死生観に関する随想その78(中島義道『不在の哲学』から) | 飢餓祭のブログ

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中島義道は書いている。

「言語を習得するとは、有機体特有の自己中心的観点を脱却し、それに反逆して脱自己中心化を推し進めることである。それは、さしあたり言語を学んだ特定の有機体にとって『そと』の視点を獲得することであるが、じつのところ言語習得以前の自己中心的観点を有しながらも、その段階の有機体は『私』ではないのであるから『うち』の観点を有していたわけではない。言語を習得することによって『そと』の観点を獲得するとともに『うち』の観点も獲得するのである。

 そして、『そと』の観点を獲得するとは、〈いま・ここ〉で知覚されるものという意味で現在するもののみならず〈いま・ここ〉で知覚されないものという意味で『不在のもの』をも承認することである。」(中島義道『不在の哲学』筑摩書房 2016年2月10日 p229-p230)

 言語を習得する前の有機体の自己中心的観点から言語習得後の脱中心化的観点の習得へという乳児の心理の発達プロセスについては、ピアジェの発達心理学理論を解説するジャン・ピアジェの考えた4つの発達段階(再) | 学生と考える英語教育 というサイトに詳しい。そのサイトには以下のように書かれている。

 「乳児は自我意識を待たず、主体と客体を区別することが出来ない。乳児にとっては、主体と客体が未分化であり、身体によって無意識的に中心化されている。乳児の活動は自分自身の身体を直接客体に結び付けており、それぞれの活動(吸う、凝視する、把握する、など)が別個に存在していて、それらを関連づけることが出来ない。共通の唯一の基準は自らの身体である。自己中心性という用語がよく使われるが、主体と客体を区別できないために、自分に特有な象徴化パターンにより、すべてのものを把握、表現しようとしたりすることである。さらには、自分の視点からの見方、自分の知覚情報のみですべての状況を認知することである。その時は、他者の視点や立場にたって考えられない。これはこの時期の幼児の特徴的な思考様式である。」

 乳児は主体と客体を区別できないということは、実は、「私」という視点もまだないということであり、「言語を習得することによって『そと』の観点を獲得するとともに『うち』の観点も獲得する」ことで、ようやく自我としての私が形成されるのだ。中島は「自己中心化」という考え方をピアジェから借りてきて、「言語習得に限定」して使っている。言語を習得した有機体は「脱中心化」的思考を開始する。「ある時期に自己中心的世界から脱して言語的・理性的・普遍的世界に入る」ことであり、これを「脱中心化」という。(中島同書p12)

 「〈いま・ここ〉で知覚されるものという意味で現在するもののみならず〈いま・ここ〉で知覚されないものという意味で『不在のもの』をも承認する」とは、過去形や未来形の言語を覚えることで、もうない過去とまだない未来を理解できるようになるということである。今現在では不在となった過去を想起すること、まだ実現ていない未来(不在というより無の未来)を予期予測すること、すなわち「不在のもの」を承認することである。そして、脱自己中心化することで「そと」の観点を習得することで、自らを対象化することができ、「そと」に対応して「うち」の観点をも習得する。「うち」の観点とは「私」という観点である。

 言語を習得するということは、よく考えてみれば不思議なことである。

「有機体S1は言語を習得することによって、有機体としての自己中心化された世界把握を離れ、脱中心化の反逆を遂行する。言語を習得することによって、S1は『家』という言葉、『痛い』という言葉、『赤い』という言葉、『歩く』という言葉、さらには『ここ』という言葉、『いま』という言葉、そして『私』という言葉など......ありとあらゆる言葉が〈いま・ここ〉で生じている『この一回限りの体験』を意味するのではなく、それを超えた『普遍』を意味することを学ぶ。『いま』という言葉は、この〈いま〉に限定されないこと、『ここ』という言葉もこの〈ここ〉に限定されないこと、そして『私』という言葉もこの『私』に限定されないことを学ぶ。確かにS1は『食べる』という言語を、『食べる』という自分の行為を通して学び、『甘い』という言語を、『甘い』という自分の感覚を通して学ぶ。しかしS1は同じ言葉を他人が彼(女)の行為とその言語使用に即して使うときも、その意味を理解することができるのだ。」(中島同書p232-p233)その意味を理解できることが、すなわち言語を習得するということなのだ。「『私』であるS1は、初めから自他の壁を跳び越えることによって、言語を学ぶのだ。他人にとっての『食べる』と自分の『食べる』、他人にとっての『甘い』と自分にとっての『甘い』がいかに体験的に異なっていても、いやいかなる同一性の規準がなくとも、それに疑問を覚えずに同一なものとして学んでしまうのである。」(中島同書p233)

 私たちの生は「この一回限りの体験」であり、私たち固有の生きるという体験であるにもかかわらず、私の体験も他人の体験も同じような「体験」という語(これはもう一つの観念)となってしまう。これはよくよく考えると、不思議なことなのだが、「言語を習得した有機体である『私』は、こうした自他の体験の差異を消去してしまう客観的な言語を通してはじめて、みずからの経験(内的経験)をも言語的に表すことができる(二次的自己中心化)。出来事の起こった時間順序や時間間隔に関しても、(他人の行為を含む)外的経験を通してはじめて、(いかに自分の実感に沿わなくても)自分の実感のほうを訂正して、客観的意味を承認するのだ。カントは、このことを熟知していた。

 《しかしながら、ここで証明されるのは、外的経験こそ本来直接的であるということ、外的経験を介してのみ、(中略)時間におけるわれわれ自身の現存の規定が、言いかえれば、内的経験が可能となるということである。》(カント『純粋理性批判』上 原佑訳、平凡社ライブラリー、p445)」(中島同書p233-p234)

 言語はそれ自身において「普遍的意味」を担っている。つまり、個々の固有の体験は実際のところ、千差万別の相貌・様相を呈しているにもかかわらず、それらの差異は消去され、抽象されて、一つの意味、一つの観念として、一個の言語(「体験」という言葉)として一元化されてしまっている。言葉(言語)で私たちの周囲の世界を改めて見回してみるとき、その行為によって私たちははじめて外的経験が理解可能となり、言語を通して私たちは外的経験としての客観的世界を了解できるようになる。不分明な、主客未分化の混沌の世界を分節すること(それが言語化することだ)ができるのは言語を学んだからであり、言語の指し示す普遍的味のおかげなのだ。そして「普遍的意味を外的経験(客観的世界)に付与できる者のみが、その客観的世界における『内的経験』を言語によって表現できるのである。そして、このとき同時に、S1はあらゆる他の言語を学んだ有機体Sfの『内的経験』をも承認し、しかも、それらのいずれもが自分にとっては完全な不在であること、言いかえれば、自分の『内的経験』のみが現実的であることを了解するのである。」(中島同書p234-p235)

 自分以外の有機体Sfの『内的経験』が表現する一連の言語表出は、自分が現実的に経験している内的経験とは全く別物であることは確かである。他者の言語が表出された時点において既に私が受け取るその言語表出の意味は言語であるかぎりにおいて普遍的であり、観念を表すものになっている。言語表出は観念の世界を構成することと同じである。他者(自分以外の有機体Sf)の発する言葉(「痛い」)と私の発する言葉(「痛い」)は同じ「痛い」という言葉であるが、私「S1は自分が現に『痛い』場合と他人が『痛い』という言葉を発する場合(自分が現に痛くない場合)との根原的差異性に気づきながらも、やはり『痛い』という言葉の普遍的意味を覆すことなく生き続けなければならないのである。」(中島同書p235-p236)

 私たちは「言葉の意味の普遍性」に拘束され続けている。ここから逃れる方法はあるのだろうか。言葉を失う以外に方法はないのだろうか。言語習得以前の有機体に戻るということはいかなることを意味するのだろうか。言語習得以前の有機体が見ている多元的世界の眺めはいかなるものなのだろうか。しかし、それは言語で表出されることが不可能であるかぎり、表現不可能な世界であるに違いない。

 中島はカントの「超越論的統覚」という概念を説明して書いている。

「言語を習得した有機体S1は、本来有機体として自己中心化されている世界をむしろ脱中心化された超越論的視点から見返す。有機体S1は超越論的統覚であって、いわば『そと』からかけがえのない固有の身体(K1)を振り返るのであり、そのときはじめて、K1 を通じて経験してきた固有の現実的経験系列、すなわち『内的経験』が開かれるのだ。」(中島同書p237)

 「超越論的統覚」となった「私」は、「うち」からの視点だけでなく、「そと」からの視点、つまり、自分で自分を外的直観の対象とすることができる視点を獲得する。そして中島によれば、そのとき同時に、「同じように言語を学んだ有機体Sf(すなわちS1の『他者』)の内的経験を構成することを必然的に伴うのである。」(中島同書p237)

 こうして誕生した世界、統一的な客観的世界に私たちは生まれさせられる。「超越論的統覚は多元的実在世界を統一的な客観的世界(観念=現象)へと転回させる支点に位置する。こうした転回によって、S1は『リンゴ』『赤』あるいは『歩く』『食べる』あるいは『痛い』『快い』などの言葉が統一的な意味を与える世界の中に生きている(これがハイデガーの『世界内存在』(In-der-Welt-sein)にほかならない)。こうした世界において、S1はすでに一定の固定した意味を一方的に受け取るだけであるように思われる。だが、S1は、こうした世界内で、あらためて言語的レベルでの自己中心化(二次的自己中心化)を遂行しようとする。脱自己中心化された世界を、ふたたび自己中心化し、それを獲得した言語で語ろうとする。ヘーゲルの用語を使えば、否定され、媒介された自己中心化を目指すのであり、観念(現象)としての統一的客観的世界の『うち』で、ふたたび多元的世界を復元しようとするのだ。」(中島同書p238)

 しかしながら、多元的世界の復元はできるはずもないだろう。「S1は(『私』という言葉を含む)言語の意味が(S1以外の)他の言語を習得した有機体Sfと共通であることを知りながら、自分自身の内的経験は、他の有機体Sfの内的経験と異なることを悟っている。S1は固有の『うち側』、すなわちあらためて有機体として自己中心化された世界を、まさに脱自己中心化することによって習得した言語によって示そうとするのだが、それが至難の業であることも悟る。『私』『ここ』『痛い』等々の言葉を、S1がその固有の身体K1を指し示しながら発話するなら、自己中心化された意味を持つ、しかし、これらの言葉をK1を指示することなしにそれだけを切り離しても、脱自己中心化した意味(普遍的意味)しか持ちえないことを知る。それぞれのS1は、この『私』とそれ以外の『私』との差異性を表す『内側からの言語』を語ろうとして、挫折するのである。」(中島同書p239-p240)

 「有機体として自己中心化された世界を、まさに脱自己中心化することによって習得した言語によって示そうとする」哲学的立場のことを「独我論」という。サルトルは『存在と無』の中の「独我論の暗礁」という章で独我論について書いている。

「他人は、観念論的な立場においては、私の認識の構成的概念とも見なされえないし規制的概念とも見なされえない。他人は、現実的なものとしてとらえられるが、それにもかかわらず、私は、他人と私との現実的な関係をとらえることができない。私は他人を対象として構成するが、それにもかかわらず、他人は直観によっては与えられない。私は他人を主観として立てるが、それにもかかわらず、私が他人を考察するのは私の思考の対象としてである。それゆえ、観念論者にとっては、解決の道は二つしか残されていない。『他人』の概念をまったく取り除いて、かかる概念が私の経験の構成にとってまったく無用であることを立証するか、他者の現実的存在を肯定する、いいかえれば、意識個体相互間における経験外の現実的な交渉をみとめるか、そのいずれかである。

 第一の解決は、独我論solipsismeの名で知られている。けれども、この解決が、その名称にふさわしく、私の存在論的な孤独の肯定として、言いあらわされるならば、この解決は単なる形而上学的仮説であり、まったく根拠も理由ももたないものになる。なぜなら、かかる解決は、結局のところ、『私の外には、何ものも存在しない』と言うことに帰するからであり、したがって、それは私の経験の本来の場を超出するからである。けれども、もしこの解決が、もっとひかえめに、経験の堅固な地盤を離れることの拒否として、他者という概念を使用しないための実証的な試みとして、あらわれるならば、この解決は、完全に論理的であり、批判的実証主義の次元にとどまる。そして、たといこの解決がわれわれの存在の最も深い傾向に反するものであるにせよ、この解決は、観念論の立場で考えられた『他人』の観念にふくまれる矛盾から、その正当性を引きだす。」(サルトル『存在と無』第二分冊 人文書院 昭和46年8月31日 p27-p28)

 サルトルは独我論が「他者」の概念を排除せずにはいられない事情を言語習得の視点から分析してはいない。また、独我論がなぜ「私の外には、何ものも存在しない」という「まったく根拠も理由ももたない」形而上学的仮説を展開せざるをえないのかという背景も触れてはいない。

 中島はサルトルに代わって書いている。

「実在的世界は有機体が言語を学ぶことにおいて脱自己中心化するとき、そこに開かれる観念=現象としての統一的・客観的世界なのであるが、それはもともと多元的視点を有し、各有機体がお互いから絶対的に隔絶されている根源的構造を脱自己中心化して成立した世界にほかならない。その場合、その反対側に自己同一的・疑似物体的な超越論的統覚が成立する。すなわち、超越論的統覚とは、こうした脱自己中心化した実在世界に意味付与する限りにおける『私』である。

 だが、これに留まり、固有の身体にとっての『私』でなければ超越論的統覚は『人間的私』ではない。そこで、超越論的統覚は固有の身体(内官)に向かって自己触発し、二次的自己中心化に進むのであるが、その場合、言語を習得したあらゆる有機体Sにとっての自己中心化した不在の世界のうち、ただ一つ特権的に現存する自己中心的世界を発見する。というより、S1は客観的実在世界と他の有機体に開かれている不在の自己中心化した世界の登場によって、脱自己中心化する以前のもともとの有機体としての中心化された世界を、再発見するのであり、ヘーゲル的に言えば、自己回帰するのである。

 この段階で、S1は『痛い』という言葉を脱自己中心化された意味を基準にして、あらゆる言語を学んだ有機体が、同じ『痛い』という言葉を使うのに、なぜこの『私』のみ『現に痛い』のか、なぜ他の言語を学んだ有機体Sfが『痛い』ときに、この『私』は痛くないのか、という奇妙な問いを提起してしまうのである。

 いわゆる『独我論(solipsism)』とは、言語を学ぶことにより脱自己中心化した有機体S1が、言語レベルで完全な自己中心化を取り戻そうとする運動である(ラカンのS(に斜線を引いた記号)に重なる)。だが、S1は言語以前に戻れないから、これまで学んできた言語が強要する脱自己中心化に逆行して、初めから自己中心化を目指す言語活動を開始しなければならない。すなわち、すでに脱自己中心化することによって習得した言語を、完全な自己中心化的世界を表現するものとして使用しなおさねばならない。『赤い』とはS1が意味付与する限りの『刺激=赤』に、『痛い』はS1が意味付与する限りの『刺激=痛み』に、『ここ』はS1が意味付与する限りの『刺激=ここ』に、そして『私』もS1が意味付与する限りの『刺激=私』に。」(中島同書p255-p256) 

 

 (注)ラカン的用語解説 によれば、Sに斜線を引いた記号については、《「斜線を引かれた主体」と読む。私(=ブルース・フィン ク)が論じているように、主体には二つの側面がある。(1)言語のなかに/によって疎外されたものとしての、去勢(=疎外)されたものとしての、「死ん だ」意味の沈着としての主体。ここでの主体は、〈他者〉によって、すなわち象徴的秩序によって侵食されているので、存在を欠いている。( 2 )他なるものが「自分自身のもの」になる主体化のプロセスにおいて、二つのシニフイアンの問に走る閃光としての主体」。》

 

「独我論者が『私』という言葉を『刺激=私』という意味を流し込んで使用するとしても、このことは他者をも『刺激=私』という言語の使用へと強制するいかなる力を持たないゆえに、『私』はやはり依然として多元的世界を表現する代名詞としての伝来の意味に立ち返ってしまい、彼の試みは絶えず足許から崩れていく運命にあるのだ。だが、独我論は生き延びる。なぜなら、それにもかかわらず彼(女)は『私』のみならず、すべての言葉を自己中心化的に意味付与する限りの言葉に変換し続けることはでき、この意味で挫折することはないからである。

 こうして、有機体S1が言語を学ぶと、そして二次的自己中心化を真剣に遂行すると、S1は独我論者になるであろう。しかし、独我論者S1は、言葉の普遍的意味を切り崩すことはできず、よって、客観的実在世界を切り崩すこともできない。なぜなら、独我論者S1はみずからが客観的実在世界と並んで『ある』とは言えないことを知るからである。彼はみずから『不在』として自覚するほかはない。」(中島同書p258)

    

 こうした独我論者が挑む変換はなるほどサルトルが指摘しているように、他人と私との矛盾から正当性を引きだすことはできるとしても、「われわれの存在の最も深い傾向に反するもの」るとサルトルが書いたのはなぜか。私たち一人ひとりの存在は「かけがえのない」存在であるにもかかわらず、それぞれの根源的差異を消去することによって、普遍的意味を伝えるために、言語(言葉)が発祥し、伝搬したからかもしれない。言語の登場の結果、現生人類としての意識個体相互のコミュニケーションが可能となり、集団的かつ統一的行動力を実現することができたのである。現生人類が相互のコミュニケーションを形成するために、他人と私とを規制する公共的な統一的・客観的世界観を普遍的観念として構成したことで、いろいろなものが零れ落ちてしまったと中島はいうが、それと引き換えに、人類は大いなる文化と文明を勝ち得たということができる。

 中島は、公共的な統一的・客観的世界が消失させたものとして、時間概念を挙げている。

「物理学的世界像は〈いま〉を消去するのではない。現在する〈いま〉とこれまでの不在の〈いま〉群とのあいだ(さらには、これからの不在の〈いま〉とのあいだ)の差異を、すべて『可能な〈いま〉』へと平準化することによって消去するのだ。この〈いま〉は、ただ可能な〈いま〉にすぎず、よって『すでにない』どの〈いま〉とも、まだないどの〈いま〉とも等価であるにすぎない。

 現在・過去・未来は平準化された世界像に支えられて、かつての〈いま〉群は『すでにない』というあり方のまま、客観的時間において固有の位置を占め、その限り消滅することはない。これまでの138億年に及ぶ過去世界は『すでにない』という不在として〈いま〉『ある』のだ。そして、さらにこうした過去世界を(〈いま〉を跳び越して)やはり〈いま〉『まだない』という不在として過去と反対側に延ばしたものが未来である。」(中島同書p281-p282)

  

 中島が抉り出したのは、「公共的な統一的・客観的世界」(統一的実在世界)というものは、言語によって創り上げられた共同観念だということである。もちろん、この現実世界の物質的構成が単なる言語上の観念だということではない。私たちの身体、日本列島の自然環境、その他の諸々の物的代謝関係は実在的で現実的なものである。しかし、これらのものと「公共的な統一的・客観的世界」(統一的実在世界)とはかなり異なっている。普通に私たちは使い分けているのではないだろうか。中島は客観的世界とされる世界における客観的時間のあり方を説明している。

 「観念としての客観的世界をその根底において支えているのは、客観的時間である。客観的時間は物理学においても、歴史学においても、日常生活においても、リアルなものとみなされるが、この『みなし』はいかなる〈いま〉も他のいかなる〈いま〉とも対等である『現在』という時間様相に読み換える操作が基本になっている。この〈いま〉とあの〈いま〉の(誰でもが知っている)根源的差異性は無視される。すべての〈いま〉は客観的時間上の一点として対等であり、可能な現在であり、そこから見ると、他の点は過去になったり未来になったりする。そして、このことはすべての点において成り立つ。すなわち、すべての客観的時間上の点は可能的に現在でも過去でも未来でもありえることにおいて対等なのである。

 こうした客観的時間に基づいた世界像に決定的に欠けているのは『不在』である。この世界においては、それぞれの時点においてその他の時点は『不在』なのだが、じつのところそれらがあたかもその他の場所に『現在』しているかのように描かれている。その場所を提供するのが、直線としての時間表象であり、時間は直線的形態を有していて、それぞれの時点は『時間』という名の一つの直線上の点に対応する。こうして、あらゆる現象の変化は、時間上の場所の変化に翻訳され、すなわち時間という直線上の場所の変化、すなわち運動にすぎない。過去の出来事は、世界から消え去ったのではなく、時間という直線上を運動しただけであり、現在から過去という場所に移行しただけなのである。これまでのすべての出来事は『すでにない』という不在なのだが、それらはこの〈いま〉において不在なだけであって、過去のそれぞれの点において立派に現在しているのである。こうして、不在が消え去り、それぞれの時点において現在するものだけから成っている世界、それが客観的世界なのである。」(中島同書p303-p304)

 

 こうした観念としての客観的世界は私たちにどのような不都合な事情をもたらすのだろうか。私たち一人ひとりが生きている、かけがえのない「この一回限りの体験」としての私たちの生がこの「統一的な客観的世界」とされるこの世界のどこにも位置づけられない、私は実はこの世界にはどこにもいない、不在であり、捨象されている。

 一方で、私たちはもう一つの別の世界に住んでいる。言いかえると、私たちは二つの世界、つまり日々「この一回限りの体験」をしている世界と「統一的な客観的世界」の二つの世界に、二重生活をしていると中島は言う。そして、この二つの世界では、不在と実在は交互に入れ替わる。「この一回限りの体験」の世界にあるとき、私たちにとって「統一的な客観的世界」は不在の世界、観念の世界となっている。「統一的な客観的世界」の中で私たちが他者と諸関係を取り結んで活動しているとき「この一回限りの体験」の世界は捨象されて不在なっている。

 言葉には普遍的意味があるが、実際の出来事はこの普遍的意味からはみ出す。例えば、「痛い」という言葉は私が感じる私の身体への強い作用、強い刺激、私の身体へ加えられた物理学的な力の作用をくまなく表現することができるだろうか。これらの実際の事態の様相は「痛い」という言葉では伝えきれない多くの事柄に溢れている。そのときに私は「痛い」と発話するしかないのであるが、そこでは多くのことが零れ落ちている。それは私にはよくわかる。一方、その私の「痛い」と発話したその言葉と他者が発話する「痛い」という言葉は同じ「痛い」という言葉で意味付与され、統一される。また、他者が実体験するであろう、私と同じような物理的作用への反応として他者が発する「痛い」という言葉も、私と同じ様相を呈する。そこにある「絶対的差異性」、その事態の隔たりについても私たちは十分自覚している。言葉というものが持つ「絶対的差異性」の消去の定向進化は、抽象化と捨象の作用を経て、世界のあり方、意味付与の仕方を類型化、同一化する方向へと向かう。

「この世界(『この一回限りの体験』の世界)におけるすべての出来事はただ一度だけ生起する。その出来事はある一定の時にある一定の場所で起こるのであり、それを構成する物質は『そのときそこにある』だけである。ただ、私は一定の物質の構造に、類似した、場合によってはまったく同一の意味を付与するゆえに、何度でも同じことが繰り返されるような気がするだけである。」(中島同書p336)

 中島は「自分の仕事机からトイレに行く数メートルの歩行」という行為について書いている。一日に何度か「トイレに行く」という具体的行為は、その都度似たような行為であるとしても、一つとして同じ行為ではない。「毎回少しずつ違った速度、角速度、加速度、軌跡」を辿る。毎回の行為はそれぞれ全く違っている。それにもかかわらず、「仕事机からトイレに歩いていく」と私たちは記述する。すると「同一の出来事が何度も反復するかのように」思われてくる。(中島同書p336)あらゆる私の身体行為が為される毎にその時間と空間は全く同一ではないのに、「同じことの繰り返し」という意味付与をしてしまう。そしてこの先を突き進むと、「現実世界におけるあらゆる同一性は(個体の同一性さえも)消えてしまい、ある微小な時間的・空間的位置における特定の現象の自己同一性だけが残るであろう。」(中島同書p337)そして、出来事、物体、行為はすべて同一性でくくられる。すると「私は膨大な数の同一的なものに囲まれて生きていることになり、絶えず同一的なものを反復していることになる。」(中島同書p337)

 「ビッグバンからこれまでの世界は一通りであり、その中のあらゆる出来事は、一度起こっただけである。その意味で、あらゆるこれまでの出来事は現実的(ただ現にそう起こっただけ)であり、偶然でも必然でもない。だが、言語を習得した有機体であるわれわれ人間は、ただ一度だけの現実的なものをとらえた瞬間、現実的世界の『そと』の視点に移動して、現実的なものは膨大な量の『可能なもの』のうちで、(幸運にも?)実現したというとらえかたをしてしまう。そして、〈いま〉なお、依然として膨大な量の可能なものが実現されずに残っていると思い込んでしまうのである。」(中島同書p338)

 私たちは「膨大な量の可能なものが実現されずに残っている」と思い込んでそれを分母とし、「実現したもの」を分子にして、確率計算を行う。きわめて低い確率の答えを見て驚くのであるが、もともとないものを分母にして計算しているだけなのだ。一億分の一の確率で実現したものを見て、「奇蹟」だと思っている。「こうした推論は壮大な錯覚」だと中島はいう。(中島同書p340)

 ではなぜこのような壮大な錯覚をしてしまうのだろうか。

「われわれが、ごく自然にこういう確率計算をしてしまうのはなぜであろうか?それは言語を学ぶと、『内部の視点』と『外部の視点』という二重の視点を獲得するからである。言語を学んだ者は、『私』というあり方を自覚するとともに、『私』の内部の視点(有機体的視点)に加えて外部の視点をも獲得するのだ。現実の有機体的視点ではない。可能な外部の視点(可能な他者の視点)から自分自身を眺めているかのように語ることができるようになるのである。現実的なものは常に可能なものに囲まれているかのように思われる、いや、可能なものが現実的なものに存在論的に先行するように思われる。」(中島同書p342-p343)

 中島の指摘するように私たちは、あたかも天上から自分自身を眺めるような、幽体離脱した私が下界を見るような感覚で私自身を外的直観の対象にしているような感じを持つ。他者の視点に仮想的に立つことをやってみたり、「相手の立場に立って、考えよ」というように言われることもある。そうすると、いくつかの可能な選択肢の中から一つを主体的に選択するというような、「可能なものが現実的なものに存在論的に先行する」感じを実感するかもしれない。

「内部の視点からは、現に起こっていることの確率は一である。それは、それ以上でも以下でもなく、ただ現に起こったのだ。だが、外部の視点からは、それは膨大な量の可能性の波に洗われることになる。そして、一万分の一、あるいは一億分の一、その一億分の一という天文学的な低い確率でおこったことになってしまう。こうした錯覚はさまざまな現れ方をする。時間の経過において、ある時点t0を取って、『t0以前』の視点と『t0以降』の視点に二分する場合も、同じ錯覚が待ち構えている。

 私はきわめて多様な原因によって、あるとき、ある場所で誕生した。正確に言えば、あるとき、ある場所で誕生した特定の人間S1が『この』私になったのである。だが、『私』という言語を習得したS1は、二重の視点を獲得して、自分の誕生を『t0以前』から見ることを学ぶ。そして、その時点におけるS1が生まれる天文学的な低い確率を算出して驚き、自分が生まれたことを奇跡だと思い込むのである。」(中島同書p343)

 その当時のその国の人口が一億二千万人であり、その人口の半分の男たちの中から一人の男とその人口の半分の女たちの中の一人の女が一組の夫婦となる。生殖過程での精子の数が数億である、などという推論を重ねて、「これはまさに奇跡だ」と感嘆するというわけだ。

 こうした立論がいかに無意味かということを、中島は仕事机からトイレまでの歩行を事例として説明している。仕事机からトイレまでの歩行というほとんど意味のない事象において、人が何年かの内に1000回その仕事机からトイレまでの歩行をしたとしよう。ある日のあるその歩行をHとすると、このHが実現する確率はどれほどの天文学的に低い確率になるだろうか。Hという歩行と寸分たがわぬ歩行はこれまでにはなく、この後にもない、この世界でただ一つの歩行である。それは凄まじい奇跡だと言うことは可能である。ことほどさように、このような確率計算をすることは無意味でありばかげているという。

 出来事が「ただ現にそう起こっただけ」であるという事実性を持つにすぎないのに、その出来事自体が持っている事実性ではなく、私たちは自分が望む方向へ勝手に意味付与した相貌を描いて、その出来事の持っている客観的な性質だと思い込んでしまうという。このことは、確率計算だけでなく、偶然性、必然性という概念にも当てはまる。自分が望む方向へ勝手に意味付与した相貌を「出来事の客観的な性質」(中島同書p345)とみなすことによってそこに「仮象」が生じるという。

 偶然性とは何か。「この世で起こる出来事は見通せないほどの多様な原因によって起こる。ただ、単純な変数で処理できるような天体(ロケット、ミサイル)の運動や、結果を確認する方法を狭く限定した閉鎖系(実験室)における現象を除くと、正確な予測は困難である。まして、個々の人間の行為は、わずかにでも正確に予測できない。だが、広く政治学や行動科学や実験心理学などで採用しているように、投票行動や消費行動などを、統計的あるいは漠然とした行為を記述し直して、『予測』することはできる。

 では、原因の見通せない出来事は直ちに偶然的であると言えるのか?そうではない。あらゆる自然現象は、きわめて多様な原因が作用して生起するのだが、そしてわれわれはそれを完全には見通せないのだが、偶然的ではない。(中略)およそ(人間の行為を含む)自然現象がいかなる原因も持たないことは考えられないし、いかに原因がわからなくても、われわれは『ある交通事故が偶然起こった』とも『ある難病が偶然生じた』とも言わずに、『未知の原因によって』起こったとみなすのである。」(中島同書p345-346)

 では私たちが「偶然」とみなすのはどういうときか。「私(各人)がある自然現象に目的あるいは意図を読み込み、『それは偶然に生起した』と語ることは可能である。なぜなら、何が偶然であるかは、――確率と同じように――出来事あるいは対象それ自体に帰属する客観的特性ではなく、〈いま〉与えられている状況において、私(各人)がそのつどの関心において意味づける概念にすぎないのだから。

 こうして、偶然性とは、自然因果性(自然法則)に対抗するもの、それを攪乱するものではなく、自然因果性を承認したうえで、それぞれの『私』が、あるいは(ある共同体において)『われわれ』が、それぞれ固有のパースペクティヴ(視野・視角)からさまざまな『相貌』を付与するときに成立するものなのであり、客観的出来事に対して与える主観的意味であり、出来事それ自身には属さないという意味で『不在』なのである。」(中島同書p347-p348)