渡辺繁一のブログ -21ページ目

渡辺繁一のブログ

演出の効果を設計する



僕は料理はするが、プロではない、たまにホームパーティする程度。
料理をする人が料理本来の「味」を決める要素にこだわることはスキルを磨くことになる。料理学校に行く、本を読む、などなど。
しかし、そのスキルを磨く目的が何か?というとそうでは無い。

大事なことは、
どうなれば、お客様が喜んでもらえるのか?
楽しんでもらうことができるのだろうか?
元気になってもらえるだろうか?
逆説的だが、
楽しんでもらうために・・・
喜びを得てもらうために・・・
活力を得てもらうために・・・
料理というものを通じて貢献をしている。
という考えが浮かんだ。

もしかすると、
あなたが作った料理が、人の人生を変えるかも知れない。

そういう意味づけで料理をするのであれば、きっと役割が変わってくる。
役割(アイデンティティ)の枠組みを変えると、今まで見えなかったいろいろなものが見えてくるのに気づくのだ。

料理は物理的なエネルギーだけを与える訳でなく、
精神的エネルギーも与えてくれる。
五感をフルに駆使し、感情を豊かにしてくれるもの
という見方ができる。

多くの人は目に見える部分について人はお金を払う。
そして、商品やサービスを提供する人も目に見える部分を重要視する。
しかし、目に見える部分は、あくまでもお金との交換のためメディア(媒体)であるということを認識しないといけない。

注目するべき大事なことは「目に見えるもの」を購入したお客様が
「目に見えない」何を受け取ったかということになるだろう。

料理を美味しく食べるには、楽しみながら、笑顔で料理を楽しく作り、楽しみながらそれをいただくことだ。と僕は思っている。

場の雰囲気と、食事をする人の気持ちが、料理を「味あう」ための重要な要素であることに、今日、あらめて気づく。
もしかしたら、ここに書いてあることが当たり前すぎて、この文章を読んだ人も、へ?それが何?それがどうしたの? 
と思われるかも知れない。
料理の味は、目で見て舌と鼻でその味を楽しみ、口で食材を噛むことで食感を楽しみ、その食品のエネルギーを身体にいただく。

難しい顔をして「美味しい」と言ってる料理は、楽しい顔をして食べるともっと美味しく感じるものだ。
というと、それは嘘だ、真実ではない、あるいはそんな事は無いといって笑う人がいるだろう。

おなかを減らして食べるとものが美味しく感じた経験のある人は多いと思う、そのときに感じた「美味しさ」は嘘だったのか?

おなかを減らしている時、そのときは、誰でも、食べるものを美味しく感じる。

はたして、真実は?

僕が今日、思ったことは。「感じること全てが、真実である。」

料理の味は、お皿に盛られた調理された食材だけで決められるものでは無い。
周りの環境が透明化されてしまっているが、メインの料理以外の「環境」、目に見えない部分がその「味を楽しむ」ための要素として大きな要素になっている。

周りの雰囲気、店内の様子、スタッフの笑顔、何気ない会話からでる微笑み。そして本人の気持ちの状態(ステート)そんな要素が

料理を味あうための「真実」を作っている。
感情こそが、統べての意味を決める。

感情的な要素を排除して正しさを語ることは出来ないのだ。

楽しむことに、背中を向けてきた、我慢すること、苦労することが美徳、であると考える世界観からこの話をみると違和感を感じるだろう。

もし、この話に違和感を感じたのであれば、その気持ちをすこし覗いて欲しい、なぜなら、あなたの中のソウルが「真実」を求めているからだ。
ディズニーワールドが完成したとき、W・ディズニーはすでに無くなっていた。ある記者がお兄さんに、
「亡くなった弟さんは、これを見たらどのように感じるでしょうか?」と尋ねました。
すると彼はこう答たのです。

「失礼ながら、彼は、私たちが実物を見るよりもずっと前に、いちばん最初にみているんですよ。頭の中でね」

『大好きなことをしてお金持ちになる 
あなたの才能をお金に変える6つのステップ』
本田健 著


もしも、自分の中での判断基準が変わり、成長してきたなと自分自身が思える
状況になったとしても、あなたの周りの環境は、
以前のあなたとの関係が好きなのだ。
以前のコミュニケーションの方法が楽なのだ。
今まで長い間の信頼の関係の形が、コンフォートゾーン(居心地の良い状態)
が出来上がっている。
だから、いきなり、あなたが、新しいことを試みようとしてもそれを相手は異質なものとして(無意識に)排除し、今までの状況に引き戻そうとするチカラが働いている。
ということをあなたは意識する必要がある。
「こんなにいいものなのに何故、採用されないのだ」
「こんな考えが今必要だと思うのだが、なぜ相手は興味を示さないのだ」
というストレスを感じることがあるかも知れない。
いろんな自己啓発をすることで、自分のことが解り、問題を見つけ、
そして、答えを導き出した。
その過程があったから、あなたはそれが身に付いているのだ。
相手にこうして欲しい、この方がいい方法だと「解っている」のは、
あなたの基準が変わったからだ。

相手にとって大事な「答え」だけを与えても、
それが相手にとって「価値」があるものとは
映らないということを知らないといけない。

自分が信じているものを疑わないことが良いことだ、自信を持つことが・・・
ただ、業界はそんなに甘くない。
揺るぎない自信があっても、スキルがあっても、構造的な改革にはついて行けなくなる。
音の編集も古くは、オープンリールのテープカットのスキルなど、化石のようなスキルだ。昔はそれをする人も少なく、装置も高価だった、スタジオを借りるだけでも相当なお金がかかる。となると成果物の金額もそれなりの金額にならざるを得ない。

難しい、金のかかりそうな仕事が価値があるという時代はもうすでに完全に終わっている。

頭が柔らかいと言ってる人でも、そのことには気づかないのだ。
それは、大げさの言うと地球の温暖化のようなもので
周りの環境が全て変貌しようとしているので、自分のいる位置、相対的な
環境の変化は感じないのだ。

業界というタイタニック号に乗って、船室で、新しい照明のイノベーションを検討している。
そんな感じだろうか?

良いプロダクトも、2ヶ月後は大昔に感じられる、
PDA端末型では無い携帯電話を持っている人は激減している、
そんな統計を取ること自体意味があるのだろうかと思える。

何かにしがみつく事は、集中すること、
選択することで大きなちからをその選択した人に与えることになる。
スキルがあることは、それを使い、人に価値を与えることにつながる。と思っている。
しかし、それは、諸刃の剣であることを知らないといけない。

それに賭けるという事はそれがこけると破綻する。
IT化は自分の進むべき道を解りにくくする事になる可能性をはらんでいる。

映像編集を僕が始めたころは、あまりやっている人がいなく、特殊な技能であった。
3Dのモデリングもしかり。
しかし、今はだれでも、簡単にプロあるいはプロ以上の技能をアプリケーションソフトが保有しているために、新しい表現力を手に入れることができるようになってきている。
制作はだれでも出来るので、ソフトが売れ、コストは下がり、仕事は減った。
アプリケーションソフト開発コンセプトは、
「豊かさをもっと便利に・・・・」そんなところにあるのだろう。
「プロ並みの・・・・・」
そうすることで、潜在的な顧客を掘り起こすことを真剣に考えているのだと思う。
そのイノベーションが無いと企業は生き残れない。
だが、別名、「職人殺し」「スキル殺し」とも言えることを覚悟しておかないといけない。

今、あなたが持ってるスキルは、「将来にアプリケーションプログラムになる」と考えると
なにをすれば良いか?
なにをどのように考えれば良いかを本当に考えないとマジでヤバい状態になってきています。