手に入るのを待つ。自己と同一視するほど何かに惹かれてしまわないように。心細いことだけど。