もう何年も
おおかた20年ほど
何を考えているのかわからなくて、でも、わかりたくて、ずいぶんともがいてきた
もがいてたのは私だって思いよったけど
若旦那もやったんよね
登校拒否だの夜遊びだの家出だの起業だの、そこからの失敗だの
いったい人の何回分の人生を生きよるんやろ❓
そう思うくらいに人生のアップダウンが激しくて、その度、おかんは眠れない、泣く、捜す、善処する、どやす…その繰り返し
よく、いろんなお母さんから、男の子はね…って話も聞いた
お嬢達からは、あまやかすけんそうなるってガンガン言われた
どうしていいかわからんし、子供らの父親は、問題がある度
離婚前➡️「どうするや❓」
離婚後➡️「親権者はあなたやけん、あなたがどうにかせなたい」
だから、生物学的な事はどうしようもないにしても、こいつは父親じゃない
子供は神様から私がいただいたのだから、絶対投げ出せないって腹を括ってやってきた
最近も、たまに帰ってきても、若旦那はろくに喋らん
やけど、何だか電話になると、あの頃はこう思いよったとか、最近こう考えてるとかを話すようになってきた
そして数日前
夜中の長電話の末に言ってみた
「あのさあ、昔、何聞いても喋らんし、あんま聞いたら切れよったし、何考えとるんかわからんできつかったんやけど、最近、電話では話してくれるようになったけん、少し気がラクというか心配せんですむようになりよる」
そしたら彼の答は
「基本的には昔と変わらんよ
うん、何も変わらん
ただね、あの頃は、言葉を知らんかったね
本読め言われても、読書とか好かんかった
やけど、社会に出て揉まれよるうちに、誰かを理解したり、誰かを知りたいと思ったり、商売での話題にも知識も言葉も大事って思うようになった。例えば、美味しいを伝えるにも、人によって伝え方を変えたほうが伝わる事とかたくさんあって、そんな言葉を知るたんび、ああ、言葉を知らんかったとか、伝わらんかったんは伝え方が違ったんやとか思うようになってきて、それからはいろんなジャンルの本を読むんよ
医学書も、経済的なんも、歴史っかのも」
あ、「うぉー」なんやなって瞬間思った
ヘレンケラーが初めて物に名前があると知って、その感動と歓びで懸命に発語した「ウォー(Water)」
言葉を得ることで、ヘレンは意のままにならないと攻撃的になる事から解放されていった
若旦那の学びはそこから始まって、人との繋がり方の学びも、やっとスタートしたんやなって
言葉を得る事の大切さを思ったし、それは私の小さいけど確かな幸せの素の一つになった