この仕事をする為に、○○時間したから、○○円の価値がある。
この発想は正しいだろうか?
あるいは、正しく無いのだろうか?
少し考えてみてください。
正しいと思えるが。
自分の成果の制限(リミット)を作ってしまっている。
逆の発想だが、
「これだけの報酬がいただけるのであれば充分だ」と言う自分の成果の制限(リミット)を無意識にインストールしてしまっている。
「自分の成果は、無限の価値を人々に対して与える。」という意識が必要。
でも、予算が充分では無いことがある。
制限の中で仕事をする意識は無いのだが、自分が考える報酬では無い場合、
無意識のなかで
自分のアイデアや、発想や、デザインする気持ちに目に見えない制限がかかってしまう。
そのため、自分の作品に力が無くなる。
予算がなくても仕事をしないと行けない状況の時。
「自分の成果は、無限の価値を人々に対して与える。」という意識があれば
卑屈にならず、堂々と自分の価値を表現していく事ができていくはずだ。
また、この仕事でクライアントに対して与えた価値はまた別の形となって帰ってくるという感覚が芽生える。
プレゼンの現場から
某日、某所で大手設計事務所にプレゼンテーション
映像が流れて、10秒もたたずに
「これの予算は?」
また別の映像を見せると
「これの予算は?」
大規模な施設だけに設計業務に追われすぎて、
予算と出来映え
だけに気を取られすぎているのかも知れない。
設備の目的がしっかりしてる空調や電気や給排水などは
それで良いのかも知れない。
でも、私が提案する内容は、映像でも、音でも、パースでも伝わらない
効果という部分なのかも知れない。
演出設備には、出来映え以上に、その効果をプレゼンしないといけない。
先日、引っ越し業者のスキルを競うテレビ番組があった。
A社は、養生、丁寧、迅速、てきぱきと片付け、周りの住宅にも挨拶周りを行った。
後で梱包をほどいた時に困らない用にデジカメで写真を撮る配慮もあった。
B社は、引っ越しの準備にかかる前に、ベビーベットを新しい、ビニルカバーで養生し、壁の養生には、
子供の喜ぶ動物のイラスト。
違いは歴然であった。審査員の多くはB社を選んだ、すべて顧客目線で考えているところが勉強になった。
「引っ越しぐらいだから少しぐらいは無理してもらわないと」と言う感覚が、業者に芽生えれば、
顧客の意見は、意見でなくなり、クレームになる。
B社のすごいのは、クレーム以前の頭に微妙に浮かぶ不快感まで計算に入れている点だ。
お子さんが昼寝をしている時に引っ越し業者がドアを開け無いように。
「お休み中」の札を部屋の前につける工夫。
包丁は危険なので、どうしても梱包が厳重になる、でも裏返しできちんと明記しておかないと開梱する時に事故につながる。それを避ける為の工夫。
話しが横に逸れたが、演出装置の提案は、
B社の様な
目に見えないけどすごく重要な価値を創る事に在るんだと思いました。
そういう意識で仕事に取り組む事でいろんなものが見えてくると思う。
この意識だけは守り続けたい。
某日、某所で大手設計事務所にプレゼンテーション
映像が流れて、10秒もたたずに
「これの予算は?」
また別の映像を見せると
「これの予算は?」
大規模な施設だけに設計業務に追われすぎて、
予算と出来映え
だけに気を取られすぎているのかも知れない。
設備の目的がしっかりしてる空調や電気や給排水などは
それで良いのかも知れない。
でも、私が提案する内容は、映像でも、音でも、パースでも伝わらない
効果という部分なのかも知れない。
演出設備には、出来映え以上に、その効果をプレゼンしないといけない。
先日、引っ越し業者のスキルを競うテレビ番組があった。
A社は、養生、丁寧、迅速、てきぱきと片付け、周りの住宅にも挨拶周りを行った。
後で梱包をほどいた時に困らない用にデジカメで写真を撮る配慮もあった。
B社は、引っ越しの準備にかかる前に、ベビーベットを新しい、ビニルカバーで養生し、壁の養生には、
子供の喜ぶ動物のイラスト。
違いは歴然であった。審査員の多くはB社を選んだ、すべて顧客目線で考えているところが勉強になった。
「引っ越しぐらいだから少しぐらいは無理してもらわないと」と言う感覚が、業者に芽生えれば、
顧客の意見は、意見でなくなり、クレームになる。
B社のすごいのは、クレーム以前の頭に微妙に浮かぶ不快感まで計算に入れている点だ。
お子さんが昼寝をしている時に引っ越し業者がドアを開け無いように。
「お休み中」の札を部屋の前につける工夫。
包丁は危険なので、どうしても梱包が厳重になる、でも裏返しできちんと明記しておかないと開梱する時に事故につながる。それを避ける為の工夫。
話しが横に逸れたが、演出装置の提案は、
B社の様な
目に見えないけどすごく重要な価値を創る事に在るんだと思いました。
そういう意識で仕事に取り組む事でいろんなものが見えてくると思う。
この意識だけは守り続けたい。
整理整頓が出来ない。
これは、頭が痛い話。
整理整頓の話に関する本も沢山出版されている。
私も多分本棚を探せば、2冊程度は出てくるかと思う。
整理整頓をする動機は
どういうのがあるだろう?
来客がある。
探し物がある。
上司からデスクの上を整頓しなさいと言われた。
これらは行動の原因は
痛みを避ける事である。(ムチ)
痛みを避ける為の行動は効果が高いが、常に与えられると結構つらい。
毎日、夕方になると上司が
「机を整頓しなさい」と言われると多分気がめいる。(笑)
つまり、整理しないといけないと思う気持ちが
他動的な要因で与えられた場合、継続性が無いのである。
自発的な要因で整頓をする動機づけは、継続性がうまれる。
その為に
整理をする事でもたらされるメリットについて考える必要がある。
整理する事で「いつも、田中さんのデスクは奇麗ですよね」と褒められる事もあるかもしれない。
でも、一番大事なのは、良い仕事ができる環境を手に入れる事が出来るんだという、
自分の気持ちの方が大事で
整理整頓をすることでもたらされる価値、ベネフィットを頭に思い描く。
必要な書類、様々なデーター、名刺、などがほぼ瞬間的に出せ、
机の上には、必要な書類以外なにも置かれていない状態。
全てが機能的に動き、その中で新しい、情報を見つけ出す事が出来る。
つまり、良い事がたくさんある。
そういうイメージをもっともっと、強力にする。
例えば、
自分の為の仕事場、そう、それは、飛行機のコックピット。
全てが自分の意図するように配置されてあり、機能的に配置されている。
どんな場所(仕事)も瞬間的に分析して飛んで行ける。
イメージを強力にしていくと一つ新しいキーワードがうかんだ。
整理の目的は、時間を作り出す事。
これは、頭が痛い話。
整理整頓の話に関する本も沢山出版されている。
私も多分本棚を探せば、2冊程度は出てくるかと思う。
整理整頓をする動機は
どういうのがあるだろう?
来客がある。
探し物がある。
上司からデスクの上を整頓しなさいと言われた。
これらは行動の原因は
痛みを避ける事である。(ムチ)
痛みを避ける為の行動は効果が高いが、常に与えられると結構つらい。
毎日、夕方になると上司が
「机を整頓しなさい」と言われると多分気がめいる。(笑)
つまり、整理しないといけないと思う気持ちが
他動的な要因で与えられた場合、継続性が無いのである。
自発的な要因で整頓をする動機づけは、継続性がうまれる。
その為に
整理をする事でもたらされるメリットについて考える必要がある。
整理する事で「いつも、田中さんのデスクは奇麗ですよね」と褒められる事もあるかもしれない。
でも、一番大事なのは、良い仕事ができる環境を手に入れる事が出来るんだという、
自分の気持ちの方が大事で
整理整頓をすることでもたらされる価値、ベネフィットを頭に思い描く。
必要な書類、様々なデーター、名刺、などがほぼ瞬間的に出せ、
机の上には、必要な書類以外なにも置かれていない状態。
全てが機能的に動き、その中で新しい、情報を見つけ出す事が出来る。
つまり、良い事がたくさんある。
そういうイメージをもっともっと、強力にする。
例えば、
自分の為の仕事場、そう、それは、飛行機のコックピット。
全てが自分の意図するように配置されてあり、機能的に配置されている。
どんな場所(仕事)も瞬間的に分析して飛んで行ける。
イメージを強力にしていくと一つ新しいキーワードがうかんだ。
整理の目的は、時間を作り出す事。
どうしてその間違いが起こったのか?
忙しいと確認する作業がおろそかになるのと。
自分のなかで、あれだけやっているのだから大丈夫だろう。
という考えが悪い思い込みになってしまう。
この思い込みはちょっと厄介。
判断の基準の軸を自分中心にゆがめてしまうのだ。
忙しかったから仕方ないか・・・・
と考えてしまうと、判断の基準は変わらない。
また忙しくなると同じような失敗をしてしまう。
その時も同じ様に、
忙しかったから仕方ないか・・・・
そういう風に思ってしまう。
比較的落ち着いている時はいいのだが、早く作業や、判断を迫られると
自分の判断はぶれて、クオリティが低下する。
無意識のプログラムでそれが組み込まれている。
なんらかの出来事、あるいは刺激に対して、
どういう風に思って、そういう風にアクションを起こすか?
この判断の基準が変わらない事には、人は全く同じ失敗を繰り返す。
自分の無意識の構造(プログラム)はこんな感じ。
忙しくなると、時間が無くなるので、何事も早く、早く急いで処理を進めようと
頭が考えてしまう。
その結果、甘い判断で結論がだされたり、任せたから大丈夫だろうと思ってしまう。
今度、自分が考えないといけない判断基準は
時間にしばられいるという意識を変える。
もし、○●さんだったらこの状況で
どういう風に感じて、どう思うだろうか、そしてどんな行動をするか?
自分がいるレイヤから、一ランクチャンクアップして、自分を観察する。
ひとつ、ひとつの情報をもっと謙虚に取扱う。
アウトプットの品質を向上させる為の研究を行う必要があるだろう。
客観的な目でチェックするという工程を設ける事も大事かも知れない。
問題発生、失敗は起こるもの。
でも、原因が無い事には問題も失敗も発生しない。
問題が起こるのは
「忙しかったからだ」と考えたとすると、ダメ!(2次的原因)
では、なぜ忙しい時に問題は起こるのか?(1次的原因)
1次的な原因は、個人個人の判断基準(無意識)の思考プログラム。
この状況(情報)に対して、
どういう風に感じて、
どう思うだろうか、
そしてどんな行動をするか?
という深い部分、この部分が変わらないと、同じ失敗や問題を巻き起こす。
問題、失敗は、自分を変える(正しく)する為の出来事。
問題は成長の兆しと考えよう。
忙しいと確認する作業がおろそかになるのと。
自分のなかで、あれだけやっているのだから大丈夫だろう。
という考えが悪い思い込みになってしまう。
この思い込みはちょっと厄介。
判断の基準の軸を自分中心にゆがめてしまうのだ。
忙しかったから仕方ないか・・・・
と考えてしまうと、判断の基準は変わらない。
また忙しくなると同じような失敗をしてしまう。
その時も同じ様に、
忙しかったから仕方ないか・・・・
そういう風に思ってしまう。
比較的落ち着いている時はいいのだが、早く作業や、判断を迫られると
自分の判断はぶれて、クオリティが低下する。
無意識のプログラムでそれが組み込まれている。
なんらかの出来事、あるいは刺激に対して、
どういう風に思って、そういう風にアクションを起こすか?
この判断の基準が変わらない事には、人は全く同じ失敗を繰り返す。
自分の無意識の構造(プログラム)はこんな感じ。
忙しくなると、時間が無くなるので、何事も早く、早く急いで処理を進めようと
頭が考えてしまう。
その結果、甘い判断で結論がだされたり、任せたから大丈夫だろうと思ってしまう。
今度、自分が考えないといけない判断基準は
時間にしばられいるという意識を変える。
もし、○●さんだったらこの状況で
どういう風に感じて、どう思うだろうか、そしてどんな行動をするか?
自分がいるレイヤから、一ランクチャンクアップして、自分を観察する。
ひとつ、ひとつの情報をもっと謙虚に取扱う。
アウトプットの品質を向上させる為の研究を行う必要があるだろう。
客観的な目でチェックするという工程を設ける事も大事かも知れない。
問題発生、失敗は起こるもの。
でも、原因が無い事には問題も失敗も発生しない。
問題が起こるのは
「忙しかったからだ」と考えたとすると、ダメ!(2次的原因)
では、なぜ忙しい時に問題は起こるのか?(1次的原因)
1次的な原因は、個人個人の判断基準(無意識)の思考プログラム。
この状況(情報)に対して、
どういう風に感じて、
どう思うだろうか、
そしてどんな行動をするか?
という深い部分、この部分が変わらないと、同じ失敗や問題を巻き起こす。
問題、失敗は、自分を変える(正しく)する為の出来事。
問題は成長の兆しと考えよう。
ホスピタリティ。
純粋なこころがあって初めて、人にそれが伝わるのではないかと思っています。
マインドの方向性、圧倒的な意識、判断の基礎となる気持ちのエンジンのようなものがあって。
それを実現する為に日々の努力を惜しまない、それがきっとその人の素晴らしさを作っている。
この動画はそんな事を感じさせる。
純粋なこころがあって初めて、人にそれが伝わるのではないかと思っています。
マインドの方向性、圧倒的な意識、判断の基礎となる気持ちのエンジンのようなものがあって。
それを実現する為に日々の努力を惜しまない、それがきっとその人の素晴らしさを作っている。
この動画はそんな事を感じさせる。