音大を卒業しての1年目 鍼灸学校を決めて、
音大からお付き合いしていた彼のお母さんと彼の大学卒業時にお会いして
順風満帆でした。
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たしか鍼灸学校の受験前(音大卒業1年目)に
彼と一緒に函館に初めて遊びにきたんとだった思います。
その時に、函館にお嫁に来てもいいなと思いました。
海なし県で育った私は、すごく海が近いことに感動していました。
晴れ渡った夏の日 今も函館駅前にある青函連絡船の甲板に立った時
そう思った覚えがあります。
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父の整骨院での仕事も順調。
四谷呉竹 東京医療専門学校の2部(午後から始業の部)鍼灸専科に
入学しました。
高校卒業してすぐ入学して来た18歳の同級生もいれば
私のように 大学卒業して1年目に受験して入学して来た人が私いれて4人(当時23歳)
社会人経験してから入学された方もおられました。
同い年 4人の内訳は
私 音大卒
女子で日体大卒 ライフセーバーの資格を持つ
女子で 柔整専門学校卒
男子で (噂では)自分で株で儲けたお金で入学された(?)
な感じでした
ま。私も異色ですよね。
正直、鍼灸学校入学時前から父の整骨院勤務もあり
現場慣れしていることと、
治療助手もさせてもらっていたのもあり
また どこを重要的に勉強したらいいのか
父のアドバイスもあり成績優秀者でありました。
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専門学校1年生の夏
お付きあいしてた彼の函館のお母さんが
軽く脳梗塞されて片顔に軽く麻痺が出たこともあり
彼の実家が事業していることもありそちらにも戻って来て手伝って欲しいとのことで
彼はその夏に函館に戻ることになりました。
そこから鍼灸学校卒業までの2年半遠距離恋愛となりました。
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きちっと学内の試験を通ると 追試の日は その日は 休みになるのです。
その度に 飛行機のチケットを取って函館へ来たり
東京に彼が出て来てくれたり。
そのため
学内の試験は1回で 成績良く通る
を目標にしていました。
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父は健康保険や事故の保険を扱っての鍼灸整骨院をしており
保険請求の扱いも大変なことを目にしていました。
その件で私が幼少の頃 大変な事故をしていましたし。(その話)
そして 整骨師会の市の支部長を当時歴任したり
県の保険監査などをしていた父が当時よく言っていました。
「整骨院というのは、柔道で怪我した内容で来るところなんだ。
だから、傷病名がつく。骨折、捻挫、挫傷とか。
怪我だから治る症状で来るところなんだよ。
慢性的な症状で、何ヶ月もかかるとかになると ×0.7とか×0.3とかになって
正直儲からない仕組みになっているんだ。
肩こりとか ただ腰痛で来ちゃうと困るんだ。
それは【慰安】の領域なんだ。
慰安だから、数ヵ月に1回とかで来るだろう。
治る怪我だったら数ヶ月に1回ではない。
お父さんは 【慰安】はやりたくないんだ。」
これが また私の転機だったのだと思います。
15.私の世界観に続く