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渡辺繁一のブログ

演出の効果を設計する



喉が乾くと水が飲みたくなる。
熱があると風邪をひいたのかな?と考える。
おなかが痛いと何か病気にかかったのかなと思う。

人間の身体はよく出来ている。
やっては行けないことを身体は既に知っているのだ。
熱い湯のみを手で持つと、熱く感じ、思わず手を離す。
それは、やけどをしてしまうのを未然防ぐための身体の備わった保護機能だといえる。
もしも、痛みを感じなくなると、恐らく生命を維持することが困難になるだろう。
屈伸をしても、痛みがあるので(限界があるので)途中で止めようとする。
もし、痛みを感じないのであれば、身体が曲がってしまうかもしれない。(笑)
痛みは、自分の限界を知らせてくれる警報器のような役割を持っているということがいえる。

本能的に人間にすでにあり、痛みを感じることによって自分自身を守る機能のことを専門用語でなんと言うのか解らないが(笑)

人間は生まれながらに、自己を守ろうとする機能が備わっている。
それは、生命を維持するために必要な機能である。

産まれた人がその生活環境に適合するために後天的に自分を守るための機能をどんどん追加していく、別の言い方をすれば、これが学習であり、成長であるわけだ。
別名しつけとも言ったりする。

自分の中にそのルールが出来上がるのは一瞬だ。

小さい時に机や椅子のようなところから落ちた経験を持った人は、高い所に行くことを恐れる。過去の経験から学んだことが、焼き付いているからだ。

「やってはいけないこと」が自分の中に作られると、プログラミングされたパソコンのようにそれをしなくなる。
それをしようとすると恐怖を覚え、違和感を感じ、拒否する。
警報機能だと考えると解りやすい。

多くの恐怖症は、その起こった出来事から強烈な恐怖を感じ、生命の危険を感じ、それを2度と経験しなくなることが、自分を生活環境に適合させるために必要であると考え(理由)、ルール(別名思い込み)が出来上がる。恐怖感を感じた瞬間の少し前に受けた刺激(見たもの、触ったもの、嗅いだものなど・・・)が、トリガー(きっかけ)になる事が多い。

ここで少し違った見方をしてみよう。
高所恐怖症は、高い所に行くのが怖い。症状のことをいう。
では、高所恐怖症のメリットはなんだろう?
答えに困ってしまう様な質問だが、その恐怖症があることにより、自分を保護する機能が働いている。解りやすくいうと、高い所から落下して、生命を危険にさらすことを未然に防いでいる。
ということと考えることができる。
すなわち、恐怖を感じることで、自分を守ろうとするチカラが働いているという解釈をすることが必要なのだ。
プレゼンの現場から
某日、某所で大手設計事務所にプレゼンテーション
映像が流れて、10秒もたたずに
「これの予算は?」
また別の映像を見せると
「これの予算は?」
大規模な施設だけに設計業務に追われすぎて、
予算と出来映え
だけに気を取られすぎているのかも知れない。
設備の目的がしっかりしてる空調や電気や給排水などは
それで良いのかも知れない。
でも、私が提案する内容は、映像でも、音でも、パースでも伝わらない
それは、効果という部分なのかも知れない。
施設に来場して、楽しんでもらい、
豊かさや、新しい可能性という新しい価値を与える。
なにを与えるか?
なにを伝えるのか?
そして、顧客にどうなって欲しいのか?
演出設備には、出来映え以上に、その効果をプレゼンしないといけない。

先日、引っ越し業者のスキルを競うテレビ番組があった。
A社は、養生、丁寧、迅速、てきぱきと片付け、周りの住宅にも挨拶周りを行った。
後で梱包をほどいた時に困らない用にデジカメで写真を撮る配慮もあった。
B社は、引っ越しの準備にかかる前に、ベビーベットを新しい、ビニルカバーで養生し、壁の養生には、
子供の喜ぶ動物のイラスト。
違いは歴然であった。審査員の多くはB社を選んだ、すべて顧客目線で考えているところが勉強になった。
「引っ越しぐらいだから少しぐらいは無理してもらわないと」と言う感覚が、業者に芽生えれば、
顧客の意見は、意見でなくなり、クレームになる。
B社のすごいのは、クレーム以前の頭に微妙に浮かぶ不快感まで計算に入れている点だ。
お子さんが昼寝をしている時に引っ越し業者がドアを開け無いように。
「お休み中」の札を部屋の前につける工夫。
包丁は危険なので、どうしても梱包が厳重になる、でも裏返しできちんと明記しておかないと開梱する時に事故につながる。
それを避ける為の工夫。

話しが横に逸れたが、演出装置の提案は、
B社の様な
目に見えないけどすごく重要な価値を創る事に在るんだと思いました。

同じ事をしても、「すごくいい!」と思ってもらえるような仕事をするべきである。
自分の性格とは、考え方の方針のようなものなのだ、コンピューターのプログラムで言えば、OSのようなものになるのだろうか?
自分の考えの根底にある考え、これを考えの土台にして全ての考え、行動が行われている。
新しいスキルというのは知的道具という見方ができる。それを今は、ネットで数秒で入手する事ができる。素晴らしい環境に暮らしてくるということがいえるだろう。
しかし、生活がゆたかでは無い、お金の問題に振り回される、売上げが・・・、恋愛についての問題が・・・

どのようにそれを活かすのか?
それを決めるのは、自分の土台になる考え方。
これが偏ると、良いスキルであってもその人の役に立たない。
テクニック、スキルは、真似する事が出来やすいように
解りやすいように、セミナーや本では、書かれている。
実際のところ解りやすい。
それを自分が使うというのはどういうことか?

それを使うチカラ=「土台になる思考」×「スキル」

そのスキルを活用するのは、それを使う本人だ、
本を書いた著者ではないし、セミナーの講師でも無い。
スキルは運用する人の「土台になる思考」で
それを使うチカラが変わるということを理解する必要がある。

いろんな本を読んだり、セミナーにもいろいろ参加してきて、
多少なりとも普通よりは、スキルや考え方も成長したのではないか?
と思えてきたからこんな文章を僭越ながら書かせていただいている。

のだが、

自分の場合は、「自分を被害者であるという意識を持つことで、皆さんから注目を浴びかまってもらう事が居心地が良い」というくだらない、思考を「土台になる思考」の中に大事も持っていることが、最近になってようやく解ってきた。
これが、自分で自分を苦しめている原因なのだ。

この文章を書くことで、自分は、自分の中にある「土台になる思考」を分解して、整理している。

解ったフリをしているが、真実は、解っていない、
人と同じように振る舞うが、真実は違っていて別のレイヤーに自分はいるのだ。

苦しめられている、その今、目の前にある現象をとらえて、これをなんとかしたい。
と助けを求め、人はいろんなものにたより、お金を使う。
でも、
それが一時の苦しみだけを救ってくれるだけなのだ。

その事を理解し、勇気をもってその苦しみの源になっているものを見る事が必要なのだろう。

その原因は、自分自身の「土台になる思考」になかにある。


自分自身がその物語を観て、
どのように思ったかで自分の気持ちの状況がわかるものなのだ。

昨夜みた映画の中は、
火星に行って地上に到着、地上基地の地点に到着するが、壊れて使用不可能、生命を維持する条件を保証するものが無くなる、
自分達のコントロールできない条件によって生命を経たれる。
自分達ではどうすることも出来ない悲壮感がただよう。
この状況で死ぬことはある意味では安定しているではないか?
と、不謹慎な気持ちを持ってしまった。
その気持ちは、何を表しているのだろう?
いまの私のモチベーションメーターが下がっていることを示している。

この発想こそが、自分を苦しめている忌々しい、発想なのだ。
今年の頭にその事に気づいたはずだったのが、
仕事がたまたまうまくいかない状況のため、
もともと自分を支配してきた発想が出てきた。

不幸のヒロインになることで、周りの人から気を使ってもらえる
そんな状況を自分は望んでいるのだ。

自分自身のコントロールできない大きなチカラによって自分の死が訪れる。
これは、避けることができない事実だ。

もし、私に、その時がきたら・・・

そのことを潔く受け止めるという発想もあるかもしれない。
でも、それは私にとっての真実なのだろうか?
そう思のはなぜか?
私はこの世に自分の影響力を発揮できなかった、
人生はまあまあ良かったんじゃない、そんな言い訳をしているだけにすぎないのだ。

本当は死の直前まで自分の可能性を追究し、有意義に、自分のしたいことをして
生きた証を残したいと思っている。
でも、
それが出来ない。出来る能力が無い。できたら苦労しないよ。
と思い込んでしまっているだけなんだが、
そのことが本当に日常の意識のなかで、心の中から取り除くことができないだけなんだ。

だから、潔く受け止めるということで、自分を美化して、ごまかして、
もう、終わったのだ、もうこれでいいんだ。
とあきらめてしまう。

死を覚悟する事は、潔く、かっこいいというイメージを物語の中では、演出している。
そんなものに影響されるよりは、死の一秒前前、あるいは死んでからでも生き返る可能性にチャレンジし続ける方が何千倍もかっこいいと思わないか?


人が仕事をするということはどういうことなのか?

そんな考えがふと浮かんだ。

緊急で、その商品が何時までに現地に届かないことには、明日のイベントに支障がでる、なんとしてでも
それを現地に到着させる必要がある、そんな状況で商品を待ちわびていると、
運送会社が、商品を現地に運びこんだとき、困っている状況を救うヒーロのように思えた記憶がある。
運送会社は普通に業務をしただけかもしれないが、
人の与える影響はそのひと、その状況よって変わってくるものなのだ。

本来の価値は、先ほどの例では何だったのか?
少し大げさに言えば、イベントの失敗する危機を救った(救う手助け)をしたということが、
商品の運搬を依頼した人からみた運送会社の「価値」であったのだ。

その側面は、驚くほど、仕事を 追究すればするほど、仕事ができればできるほど盲点になってしまっている。

社会のシステムが複雑になってきたので、
自分が何らかの仕事をして、それで価値を得た人の喜びを感じる機会が少なくなってきたのが
今の私達の仕事をつまらない、業務的で機械的なものにしてしまったのではないか?

あなたが仕事をしていることで、感謝の気持ちを抱く人(お客様)が必ずいるはずです。
その感謝の気持ちは、何によって生まれたのでしょうか?
お客様がどのようなことを得られたのでそう感じたのでしょうか?

その人達の立場にたって考えてみることは、あなたの仕事を飛躍させる力になるはずです。