渡辺繁一のブログ -12ページ目

渡辺繁一のブログ

演出の効果を設計する

自分の思い込み、過去の自分のうまく行かなかった事を分析する。恐らく、自分のメンタルがそういう状況を作り上げて、自らが「うまくいかない」状況の主人公になっていたのだ。

そういうことが解ったことが自分にとってはすごい発見だったのだが、分析癖が過去の自分を見るだけの為にある訳ではない、それをすることで、なんか自分について新しい発見はあった。過去の失敗は恐らく、そういうものに多くの原因がある。これがわかった。
解ることは、楽しい、過去の自分の振る舞いが、解ってくる。


で、問題は
今、であり。
これからの未来である。

過去の分析というとカッコイイが、別の見方をすると後悔である。(笑)
後悔しても、未来は変わらない。
過去の自分の役割は終了したのだ。
これから・・・・・
どうするのか?
どうしたいのか?

自分はどうなりたいから。
自分どうするのか。

過去があるから過去を顧みてしまう。
顧みることは、成功に近づくものではない。
反省し過ぎは後悔し過ぎ、なのだ。失敗の痛い体験はいつまでも、頭と心に深く残り
自分自身の考え方に大きな影響を及ぼす、そのことで、過去と同じ役割に戻ってしまう。
選択の余地無くなった追い込まれた状況を思い出すだけでは解決にならない。
「また失敗してしまうのではないだろうか?」という気持ちが追体験を引き起こす。

多くの人が、変わりたいと思っていても、変わる事ができない大きな理由は、ここにあるではないだろうか?

少しだけ変わったことを体験して、それで自分が「変わった」と思っている。が、少しだけいつもと違うことをやっただけで、それは、たまにディズニーランドに行くのと同じようなことをしているだけ。しかし、それが刺激になり、影響を与えていることは事実だ、そこで感じた体験がきっかけとなり、日常に大きな変化が訪れる人もある。
ただ、大半の人は、ああ面白かったなぁ、さあ、明日から日常だ・・・・
心、頭、身体は以前の状態に急激に引き戻されてしまう。

変わるためというか、本来の自分を取り戻す為になる出来事に多くの人はもう既に、出会っているのだ、何度何度も。そのチャンスは、だれにでも公平に訪れている、だが、多くの人はそれが見えない。

その、見えなくさせているものは何だ?

疑いの心、思い込み、それも自分を疑う心がそれを見えなくさせてしまっている。
疑う心が真実を屈折させて、歪曲させて見せるのだ。

ここにココロ優しいアドバイザーがいて、相手の事を知り尽くした結果、「あなたはこうする事がいいですよ」と言ったとしても、相手が、そうとは思わない(つまり疑っている)ものは、それをやることは無い、アドバイザーの言葉を信じて相手がそれをやり始めたとしても、そうとは思わないこころがあればそれはうまくいかない。

本来のアドバイザーは、相手に真実を見せるために、どんな刺激を与えればそれが見えるのかを知っている、あるいはそれを見つける事ができるを知っていることだ。
日常の生活の中でアドバイザーはいたるところにいる。あらゆる出来事は、私たちに何かを報せ、チャンスを与えている。

疑問を抱かせること、違和感を感じさせること、なんか変だ、気になる、これは私の知らないことだ、あんな人になりたいぁ、そういう気持ちが混乱を招くこともある。

混乱し、問題を見つけ、障害が見えたとき、人は変わる切符を、成長する切符を手にすることができるのだ。

微妙な表現なのだが、苦労とは、買ってもすることとかいうけど、それは嘘だ。
本人が「苦労」した。じゃ今度それと交換で「成功」がくる。というものではない。痛みを甘んじて受けるとそれにみうだけの成功がくるものだと信じてるから、苦労することが美徳であるという風評ができる。苦労を単に一時的に我慢するべき「痛み」と考えて早く通過してくれるのを望むような気持ちでは、交通違反をして罰金を払っているのとなんら変わらない。「お金払えば良いんでしょ」「苦労すれば良いんでしょ」とい発想は危険だ。だれかがこの危機を助けてくれるという依存の気持ちが生まれるからだ。苦労は、あくまで本人を強化させるため、人間性を成長させる為に現れるものであるのだ、依存の気持ちをもった貧乏人には、いつまでも、いつまでも苦労がつきまとう。

あきらめは、チャレンジする気持ちを凍結させる。お金が無いのであきらめた。自信が無いのであきらめた。時間が無いのであきらめた。自分のエゴを押し殺し、他人の為にあきらめたりすると、あきらめることが潔いことだと、謙虚さ、美徳だと思う気持ちが支配してしまうと、自分の本当にしたいものが見えなくなってしまう。そのメンタルは、他人にも悪影響を及ぼす。自分があきらめた夢を追い求める人をどういう目で見るのだろうか?自分の子供だったらどんな対応をしてしまうのだろか?

誰かがもってる、だから欲しい。のんびりしたい。雨が降っているので今日は外出する気分が萎えた。人から承認されたい。虫がいい自分の心のなかにある欲望の奴隷になってしまっている。その場の短期的な感情のニーズのニーズを満足させることに精一杯な状態。
その欲望は、本当に自分のやりたい事を満足させてくれるものだろうか?

貧乏人は成功の定義がわからない。うまく行くことが少ないからだ、自分が何かをまかされて、それをやり抜く前に誰かが見るに見かねて手助けをしてようやく形になったり。組み立て始めたジグゾーパズルを最後まで組み立てる根気が無く途中であきらめてしまった経験。最後までやることが出来なくなってしまった。
それは、最後までやると、その成果物を第三者が評価する、実は心の底で評価されることを恐れている、完成できなければ評価されることを恐れなくすむ、そして誰かが完成させてくれる。誰かに助けてもらうことが心地よいのだ。