姉と引き継ぎをして、見送ってからの時間。
連続ドラマにキュンとしてみたり(笑)
本を読んだりしながら、いつの間にか爆睡
夜中に、ふと目覚めたら、叔父がベッドのヘリに座り、痛み止めの注射ポンプを自ら首から下げ、まさに立ち上がろうとする瞬間でした
慌てて自分の布団を寄せて、叔父ロードを作り、酸素チューブを巻き取りながらのトイレまでの見守り。
前夜は、立とうにも立てず、ベッド脇でおむつの中にしてしまったということが、本人にしたらショック過ぎて、ネガティヴワード連発で、夜勤担当してた従兄弟は寝られなかった模様。
そんな伏線があったので、私もドキドキしながら見守りましたが、なんとか歩行できて、トイレから帰ってこられたので一安心でした。
トイレで用を足せるという健常者にとっての当たり前が闘病中の叔父には一つのハードルになっていて、それが出来ない時はひどく落ち込み、
『早く死にたい。』『苦しい。辛い。』『生きてても仕方ない。』
という言葉になり、見守っている者に浴びせられます。
最初にその言葉を浴びた時は、私も悲しくなってしまい、泣いたりしてましたが、
いまそれ言われたら
『そうだね。苦しいね。ツライね。』
と、大きな愛で受けとめられると思います。
先日、叔父の痛みがひどくて心も落ちてた時に、
『役に立たないなら生きてても仕方ない。』
って言ったんですよね。
その時、『私は叔父ちゃんに生きてて欲しいし、もっとお話ししたい。』
みたいな事を伝えたんですが、
タロット師匠で以前 介護職をされていた松本さおりさんの記事にすごく納得したので、添付しますね。
私がものすごく納得した記事は コチラ!
叔父のように、これまで人の面倒をたくさんみてきた人がそれを出来なくなった時に、『人の役に立てないなら、自分に存在価値はない。』
と思ってしまう事ってあると思うんです。
いつも弱者を助け、支えてきた強い自分である事が存在価値として刷り込まれてるから。
でも、それが出来なくなったと言って、関わってきた人たちが離れていくかというと、全くそんなことはありません。
逆に、弱って食べられなくなったり、思うように歩けなくなった叔父に、
『何かしてあげたい!』
『役に立ちたい。』
と、これまで叔父が支えてきた人たちは思ってくれるらしく、とても尽くしてくれます。
皆さん、叔父との関わりで、
『本当にお世話になったから。』とか
『対人関係が苦手だったのが、友達として付き合ってくれたおかげで、他の人とも関われるようになった。』とか、とても感謝してくれてます。
私は、細かい叔父の功績は知りませんが、人をまとめたり繋げたり、分け隔てなく付き合って、面倒をよく見てきた人なのは、よく分かりました。
そんな叔父が、最後にこのような状態になり、人の役に立たなくなって、人に助けてもらう側になった時、高いプライドで情けない自分である事を恥じて、卑下して生きるより、自分を想ってくれる人の善意を素直に受け取り、感謝出来たら、この世での学びは終わり、カルマも解消するのかな、と思いました。
叔父がスッキリ軽やかに上がっていかれるように、機会があったら、そんな話をしてみたいなぁと思います。
頑固なので、高い鉄壁を壊すことは出来ないかもしれませんが、どこかで出来ない自分、人に助けられる側に立つ自分に、オッケーを出せたら、もっと楽になれるよねぇ。
人生ってうまく出来てるなぁ、と、毎日感心させられます。
目の前に起こる出来事は、自分への気づきのために起こっている。
そう考えると、無駄なことなんて何もなくて、その事象から何を受け取り、学ぶのかがとにかく大事な事だと分かります。
嫌なこと言われたりされたりして、あいつキライ!っていうのは簡単だけど、せっかくそんな体験させてもらえてるなら、感謝して受け取らなきゃね。
叔父のところに来てくれるまだ若くて独身の女性看護師さんと、今日は沖縄のお話や、夢の叶え方のお話で盛り上がりました。
普通に暮らしてたら出会うことのない看護師さんと私ですが、叔父を通じて色んなお話で盛り上がれて、一緒に大爆笑して楽しかったです。
51年間生きてる私から、37歳の彼女に強く伝えたのは、
自分の人生は自分で創るんだよ!
欲しいものは、自分から取りに行きましょ!
の二つ。
えらそーに言い放ってみました
貴重な体験をさせて、私に深い気づきや学びを与えてくれる叔父には、日々感謝してます。
まだまだ私の学びは終わらない!
引き続き、観察します。
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本当の自分に出会うための
人間関係が今よりラクになる方法
自分の取扱い説明書を手にして
自分に自信を持って生きられる