実は私、小学校5年生から中学2年生まで
不登校でした。
完全に不登校っではなくて
時々登校する微登校?でした(;゚Д゚)
でもそれを他者に話すのが少し抵抗あって
言えなかった。
恥ずかしいとか、
不登校だったことが、なんて思われるか不安だったのと
自分の中でもきっとタブー視していたんだと思います。
悪い事じゃないけど、
みんなができているのに私にはできなかった、
私はダメな人間、、、そんな感じですね。
どうして不登校になったのかというと
もうやる気もないのですが、、、
引き金は担任でした。
そんなに若くもない女性です。
超贔屓をします。
自分の気に入った生徒としか関わらないんです。
挨拶しても無視されます。
授業中手を挙げてもさされません。
話す必要があるときは、最低限のそっけない返事だけ
嫌味だって言われます。
他の先生が褒めようものなら、全力で否定されます。
これ本当に勇気挫きの何物でもないよね
他の生徒と比較されてダメ出しされたり
出来ても褒められませんが、
何かしでかすと教室で、他の生徒の前でつるし上げられます。
そしてその時の気分なのかブームなのか
好みの生徒が変化します。
明日は我が身か、、、私は一度も気に入られたことないですが
今思えば、何故小学校で先生やっているの?
って思わずにはいられません。
今でも若干、それを彷彿とする先生もいますけど
まだ昭和初期か!!って思います。
普通のメンタルの子ならきっと乗り切れると思いますが
私は、無理だった。(もう一人完全不登校になった子もいました。)
毎日学校に行くのが苦痛でした。
そうやって、休みだすと
今度は授業がわからなくなって余計に行けなくなります。
小学校高学年で習う教科は全滅です。
漢字もわからないし、算数の公式もわからないし
社会も理科もわからない。
学校に行かないといけない
頭でわかっているんです。
だから、週2、3日は登校していました。
そうやって、学校を休みがちになると
担任だけじゃなくて、他の生徒から
「いじめ」をうけるようになりました。
そうなったら、もう学校に通うのは苦痛でしかなかった。
だけど、行かないのは罪悪感とかあって苦しいから
少しは登校する。
だけど、休むには親にも理由が必要で
次第に休む理由がなくなってくると
母にどうして休むのか?
と毎朝責められるようになりました。
「学校に行かないなら、こんな物捨ててしまえ」
ランドセルを畑に投げ捨てられたこともあります。
「いじめ」が始まる前は曖昧だったけど
始まってからは、逆に「理由」が言えなかった。
だって、親に心配かけるから
イジメられているなんて知ったら、母が可哀そう
そう思っていたのだけれど
そんな気持ちは考えもせず、
行かない日は責められるわけですよ
あまりに責められるから、実はと話したら
その同級生の一人の家(親同士が仲良かった)に母が電話したんです。
私ならキレ気味になってしまう。
「うちの子をいじめているらしい」
それで、どうなってるの?くらいにしてくれたら良かったけど
母は、昔から、一言爆弾投下してくれます。
「まぁ、男の子は、好きな子には意地悪するって言うし」
最後は談笑
そばで聞いてた私は血の気が引きましたよ
どんだけ、母、わかってないんだよ~!!笑いごとじゃね~
何のために電話したんだよ
何故そこで、中途半端な変なフォロー?(;゚Д゚)
おかげでその後、余計に嫌なことたくさん言われましたよ。
余計なことするなー
私の気づかいって何だったんだろう
でも理由を言ったおかげで、毎朝責められなくなったのは良かった。
もうね、休んだら開き直って実家の農家の手伝いをしていましたよ
田んぼに肥料を撒いたり
米苗の準備(これは小さい頃からやってた)
田植えをしたり(水に入って手植え)
すっかり農家の娘(´▽`*)
学校生活は学年が上がっても
何の改善もされないままだったけど、、
六年生の2学期には担任の先生(別の先生)が
家庭訪問とか、対応はしてくれて
改善はまったくされなかったけど、、
きっと人気のある先生だと違ったのかな
私も好きになれない先生だったし
でも3学期は休まず通ったんだよね。
自分でもわからないんだけど
きっかけが欲しかったのかな、、、
先生がそう言うなら、行こうかなって
そんなわけで、三学期は通い
無事卒業できたわけですが(義務教育なのでね)
結局、中学に入ると再び不登校になりました。
その話はまた今度