貧乏人は、流行に敏感、新しいものを崇拝する。新しいこと知っている事を誇示するのは恐れを補う効果をもたらしている。テクノロジーを知っている事が、「偉い」ことだと思っている人もいるかも知れない。本当はそれを使いこなすこと、どういうふうに役に立てているかということが最も重要なことなのだ。それを「知っている」だけではそれに「使われている」のと同じ事だ。道具は使うものだ、道具に使われてはいけない。
貧乏人は、流行に敏感、新しいものを崇拝する。新しいこと知っている事を誇示するのは恐れを補う効果をもたらしている。テクノロジーを知っている事が、「偉い」ことだと思っている人もいるかも知れない。本当はそれを使いこなすこと、どういうふうに役に立てているかということが最も重要なことなのだ。それを「知っている」だけではそれに「使われている」のと同じ事だ。道具は使うものだ、道具に使われてはいけない。
貧乏人は人からどういうふうに思われているかを過度に気遣う、嫌われること、無視されることが怖いのだ、ひとから良く思われるためにみんながあっと驚くことをやってしまう。だが、相手が何を自分に期待しているのかを配慮する力は別ものだ、他人にどう思われるかということは、「自分」の為に、「自分」がどうかであって、他人が何を期待しているのかは考えていない。自分を振り向かそうとする努力は惜しまないが、相手の意見は聞いてないとんでもないやつだ。
会社でも仲のいい人と一緒に仕事をすることは本当に楽しいものだ、シナジー効果も出やすい、ポジティブな感覚になり、エネルギーも強く持てる。しかし、自分がするべき仕事をわきまえることが出来なければ、単に仲良しクラブの延長だ。なにか解らない事を自分自身で解決せず、他人に頼ってしまう癖をつけてしまうと、自分で物事を決める、判断することが出来なくなる、あるいは自分が決めることでは無いんだと考え他人に依存してしまう。
貧乏人は継続は力、忍耐が嫌いだったりする。行動に対する成果、結果がすぐには出ないからだ。大きな成果を望むのであれば、大きなリスクと短時間の大きな投資をするか、行動を常に得るべき、得たい結果に焦点を絞り常に働きかける事が必要なのだ、ちょっとだけ頑張ったぐらいでは、大きな岩は動かない。だからあきらめてしまう。
貧乏人はやりたいと思う気持ちは強いだが、それは、本心なのだろうか?自分の真実の純粋な気持ちでそれをしたと思うのか? いや、違う、あの人もやるから自分もやろうとする気持ちと、これをすれば、収入が上がるから、楽ができるから、というニーズを満足させるためにやる決断をする。決断は理由はどうあれリスペクトするべきだが、「決断をする自分ってすごい、と思ってしまう」自己陶酔は、決断はするが、あとが続かなくなる、その結果中途半端、無惨な結果にいたる。