ツレが躁うつ病になりまして⑥ | ナチュログ@伊豆

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海、山、温泉、美味しい食材~自然豊かな伊豆高原に住んでいます。
食べることと音楽が大好きな私。
仕事の合間のまかない飯に食べ歩き、音楽のこと
主人の病(躁うつ病)のことなど
私の日々を綴るナチュラリーなブログ「ナチュログ@伊豆」。

~震災の年のこと~

2011年3月11日
あの日から私達の生活もガラリと変わって今になる。
伊豆で宿業を営む私達に、キャンセルの嵐が吹き荒れた。キャンセルはGWまで及び、追い打ちに計画停電、そのためにJR伊東線がストップ。
それでもやってきてくれたお客様の日、夕食時に計画停電だった。

お客様にご理解いただき、キャンドルの中でのディナーとなった。だがまだ3月。暖房器具はスイッチが電気を使うものしかなく、大きめの段ボールに湯たんぽを詰めて、お客様の足をいれてもらった。体にはブランケットをかけたりしてもらった。
厨房は電気ものの調理器具は使えないのでガスのみ。換気扇も使えないので熱気がこもる。もちろん厨房もろうそくの火で行う。うちは停電すると水も出なくなるので、あらかじめとっておく。
ディナーが終りにさしかかると、生ピアノと歌の演奏は出来たので、真っ暗の時間を補った。

この時期どこの商売の人も普通に生活する人も、いろんなアイデアで乗り切った。それでも直接震災の被害はなかった私達は恵まれすぎていた。もっともっと辛い目にあった人達が沢山いる。私達が頑張らねばと強く思っていた。

震災のキャンセルにはキャンセル料はもちろん頂かなかった。
それでも生きていかなければならないので、自家製のベーグルを売りに外に出掛けた。
3年半ほど前に出会ったすいかひまわりのNさんが、ペンションの朝食で作っていたベーグルを知って「せっかくいいことやってるんだから外で売ったら?」と提案してくれ、待つ商売からの脱却させてくれたのだ。そのことがピンチの時にまた助けとなった。単品一個100円、サンドは300円~500円。同時に売り上げから一部を義援金として被災地に送り続けた。

主人も伊東のFM局のアルバイトを始め、私も宿にお客様が戻ってきても続けられるよう、宿業の合間にカフェを始めた。

2011年4月後半になって、一度キャンセルになったGWだったが、間近になって予約が入ってきた。

それ以降、主人はラジオ局、カフェ、宿業の3つの仕事をするようになった。

気がつくと震災以降休みなしの生活が7ヶ月続き、その年の10月、主人が躁うつ病と診断された。