渡辺繁一のブログ -40ページ目

渡辺繁一のブログ

演出の効果を設計する

思い込みは厚手の服をあったかい時に着ているようなもの。寒いときには役に立つが、あったかくなっても着たままなので、活動の範囲を妨げている。
公には公表できないけど、新しい発見が。
この発見をどう生かすべきなのか?

確かに他には無い物は価値があるので「おもしろい」という評価は出るかも知れない。

しかし

面白い イコール 欲しくなる。

の方程式は成立しない。

ただ単にそのものを

「はい、こんなものができました。よろしくお願いします。」

と紹介したのでは、クライアントはそれをどういう風に利用してクライアント自身の価値を上げるため為に利用していいのかが解らないものなのだ。

世の中にはそんなのが一杯ある、○○展示会に行くとそれが沢山沢山展示してある。(笑)

価値がある イコール 欲しくなる。
期待がある イコール 欲しくなる。

の方程式は成立する。
仕事はトラブルがつきものだ。寝耳に水、理不尽と思える「機材の故障」

大事な状況。

それも一世一代の格別大事な状況にあっけなく動かなくなったり、意味不明の振る舞いを起こしたりする。

それは、プレッシャに弱い新人君のような個性?
と思わせる程ナーバスだったりする。

なんでも無い時は驚くほどパフォーマンスが良いのに、肝心のときにはそれが萎縮してしまう。

そんな話をこの業界の人間はするのが好きだ。

そして、こんなトラブルが起こった時、僕はこんな対策でその状況を乗り切った。

僕も昔、機材の直流電源が本番中にぶっ飛んだ時に、3分でそれを復旧させたことがある。ショーとショーのわずかな隙間の時間。自分の車のバッテリをはずし、直接その機材につなぎこんだ。

後日、調査するとメーカーの初期不良だった。

この業界の人間は苦労が好きなのだ。苦労が大きければ大きいほど旨くいった時の美味しさ(達成感)がみなぎると言う訳なのだ。

そしてそれが自分しか出来ない事であったりする。
そうすると自分の心地よい居場所ができる訳。
受け持ち、あるいはキャラ。
自分は人に解決できないトラブルを解決できる人間だと思い込んでしまう。
それは決して悪い事では無いと思うのだが、日常の生活でもそれが出てしまう。
人やシステムが旨く行くことに喜びを感じるので、率先してアイデアを出してそれを解決する方法を出す。

それが非常に貴重なアイデアであったとしても本人がその価値に気づいていないことが多い、おうおうにして職人気質はその傾向がつよい(笑)

しかも、あまりに簡単にその答えを出してしまうので、それが今までの過去の経験からでてくるものだということを相手に感じさせないことがある。

言い方を変えると説明不足なのだ。答えだけを与えても、相手が価値を理解できない。ジャングルに住んでいる17歳の高校生にシャネルの服を進めるようなもの。

軽く見られてしまい、自分の重要であるという感覚を感じてもらえなかったりすると会話そのものがストレスに感じることがあるかもしれない。

相手が理解しないものは相手にとって価値が無いという理窟を知らないといけない。

極端な話、相手が理解しないものは存在すらない。と考えてもいいだろう。

だから、熱心に説明した後でこんな質問がかえってくる。

で、それで? それがどうしたの?

この冷酷な質問をした相手が

 「なるほど!!それ、すごく良いね」

と唸るような答えを、理解を、ブレークスルーを。与える為に

どう会話すればいいのか?と考えかたをチェンジさせる必要がある。

でも?それがどうやれば理解ができるのだろうか?

これが以外と難しい、なんか文書で書いてあったなぁ~という理解は

本当に理解することとはかなり離れた存在だ。

考え方を変える、というのは本当に難しい。
失敗した時
間違ったことをしてしまった時
失礼な事をしてしまった時

他人からひどく怒られたりすると、自分はなんでこんな事をしてしまったのだろうと考えてしまい、自分自身を攻めてしまいます。その考えが最近良く無いと気づきました。

「相手は自分の人格まで否定していない」といろんな本では書いてありますがなかなかそう思い込むこと、考える矛先を変えるまではいきませんでした。

「こんな事をするなんて自分らしく無い行為だ」と考えることで
「じゃ次はどうするの」「本来はどうするべきだったのか」
建設的に失敗を分析する勇気が湧いてくるようになりました。
頑張れ、頑張れ!

心の中で自分を励ます声がする。

自分が自分に檄を飛ばしていたわけだ。

人との比較に於いて○○の面に於いて自分が劣っていると感じると、

「だめだなぁ」「もっと頑張らないと」と自分を追いつめる。

そんな蓄積が劣等感になり、自分へのストレスになっていく。

意思(頭)の力が非常に強かったり、人の意見に敏感になればなるほど、

自分の心をさらけ出すのが怖いものだ。

だから、頑張ることでその怖さを押さえ込んでいる。

頑張るとか努力する事は大事なことだと小さい時の経験でそう思い込んでしまっているが

本当にそうだろうか?

自分の意思(頭)の力で無理矢理にそれを行っていると

いうイメージが払拭できない。

心は本当にそれをしたいのだろうか?

心がそれを本当にしたいと欲しているのであれば。

「努力してはいけない」「頑張ってはいけない」 のです。