先生=飲茶は次のように言っている。
「(見たり触れたりできない)『道徳』は背後世界にあるもの。たまたま、その時代、その文化だけで通用する、誰かが勝手に生み出した空想上のローカルルールということになるよね。」(飲茶『飲茶の「最強!」のニーチェ』水王舎 2017年12月10日p77)
「でも、それでも、やっぱり人間には守るべき『道徳』があるんじゃないですか?」
「それはどうだろう。たしかに、常識的に言えばそうかもしれない。でも『道徳なんて、実際はそんなに上等なものじゃない、むしろルサンチマンから生じた歪んだものだったんだ』とニーチェは批判しているんだ。」
「ルサンチマン?」
「哲学用語で『弱者が、強者に対してもつ嫉妬心・恨み』のことだね。」
「え、じゃあ、ニーチェは、道徳が『弱者の嫉妬心』から生じた悪いものだって言ってるわけですか!?『人生の意味』だけじゃなくて、『道徳』のことまで全否定!?ニーチェ、黒い……黒すぎます!」(飲茶同書p78)
「さてさて、僕たちが普段見たり触ったりしている、この世界はもちろん『現実の存在』だ。ここで、大前提として覚えておいてほしいのは、その『現実の存在』に意味なんかないということ。たとえば、水の入ったコップに塩を入れると、ナトリウムイオンとかに分かれて溶けていくけど、そのこと自体に『意味はない』し、『善悪もない』。誰かのために溶けるわけでもないし、溶けることが善いことでも悪いことでもない、ただ、『現実がそうなっている』というだけ。その観点で言えば、当然、世界の中に『道徳(これこれが善いことだ、悪いことだ)』なんてあるわけがない。」
「問題は、『ではなぜ、僕たちが住む、この社会に道徳なるものが存在するのか?』だ。」(飲茶同書p79)
アキホは「人間には守るべき『道徳』がある」とまともなことを言っている。飲茶は明らかにおかしなこと、無意味なことを言っている。そして、自然界における自然法則と人間社会の社会的な規範とを比べている。そんな無意味な問題の立て方、比較の仕方は哲学とは無縁な詭弁だと思う。
なぜ私たちの社会には道徳があるのか。飲茶は、ニーチェの主張する道徳の起源について次のように書いている。
「奴隷にされている弱い民族(ユダヤ民族)がいた。その民族は弱いため、強いものに復讐できなかった。そこでその弱い民族は、空想上で復讐を果たすため『強いのが悪い、弱いのが善い』という価値観を作り出し、この架空の価値観が宗教を通して世界に広まってしまった。これが道徳の起源である。
したがって、我々のいう道徳の正体とは 、実は『奴隷(弱者)を善いとする歪んだ価値観』にもとづくものであり、『奴隷道徳』だと言うことができる。この道徳観は、『嫌なこと、惨めなことに文句を言わず受け入れる人が善い』という不自然なものであるため、道徳にとらわれている人間は、『人間本来の生き方』ができなくなってしまう。」(飲茶同書p93)
「ニーチェの哲学(実存哲学)の要点は、『人間は『現実の存在』である。』『見たり触れたりできない非現実のもの』に振り回されて生きるのはやめよう」だったよね。で、この非現実的なものの中には『社会から押し付けられた価値観』や『道徳』も入るわけだ。ここで大事なのは、ニーチェはなにも『道徳の起源が弱者の負け惜しみだから、道徳なんて捨ててしまえ』と言っているのではなく、『道徳という『自然ではない架空の価値観』によってまっすぐに本来の人生を生きられないなら、それにとらわれるのはやめよう』と言っているということだ。ここを見誤ると、ニーチェが、単なる反道徳者で反社会的なことを言っているだけの人になってしまう。」(飲茶同書p94)
飲茶は「道徳なんて弱者のたわごと」だと考えたニーチェの主張を次のようにまとめた。
(1)『能力的に優れた人』より『大人しくて弱そうな人』の方が『善い人間』に見えるのはキリスト教の影響である。
(2)奴隷にされた弱い民族の『ルサンチマン(嫉妬)』が道徳の起源である。
(3)『奴隷道徳』とは、『嫌なことに文句を言わず受け入れる人が善い』という不自然な価値観のこと。
(4)『奴隷道徳』は構図で理解すべし。『架空の価値観』を持ち出して『現実の気持ち』をごまかしていないか、自分自身を振り 返ってみる。
(注)奴隷道徳の構図
現実の気持ち=「ブドウを食べたい」
現実の結果=「(ブドウを取ろうとして)飛び上がったけど取れなかった」
架空の価値観=「ブドウはすっぱい」
架空の価値観=「ブドウを食べないことはよいことだ」(飲茶同書p101)
ユダヤ民族の宗教が道徳の起源であるという説は正しいのだろうか。もしそうなら、ユダヤ民族の宗教の存在しない地域には道徳はなかったことになる。しかし、道徳の起源は宗教の起源よりももっとずっと古いと言われている。
ニーチェの道徳起源論について、オランダ・ユトレヒト大学哲学・宗教学部准教授ハンノ・ザウアー(1983-)は次のように書いている。
「モラルを、そしてモラルにともなう謎と矛盾を理解するには、その起源を知らなければならないという考え方自体は新しいものではない。哲学者としてこの問題に取り組み、大きな成果を挙げたのはフリードリッヒ・ニーチェだ。ニーチェはモラルの起源の探究を先祖研究に見立てて『系譜学』と呼んだ。ニーチェはほかの誰よりも、論述と事実だけでは人の心を変えることができないと理解していた。ニーチェの『道徳の系譜学』では、強者や美しく高貴な者に対するルサンチマン(怨恨・憤り)の毒に冒された弱者や貧困者が、あらゆる価値の再評価を実現する様子を描いている。この奴隷の反乱物語は、私たちに道徳的『偏見』に対する疑念を促すことが目的だった。ニーチェは自らの道徳批判を前向きな代替案に置き換え、寛大さ、誇り、肯定的な創造性という非奴隷側の価値観を基準とする道徳について論じた。
ニーチェは1887年に発表した『道徳の系譜学』で、『良い』と『悪い』という価値観を『善』と『悪』で置き換えることは『畜群道徳』〔訳注:ニーチェは、自分で考えようとせずただ権威に追従する大衆を畜群と呼んだ〕を巧みに強制するやり方だと説いた。かつて権利を奪われた者や弱者は、畜群道徳を用いて高貴な強者を心理的に攻撃し、彼らに過ちを愛すべきこと、疲弊を価値あることと混同させるのに成功したのである。畜群道徳は、人の道徳的良心は公平に道徳的義務を思い出させる内なる声などではなく、残虐な衝動の内面化に由来していると証明しようとし、自己否定という道徳的禁欲を退廃および命の敵視の兆候として否定する。
しかし、道徳の起源に関する説明には大きな問題点がある。正しくないのだ。ニーチェの時代に支配的だったキリスト教の価値規範、つまり慎みと平等、謙虚さと共感は弱者の無力感と自己嫌悪から生まれたとする主張も、強者の華やかさに対する弱者の怒りやくすぶる軽蔑が命を敵視する価値観の発明につながったとする主張も、歴史的には証明できない。」(ハンノ・ザウアー『MORAL 善悪と道徳の人類史』講談社 2024年11月20日 p20-p21)
ザウアーは「はじめに」においてこう書いた。そしてニーチェが論じた欧州の「中世初期のキリスト教ばかりに注目」するのではなく、「人間の道徳の誕生というもっと根源的な問題に目を向ける必要がある」と書いている。(ハンノ・ザウアー前掲書p21)
ザウアーは、五〇〇万年前の出来事について次のように書いている。
「(五〇〇万年前)干ばつで木々が消えた。大地は裂け、そこかしこに深い谷や切り立った渓谷が生まれ、巨大な暗い湖や沼地、高い山や平らな丘が形づくられた。蔓植物、湿った巨大なシダ、ぷっくりとした多肉植物、地面からむき出しになった木の根のあいだに生えた色とりどりの花と香り豊かなキノコ――それまで私たちを守ってくれた森が、まもなく棘のある低木や茂み、鋭利な草に場所を譲った。
私たちが木々に背を向け、木々が私たちから去ったとき、目の前には開けた大地が待っていた。この新しく、そして果てしのない世界は、石や炎が降り注ぎ、食べ物も乏しかった。その代わりに、私たちよりも俊敏で獰猛な動物が、私たちと同じぐらい腹をすかせていた。
量にしてショッピングカート半分ほどの骨の化石。人類のいちばん古い祖先が残したものは、それだけだ。数本の歯、頭蓋骨の破片、眼窩上隆起のかけら、上顎と下顎の一部、大腿骨の破片以外のものは見つかっていない。」(ザウアー同書p24)
500万年前に他の類人猿と人類の共通の祖先は枝分かれした。木から降りた人類の祖先は、腹をすかせた俊敏で獰猛な動物によって大量に食われてしまったと推測されている。絶滅しなかったことが奇蹟のようだ。
「人類は過酷で危険な世界に生きていた。アフリカ大地溝帯の形成によって大陸東部の様相が変わり、サバンナのような大地が広がったため、人類は肉食動物から身を守れなくなった。荒涼とした大地には、登って猛獣をやり過ごす木がないからだ。西部に生成しはじめた山岳が障壁となって、それまで大地を潤していた大西洋からの風や雨も届かなくなった。
ラエトリで発見された家族(大人二人、子一人)の足跡は、タンザニア北部のサディマン火山の灰のおかげで四〇〇万年前から失われずに現在まで伝わった。これは直立歩行の生活が始まっていたことを示す最も古くて信頼できる証拠とみなされている。密林の外という新たな生活条件が、二足歩行を可能にした。当時の人類はまだ木登りの名人だったが、生活様式のほうが長距離を歩いて移動するものに変わっていった。平坦な広い大地では、広い視野と迅速な歩行のほうが有利だった。」(ザウアー同書p28-p29)
「人類の祖先にとって、なぜ社会生活が重要だったのだろうか?協調能力が不可欠になった理由は?この疑問に答えるには、アフリカ大地溝帯の形成で生じた気候と地形の変化に注目する必要がある。
人間の道徳にとって最初の根本的変革が起きたのは、道徳が発明された瞬間だったと言える。動物は、ほとんどの種も、集団の維持を目的とした行動をとる。魚の群れは、耳には聞こえないリズムに霊的に従うかのように同調した動きを見せる。ミツバチやアリなど社会生活を営む昆虫は完全分業制を敷き、個体は巣やコロニーのために自己を犠牲にする。人間の道徳の基礎となった協調の形態は、個人の利益を犠牲にしてでも、全員の利となる公益を優先する点が特殊だ。
協調の始まりが人類にとっての最初の道徳的変革だった。なぜ協調したのか?気候と地形が変化したからだ。密林が広々と乾燥した平地に変わったため、人類は特殊な協調能力を手に入れた。(中略)(チンパンジーやボノボは中央アフリカ・コンゴ川周辺の密林で生活していたが)私たち人類のほうは環境が不安定だったことに加えて、いまだ危険な猛獣の脅威にさらされていたので、そのような弱みを補うために、互いに守り合う必要に迫られていた。そして、集団より大きく、団結をより密にすることで、強さと安心を得たのだ。最も知性の高いサルを五〇〇万年の期間、広々とした草地で暮らすよう強制すると、私たち人間に進化するのである。」(ザウアー同書p29-30)
「モラルの歴史にとって重要なのは、過去の進化のどの特性が、人間の協調心を形成したのかという疑問だ。人間に、ほかでは見られないほど自発的で非常に柔軟な協力意欲が備わっているのは、なぜだろうか?」(ザウアー同書p33)
「集団で狩りをすること」によって、「集団意図。つまり『我々意識』を育み、狩猟という複雑な能力を学び、協力して実践することが進化として有意義だった。狩猟への参加や獲物の分配などを取り仕切るための詳細の制度も同時に発展した。
こうして、協調性を有する生物であった人類は、自然と社会から協力作業の果実を収穫できたのである。」(ザウアー同書p34)
ザウアーは狩猟について書いているが、ドナ・ハートらによれば、「狩猟に重きを置く生活様式になったのは、(中略)おそらく6~8万年前」(ドナ・ハート、ロバート・サスマン『ヒトは食べられて進化した』化学同人 2007年6月28日p306)からで、それまではずっと「初期人類は、広い範囲の食物源を利用できた。固くて歯ごたえのある植物(果実、木の実、種子、豆の入った鞘)も食べれば、柔らかくて噛みやすい植物(熟した果実、若葉や草、花、芽)も食べていた。また草の実、根、地下茎、塊茎など砂にまみれた研磨性のある植物も食べることができた。(中略)初期ヒト科の歯は、肉を食べるようには前適応していなかった。」(ドナ・ハート他同書p310)
「肉に対する人間の食欲に栄養学的根拠はないとする研究者もいる。ただその味が好きなだけなのだそうだ。生物学者によれば、タンパク質には味がない。けれども脂肪には味があるのだ。脂肪混じりの『霜降り』ステーキが珍重されて垂涎の的だった時代があった。マグロやサケなどは脂がのっていて、魚の中では肉に近い魅力がある。」(ドナ・ハート他同書p312)
「植物性食物をほとんど排除していた食生活が一因となってネアンデルタール人は絶滅したのではないか」(ドナ・ハート他同書p314)という説を主張する者もいる。
「太古の祖先は実に多様な食物源を利用できたが、おもに果実を食べていた。」(ドナ・ハート他同書p316)
ザウアーが言うように、人類は協調を有する生物であったが、なぜ協調性が大切であったのか。それはドナ・ハートらが書いているように、太古の祖先はとにかく、500万年の間、たくさんの猛獣の捕食者に食べられ続けたからである。
そうした人類の祖先の事情をドナ・ハートは次のように皮肉交じりに書いている。
「初期ヒト科は、ネコ科、イヌ科、クマ科、ハイエナ科、猛禽類、爬虫類にとっておいしい食材だった。」(ドナハート他同書p259)
「小柄な生き物(太古の祖先は女で1メートル程度しかなかったという-引用者)で、脳がさほど大きくないため、たいした分析力はもたず、平らな地面にすっくと立って、何百万年もそんなふうに生きてきた。(中略)要するに二本足で歩くカモだった。肉のついた跛行動物(二足歩行は不格好でふらふらとゆっくり歩いているように捕食者には見えたらしい-引用者)、二足歩きする食べ物、剣歯ネコのご飯、ジャイアント・ハイエナのおかず、ワニの箸休めというような、捕食者にとっての飾りっ気のない簡素な食事だった。一言でまとめると、初期人類とは捕食される種である。このようにとらえると、私たちの起源は、慎重に行動しなければならず、仲間に頼らなければならず、危険を伝え合わなければならず、そして生命の複雑なサイクルの単なる歯車たる身分を甘受しなければならない、そんな数ある種の一つに過ぎないことが見えてくる。」(ドナハートら同書p14)
「明らかに人類は捕食にさらされることによって、行動も生態も形態も適応してきた種である。」(ドナハートら同書p15)
捕食者に対して初期人類が取った対策は、体の大型化、集団の形成による集団による防御などであるが、脳の大型化によって生存率は高まった。「大きくて強い捕食者を相手にすることで、脳がより大きく、より複雑になるように拍車がかかった可能性がある。なぜならば、生き延びるためには、捕食者を出し抜くしか方法がないからだ。」(ドナハートら同書p244)
そしてここで決定的に重要なのは、人類が持つこととなった言葉である。最初は警告発声が必須となり、次に次第に会話をするようになった。(ネアンデルタール人の頭蓋骨の分析によれば、現生人類が出すような音を作り出すことはできなかったという。ドナ・ハート他同書p252)
その言葉によって構築された観念が「背後世界」の観念であり、「分配などを取り仕切るための詳細の制度」であった。
フランスの生物学者ジャック・モノーは書いている。
「生物圏において他に類を見ない唯一の出来事であるところの、人間の持つ特異的性能ともいえる象徴的言語の発達が、文化・思想・知識などという新しい世界を創造するというもう一つの別の進化への道を開いた。」(ジャック・モノー『偶然と必然』みすず書房1972年10月20日p.149)
「人間の象徴的言語は、動物が用いているいろいろな伝達手段(聴覚的・触覚的・視覚的などの手段)に還元することが絶対に不可能であり、他に類を見ない出来事であるということは、現代の言語学者たちの強調してきたことであり、これは、事実、正しい態度であるといってよい。(中略)動物の脳は、疑いもなく、単に情報を記録できるだけでなく、情報を結合させたり、変換させたり、さらにこれらの操作の結果をフィードバックさせて個々の行動を起こさせることさえできる。しかし、これが主要な点であるが、動物では、ある個体の独創的で個性的な結合なり変換なりを他の個体に伝達できるようにすることはできない。これに反し、人間の言語は、ある個人で実現した創造的組み合わせや新しい結合が、他の人たちに伝えられ、もはや本人とともに滅びることがなくなった日に、生まれ出たのだとみることができる。」(ジャック・モノー、同書p.150)
そもそも、「モラルとは協調を可能にする心理メカニズムのことだ。(中略)人間のモラルとは、神の発想でもそのほかの誰かによって前もって決められた規範のカタログでもなく、歴史で培われたものだ。だからこそ、道徳哲学は――ニーチェが鋭くも指摘したように――系譜的なものである。道徳の歴史は、進化論、道徳心理学、人類学における最新の発見に依存する。依存するがゆえに、当時ニーチェが批判した、道徳の起源を考える際に多くの人が示す単純さも、ニーチェ自身が有していた、考え方としてはおもしろいが同時に悪いクセでもあった極端な誇張も避けることができる。」(ザウアー同書p56-p57)
こうして、発明された「利他的かつ親切な」人間のモラルは、「小さな集団」に向けられたものだった。そして、人類の集団が大規模化することで、人類は「懲罰と飼いならしの制度」を作った。(ザウアー同書p78)
「懲罰の歴史抜きに道徳の歴史を語れないことは、すでにフリードリッヒ・ニーチェも悟っていた。『道徳の系譜学』の二つ目の論文で、良心の呵責――つまり、自分に課した、あるいは他人から期待される道徳的な要求を満たせていないという意識――は、攻撃本能の内面化によって生じると示そうとしている。人が生まれつき有する攻撃性は、人間の社会化が進むにつれて、新たな道を開拓しなければならなくなった。『外に放たれない本能は内へ向かう。これを私は人間の内向化と呼ぶ。内向化により、人の中でのちに „ 魂 “ と呼ばれるものが成長する』(ニーチェ『道徳の系譜学』S.322)。
この考えは、欲求が排出されずにたまると、強い圧力を生み、最後には他の経路へあふれ出すという、今となっては時代遅れの心理学にもとづいている。」(ザウアー同書p81-p82)
ザウアーはこの懲罰というものが人間の進化にどういう影響を及ぼしたかを問う。すなわち、「これほどまでに従順で、規律的で、先のことを考え、順応性の高い動物は、いつ生まれたのか?何をきっかけに、どう生まれた?そしてなにより、約束をするにはどんな能力が必要なのだろうか?
約束をするとは、他の人に対して、何らかの義務を負うということだ。ある人物が、特定の時間(T)に特定の行動(X)をとると宣言するとき、その人は相手に対して、宣言の内容が行われると期待していいと伝えたことになる。そのためにはまず、未来が存在することを理解しなければならない。しかし何よりも、Xができない状況に陥らないように自分をコントロールでき、そしてTが来たときには、そのときの気分がどうであれ、約束を実行できると、自分を信頼していなければならない。したがって、約束が『許される』のは、必要な自制心を有していることを保証できる者だけである。友人に、月曜日の朝に家まで迎えに行って、病院へ連れて行ってあげると約束するということは、日曜日に、月曜日の朝に起きられなくなるほどの夜更かしはしないと心に誓うことを意味している。加えて、月曜日の朝に迎えに行く気になれなくても、それでも必ずやって来ると、相手に合図したことになる。遠い未来の計画を立てる能力は、どれぐらい特別なのだろう?本当に人間だけの特権なのか?ニーチェの考えでは、約束できる――それどころか『許される』――ことは、人間類型における自制心、先見性、規律、協調能力をもつ存在が発生するための鍵だった。
そして最近になって、懲罰がその能力の獲得のきっかけとなり、人類のモラルの歴史で決定的な役割を担ったことがわかった。もちろん、その発展はニーチェの想像とはまったく異なっていた。人類の自制心と先見性が宿るきっかけとなったのは攻撃衝動の内向化ではなく、衝動性や攻撃性を排斥する進化選択が行われたからだ、そのおかげで、私たちは約束できるようになった。」(ザウアー同書p82-p83)
この五◯万年前の懲罰については、「今のところ、私たち自身が極端に攻撃的・暴力的なメンバーを殺害することで、自らを家畜化(家畜は友好的・協調的な行動をする)したという話が、最有力とみなされている。その際、平和を大きく損なう者を暗殺することも少なくなかった。前時代的な暴れん坊どもが殺害されたことで、彼らの遺伝子は繁殖できなくなり、その結果、攻撃性、衝動抑制不全、暴力傾向などが弱まっていった。つまり人間も、のちのちギンギツネや、少し前のオオカミと同じように家畜化されたと言える。
このようにして、進化が私たちを以前よりも温厚に、しかし同時に残忍にもした。家畜化を通じて、人間は基本的には平和で、協力的で、調和を重んじるようになったのだが、その分、基準から外れる他人には敏感になり、彼らを厳しく監視し、容赦なく罰するようにもなった。」(ザウアー同書p91)
ドイツの宗教社会学者マックス・ウェーバー(1864-1920)はルサンチマンから奴隷道徳が生まれたというニーチェの道徳の起源に関する試論について次のように書いている。
「宗教倫理が階級関係によって全面的に制約されているという見解は、ある程度抽象的なかたちでは、『ルサンチマン』Ressentiment〔怨念〕の理論――ニーチェのすばらしい試論以来有名となり、その後心理学者によって才気縦横にもてはやされてきたあの理論――から導き出すこともできるであろう。人間の憐憫の情や同胞意識などの倫理的聖化が、不利な状態におかれている人びと――それが自然的素質によるものであれ、生活における悲運によるものであれ――の企てた倫理の世界における『奴隷の反乱』であり、したがって『義務』の倫理なるものは、無力なるがゆえに『抑圧され』ている人びと、つまり、労働と営利の呪いの下におかれている卑賤な職人たちが、なんらの義務もなく暮らしている支配者層の生活に対して抱く復讐-感情の所産であったならば、――じじつそうだったとすれば、宗教倫理の類型論におけるもっとも重要な問題に対してきわめて簡明な解答が与えられたことになるのは明らかだろう。けれども、ルサンチマンの心理学的な意義の発見それ自体が、たとえいかに適切で実り多いものだったとしても、その社会倫理的な射程距離を評価するにさいしては、十分な注意をはらうことが必要である。
生活の倫理的な『合理化』のさまざまなあり方自体を規定してきた諸動機については、後段でしばしば言及する。が、それもたいていのばあいは、ルサンチマンとなんの関係もないものである。」(マックス・ウェーバー『宗教社会学論選』みすず書房 1972年10月25日 p39-p40)
ウェーバーは、「苦難の神義論」について次のように解説する。なお、神義論(弁神論)とは「世界における悪の存在が神の全能と善と正義に矛盾するものでないことを弁証しようとする議論」(コトバンク)のことである。
「当の個人にとって『いわれのない』悩みはあまりにも多かったし、また『奴隷道徳』からみてだけでなく、支配者層の固有な尺度に照らしてみても、いちばん成功するのはあまりにもしばしばもっとも善い人びとではなくて、『悪しき者』であった。そこで、個々人が前世で犯したひとつびとつの罪業(霊魂の輪廻のばあい)とか、三代、四代ののちの者にまで報いのくる先祖の罪過とか、また――いちばん原理的なかたちでは――一切の被造物の堕落そのもの(キリスト教)といったことが、苦難や不公正の理由の理由として説かれ、そして、個々人が来世ではこの同じ世界でよりよい生活を営みうることへの期待(霊魂の輪廻)とか、子孫がそうした生活を営みうることへの期待(メシアの国)とか、彼岸におけるよりよい生活への期待(パラダイス)などが、誡命(神が人間に与えた命令)を補償する約束として説かれるようになった。神義論への根絶やしがたい要求から生まれてくる、神と世界についての形而上学的な観念を創り出すことのできたもののうち、運命と功績の不一致の根拠に関する問いに満足のいくような合理的な答えをあたえうる、そうした思想体系の姿をとったものはごく僅か――のちに見るように全体としてただ三つの思想体系だけ――であった。すなわち、インドの業 Karman の教説、ゾロアスター教の(善と悪)二元論、および、隠れたる神 Deus absconditus の預定説、この三つであった。」(ウェーバー前掲書p48-p49)(注)「隠れたる神の預定説(予定説)」とはカルヴァンなどの教説である。予定説 - Wikipedia を参照。
そして、ウェーバーはルサンチマンと苦難の神義論の関係について次のように書いている。
「苦難の神義論がルサンチマンによって色づけられている、ということはありえた。けれども、此岸(この世)における不運を償いたいという欲求は、その決定的な基調として、必ずしもルサンチマンの色合いをおびていなかっただけでなく、通例は一度としてそうした色合いをおびることはなかった、といってよい。不正な者がこの世でしあわせに暮らしていくのは、まさしく、彼らにはあとで地獄が、信仰のあつい者には永遠の至福が用意されているからだ、それゆえにまた、信仰あつい者も時として犯すことのある罪はこの世で償っておかねばならぬ、そういった信仰はたしかに復讐の要求にとりわけ近いものがあった。けれども、ときおり現われてくるこのような思考様式でさえ、必ずしもつねにルサンチマンによって制約されているとは限らなかったし、また、なによりも、こうした思考様式が社会的に抑圧された社会層の所産であるとは限らなかった。これは容易に確証できることである。ルサンチマンによって現実にその本質的な諸特性が制約をうけているような、そうした宗教意識の事例はごく僅かであり、そのうちでもとくに際立ったものはただ一つ(ユダヤ教のことである-引用者)しかなかったということを、われわれはのちに見るであろう。ただ、ルサンチマンが(他の諸要因とならぶ)一つの要因として、社会的に恵まれない社会層によって担われた宗教的合理主義の内部で、重要な意義をもつことは可能であったし、また事実しばしば重要な意義をもったということだけは確実にいえる。しかしそれさえも、個々の宗教のあたえる約束の性質いかんによって、その度合はきわめてさまざまであり、ごく微々たるものでしかない場合もしばしばであった。ともかく、『禁欲』Askese 一般をこのルサンチマンという起源から導出しようとすることは、まったく誤っているように思われる。」(ウェーバー同書p49-p50)
(注)「禁欲」Askese については、禁欲主義 - Wikipedia を参照。
ウェーバーは上記のルサンチマンの批判的考察の他に、「社会的に恵まれない社会層」にとっての倫理的預言が強い影響力を持ったが、「梃子としてルサンチマンを別に必要としたわけではない」とも書いており、また、ルサンチマンが「あらゆる救いの宗教の特性を形づくっているような、本質上形而上学的な思想の源泉となったことは一度としてない」とも書いている。(ウェーバー同書p51)
以上のハンノ・ザウアーやドナ・ハート、マックス・ウェーバーの学術的研究によれば、ニーチェの道徳=ルサンチマン起源説や「奴隷道徳」説は全くの誤謬であると結論づけてよい。