山手線 | ぴいなつの頭ん中

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殻付き。そにっくなーすが言葉を地獄にかけてやる

「頑張る人は好きじゃない」
と酔った笑顔で言った女は痩せててよくいるかんじの雰囲気だったが、楽しそうにしていて羨ましかった。わたしはその女が傘を腕に掛けているのがすごく気になってしまった。腕に掛けて全体を傾けた傘の先端部分は、座っているちいさな老婦人の上品な風呂敷を無意識につついて汚していたのだ。老婦人はなんとも言わなかった。なんとも言わずにその先端をじっと見ていた。

その目線が、なんだか盲目の老婆に見えた。入院しているおばあちゃんで、昨年の秋に失明したばかり。見えてはいないのだけれど、その目は何かを追っているように見えたし、また一点を見つめているようにも見えた。

傘につつかれた老婦人はきっと、今この瞬間をやり過ごすために、盲目のふりをしているのだろうと思った。自分をころして見ないふりをしているのだろうと思った。努力をしてもしなくてもいい若い人間と、息をするにも服を変えるにも努力を要する年老いた人間。老婦人は、あきらめを感じているように見えた。

若い人間である私は、何も言えなかったし、何もできなかった。それが電車に乗る人間の無意識のマナーなのだ。何もしないし、何もいわない。この近距離にもかかわらず、他人に干渉されないからこそ、電車のなかの心地よさは保たれる。この人たちは他人だから、わたしはなにもいわない。なにもしない。干渉されたくないから、干渉しない。

電車は次の駅で停まり、ドアがあいた。中途半端な風が吹き込む。地元の私鉄線とおなじくらいの混み具合なのに、ここ東京の山手線は、地元にはないいろんなものがまじった匂いがした。