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渡辺繁一のブログ

演出の効果を設計する

ソニー開発の『18か条』

第七条 商品の弱点を解決すると新しい市場が生まれ、利点を改良すると今ある市場が広がる。

弱点というのは、人によって違うという事を理解する必要がある、カメラという限定された商品を例にとるとよくわかる。

プロシューマとしては作品をよりひきたたせるため、マニュアルでフォーカスを合わせるのがプロのスキルである、という考え方が幅を利かせていたのであまり必要性はなかったと思われていた。(問題では無い)

アマチュアのニーズは芸術性の高い、きれいな写真を簡単に撮りたいということだ。だから厳密にフォーカス合わせるスキルは問題点になるのだ。(問題有り)

オートフォーカシングの機能は、今まで写真撮影は専門家の領域だと思われていた写真撮影の世界を変えたといっても良いと思う。

美しい芸術性溢れる写真を自ら撮影できる喜びをこの機能(問題点の解決)は創りだしたという解釈をすると「商品の弱点を解決すると新しい市場が生まれる」という意味がよくわかる。

さらに、この機能を改良を加え、当初で始めのオートフォーカシングの機能は1点から8点程度のフォーカスポイントであったものが改良を加えることで現在は32点とか51点とかに進歩している。

オートフォーカシング機能が出始めのころは、作品意図を忠実に再現するには、フォーカシングポイントが少ないのでマニュアルで合わさざる得なかった。

それが、今では51点、こうなると本当にだれでも、プロ並みの(撮影のスキルという意味)写真を撮ることが出来る、という新しい可能性を潜在的な顧客に働きかける事ができる。結果、今の市場が広がるのである。
ソニー開発の『18か条』

第一条 客の欲しかっているものでは出なく客のためなるものをつくれ。

「客」という表現に違和感を覚える、やはりお客様と言うべきだと思う、いつもこの文章がソニーの開発のスタッフの頭の中に流れていると思うとちょっと怖い、上から目線のイメージが強い、と感じるのは私だけだろうか?働いている人はそういう風にとらえていないとは思うのだが、言葉の力は侮れない、日常の生活の中で取り繕うとしてもそれは行動に現れる。お客様あるいは、クライアントと修正するべきだろう。
でも、お客様のためになるものをつくれという姿勢は激しくリスペクトする。もっと切り込んだ言い方に変えると、お客様としてふさわしいもの(お客様のためになるもの)を提供するために何が私にはできるのだろうか?というクエッションを開発者はプライマリーにすればいいと思う。


第ニ条 客の目線ではなく自分の目線でモノをつくれ。

これも同じく、「客」をクライアントか「お客様」と変更するべくだろう。
よく、お客様の目線で物事を考えてというがそれは大きな見当違いであることが解る、どうにかしたいお客様はそれを伝えるために自分の世界観でしかリクエストをしないあるいは出来ないものなのだ。その意見をリスペクトすることは重要だが、その通りにすることをお客様は望んでいる訳ではない。何となくこんな感じに対する言葉をそのまま言葉通りの解釈をしたのでは進歩やイノベーションは全く無縁の世界だ。お客様からの意見は「貴重な情報」であって、こころ中ではもやもやしたものを形にしてくれるのを望んでいるのだ。そのもやもや感を理解し、自分の意識のレベルを超えた部分に落とし込み、常にもやもやをなんとかするために自分の持つあらゆるスキルやリソースを駆使し、潜在的な意識に考えさせ、統合ができた時に、良い商品が生まれる。


第三条 サイズやコストは可能性で決めるな。必要性、必然性で決めろ。

どうしとも、モノをつくるという行為は、プロダクトを作る、生産者という目線で考えてしまう。新しい素材が出たから使ってみたいとか、歩留りとか生産体制を最適化することが重要である。工程、段取りが大事。という生産体制優位主義の様なものを感じることがある。

僕も昔、メーカーに勤めた時がある。最初、生産のラインで生産の作業をし、そのあと、検査する作業も体験した。そしてその後、開発の仕事に配属されると、生産の「効率化」、「合理化」に対する考え方が頭の中で一つの法律あるいはルールのように作用してしまう。不幸な事にこの作用していることは本人は全く気づかずに開発の仕事をしている。つまり「開発の仕事」になっていない事がある。 別名この「思い込みは」仕事のその人なりの「やり方」であり、判断の基準とも言える大事な部分だ。

極端な話、言葉の意味が全く違うのだ。必要性、必然性が自分自身の解釈が異なると全くこの文章の訴えることが違ってくる。

上記の文章を言葉の組み合わせで解釈するのと、読んだあと、実際的なイメージとしてどういう事か?と受け止めるのでは全く異なる。




第四条 市場は成熟しているかもしれないが商品は成熟などしていない。

商品開発は、いやがおうでも市場、マーケットを意識します。でも、意識し過ぎは、この市場は成熟してしまっているから・・・・というイメージが形成作り上げられてしまう事がある。
そのイメージによってそこに投入している商品も成熟しているという変な感覚を作り上げてしまう事がある。
成熟したとは良い言葉という解釈があるかも知れないが、こんな考えがあるかも知れない。

成熟した=完成した=パーフェクトな=改良の余地の無い

そう思い込んでしまったら、新しいアイデアは浮かぶ余地が無くなったも同然。

自分が作った完璧だ、と思えるものはその中にある間違いや改良点を「完璧だ」という思い込みが透明化してしまう。


第五条 できない理由はできることの証拠だ。出来ない理由を解決すればよい。

「できないと思ったら、やらなければならない」ってどっかで来た事のあるフレーズが浮かんできた(笑)

人に言うとかっこわるいと悪いと思われてしまうから、たいていの人は隠すのだが、本当のところどうなのか?これは自分自身への質問で答えを誰かに回答する必要もない、自分が自分のためにする質問だ。

「できないのでは無くて」「実はやりたく無いだけ」の場合がほとんど。

そんな事言ったって、次々にできない理窟が湧いてくる。

以前出来なかったという事が、今度も出来ないという思い込み。
また、誰か権威のある人がそういう事を言ったのを聞いた。

モチベーションがなえる条件はそれば旨く行く可能性が低く、ややる事に価値が見いだせない場合が多いと思う。

「もしかして旨くいかないじゃないか?」という否定的な言葉が心の底にある状態は、もっと掘り下げると・・・・

「失敗する事が怖いのだ」だから出来ない理由を探し、理路整然と出来ない事を調べ上げる天才。だからやっぱり出来ないんだ。ここに書いてある。という訳だ。

出来ないというのは、自分が置かれている環境によって出来ないということが結論つけられていると思っているからだ。自己のエネルギーがその解決に役に立たないあきらめの意識である。


第六条 よいものを安く、より新しいものを早く。

この解釈、結構悩んだ。 よいものとは、どういうコンセプトか?と言う点だ。「よい」とは質が優れている、機能が優れている、マニアにとってグッとくる、などのポイントがあるだろう。

今まであるものをコストを下げ、いち早くマーケットに投入することで価格競争に勝つという意味では無いと思う。そうすると全くソニーらしさがなくなってしまう。

ソニーと価格競争は無縁なイメージがするが(とわいえ、液晶テレビのコモデティ化した競争はちょっと異常かも・・・・)

いいものとは、マーケットの横軸を金額、縦軸を機能(コンセプト)として、マトリクスをかいてみる。例えば業務用のビデオカメラ、縦軸の機能はプロユースの交差点にある○印に下は、金額がめっちゃ高いのである。放送局や、映画なので長時間使用する環境においては、優れた耐久性が要求され、そのため耐久度の高い部品、安全性の高い設計をするためコストがあがってしまう。それは当然のことだという認識もプロシューマの業界においては、機材選択における一つの指針になっていると言ってもいいだろう。

縦軸=プロユース(いいもの) と 

横軸=低価格(コンシューマが購入できる)

の交点には丸印が今まで無かった、ソニーはここに丸印(商品)をつくるという新しい商品開発のコンセプトを打ち立てている。




第七条 商品の弱点を解決すると新しい市場が生まれ、利点を改良すると今ある市場が広がる。

弱点というのは、人によって違うという事を理解する必要がある、カメラという限定された商品を例にとるとよくわかる。

プロシューマとしては作品をよりひきたたせるため、マニュアルでフォーカスを合わせるのがプロのスキルである、という考え方が幅を利かせていたのであまり必要性はなかったと思われていた。(問題では無い)

アマチュアのニーズは芸術性の高い、きれいな写真を簡単に撮りたいということだ。だから厳密にフォーカス合わせるスキルは問題点になるのだ。(問題有り)

オートフォーカシングの機能は、今まで写真撮影は専門家の領域だと思われていた写真撮影の世界を変えたといっても良いと思う。

美しい芸術性溢れる写真を自ら撮影できる喜びをこの機能(問題点の解決)は創りだしたという解釈をすると「商品の弱点を解決すると新しい市場が生まれる」という意味がよくわかる。

さらに、この機能を改良を加え、当初で始めのオートフォーカシングの機能は1点から8点程度のフォーカスポイントであったものが改良を加えることで現在は32点とか51点とかに進歩している。

オートフォーカシング機能が出始めのころは、作品意図を忠実に再現するには、フォーカシングポイントが少ないのでマニュアルで合わさざる得なかった。

それが、今では51点、こうなると本当にだれでも、プロ並みの(撮影のスキルという意味)写真を撮ることが出来る、という新しい可能性を潜在的な顧客に働きかける事ができる。結果、今の市場が広がるのである。
速読の勉強になる本です。元外務省主任分析官 佐藤優氏は月間300冊から500冊ほど本を読むという。一冊5分程度で読んでしまうという。佐藤氏の読書に向かう姿勢と方法(一日の仕事パターン)が書かれているのが参考に成る。著者には恐らく超人的な集中力が備わっているのだと思う、速読が長い間の仕事の経験から必然的に身に付いたものであることがわかる。

本文より・・・・
1年後にイギリスの陸軍学校に語学留学になると、ロシア語漬けだけの毎日になった。
午前8時から正午まで文法授業、午後一時から4時までが会話、その後4~5時間はかかる宿題が毎日出る。週に1回単語テスト、月に1回文法・解釈・作文のテストがあり、100点満点中80点以下を2回とると退学になる。(中略)しかし、そういう生活にも慣れてくると、神学や哲学について話す機会があまりなく、知的欲求不満にかられるようになる。
(中略)
大使館ではそれソ連を構成する15共和国の新聞をすべてとって2年間保管していたが、その整理係を著者がしていた。他の若手外交官は新聞や雑誌の整理のような地味な仕事は嫌がったが、著者には楽しかった。

文章からも本人が本当に知識を得たいという欲求が伝わってくる。

本人はもともと知的な欲求が強烈な人なんだと感じました。これがエンジンになっていたのだ。楽しみを求める力は人並みはずれた集中力を産み出すのだ。

集中力は楽しむ力(欲求)に比例する。
読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門/東洋経済新報社

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自分で知ってることを伝える時は、自分自身が「解ってる」という思い込みがある。
だから「解っていない」という相手側の状態をどのように配慮するかがものを人に「伝える」うえで大事になる。

また、その事を伝えたい相手側の理解するという解釈によっても変わってくる事が解る、少し掘り下げると。

レベル1-その言葉の意味を理解するということが、「理解」したという意味であると考える場合。

レベル2-そのような考え方があるのだ、そういう風に考える事も出来るのだというリソースを得たという事を「理解」と考える場合。

レベル3-そのような考え方があるという事を理解した上でなぜそのような考え方があるのか、どうしてそんな発想をする事が出来たんだろうか?と考える。そしてその発想を自ら浮かぶ状態になった事を「理解」と考える場合。

おうおうにして「知ってるよ」「聞いた事がある」という反応はレベル1の理解をその人に「知識」として辞書的に知ってるというだけで「理解した」という事に他ならない。その理解は、それはそういうものであるという「思い込み」を自ら作り出してしまい、レベル2への理解の妨げになる可能性を、逆にいうと危険性を持っている。
昨夜は遅くまで麻布で会食していたので都内のウィークリーマンションに泊まる、価格は断然安いのだが、部屋に入った時の「空気感」が違う。一昨日、パーティした環境は、都内の某高級ホテルのスィーツルーム、一泊あたり、数100万。こちらは、一泊6千円弱、比べるというか、ここまで高低差があると面白い、ジェットコースターも高低差があるから楽しいのだ。

ここまでちがうと、感じ方も違うし、どこがどう違うのか?分析が出来る、ひとつ一つ書いても仕方ないのだが、環境が及ぼす、モチベーションへの影響はかなり、かなり、大きいです。
宿を取ったのは仕事が山積みなので、セミナーが終わったらすぐ仕事ができる環境をつくろうと思った為だ。戻る時間があるなら仕事の時間に割当たいと思ったのだが。

失敗かな?

仕事はできない環境だが、何故か?考える良い機会だと思う、それを考える事でその逆を自分の環境に与えれば、モチベーションが上がる方法を考えだせるということになる。

簡単に分析すると、チープな環境が昔のマンションでの生活を思い出すきっかけになる。気分が落ち着かない。
いつもの仕事環境は、椅子、机、PCなどがすべて自分を仕事させる為にあるコックピットのように並んでいる、同じように行動できないジレンマがストレスを発生させている。

こういう分析をせず、普通は、「何となく、気分が乗らない」という感
情だけで「仕事があまり出来なかった」という行動になる。それが、人によるのだが、時として、「自分のふがいなさ」であるかのように、出来なかった事にフォーカスしてしまう。自分を好きになれない人は自分を被害者にしてしまう傾向にあるようだ。昔の自分がそうであったように。

つまり、感情に流されて判断している。

何故?という質問に答えて。
どうしたら?を考える頭を使ってない。