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沖縄から上京して大開運した有名人達の特徴としては、沖縄から見た北東に当たる東京への転居なので、北東の十二支の丑か寅が解神と言う吉神である有名人達が多かった。
または、転居の年・月に、解神の十二支が北東方位に廻座で来ている有名人達ばかりであった。
つまり、方位の吉凶の半分以上が十二支が決定していると言う、あまりに重要な事実がある。
具志堅用高や二階堂ふみに至っては、年盤の暗剣殺が来ていたが、十二支で方合や三合を形成していた為、この凶意を弾き返しており、実際に上京して大開運した。

九星気学では、五黄殺・暗剣殺・破れ等や九星の相性しか見ないが、そうした表面的な見方は大変危険である。
暗剣殺を過大評価して、上京を諦めていたら、今日まで続く具志堅や二階堂の大開運は全く有り得なかったのだ。

個人の四柱推命の命式の十二支と、方位の定位と廻座の十二支の組み合わせの吉凶こそが、方位の吉凶の過半を決めるのである。
それは、凶方位に転居した有名人の事例からも明らかである。


万人にとって、同じ方位が同じだけの吉凶とするのは、戦争で大勝利した軍隊からも死者が出ることから、明らかに間違っている。
同じ時期・同じ時間帯の方位でも、個人毎に吉凶の度合いはかなり異なるのである。



では、大開運した事例として、有名人達の方位学の事例を挙げる。

明石家さんま
命式
時日月年
辛癸壬乙
酉亥午未

明石家さんまは、1974年3月に笑福亭松之助の元で内弟子修行を開始したが、晩夏には半年もせずに投げ出して、大阪から東京に上京した。
しかし、上京後、半年余りで帰阪することとなった。

晩夏を8月末頃だとすると、半年余りした時期は1974年節の甲寅年か1975年節の乙卯か微妙である。
何故なら、年運は2月上旬に切り替わるからだ。
晩夏・半年余りはアバウトであり、帰阪時の方位の運勢は分かりづらい。

しかし、上京時について言うと、甲年は確定しており、大阪から東京は東、しかも北東寄りの甲ノ方で歳徳神の方位であり、大吉である。
仮に帰阪時の方位が、1975年節の乙卯年になっていたら、西は歳破の大凶であるが、乙年は庚が歳徳神になるので、庚ノ方が歳徳神になり、帰阪時の方位も大吉となり、大凶と大吉が混在。

しかし、それのみではなく、上京時の方位では東なので定位は卯であり、命式の未や亥と合わせて三合木局を形成していて、やはり大吉であった。
また、東は三碧木星の方位で発展ややる気に関わる方位である。

ちなみに、帰阪時に乙卯年だとすると、
乙卯→丙辰(北西)→丁巳(西)
であり、西に巳が来る。
命式の午未と合わせて、巳午未の南方合火局であり、巳酉の半三合も形成していた。
しかも、西は七赤金星の方位であり、芸能やお笑いを示している方位である。



松田聖子
命式
時日月年
戊丁癸壬
申未卯寅

松田聖子は、1979年6月に福岡県久留米市から上京した。
方位では、北東と東の間である。
甲年なので、歳徳神は甲であり、甲ノ方の方位であった。
1979年6月とは己未年で庚午月である。
己未→庚申(北西)→辛酉(西)→壬戌(北東)
庚午→辛未(北西)→壬申(西)→癸酉(北東)
未申酉戌の四支並び、つまり申酉戌の西方合金局を形成して、大吉だった。

年盤では、東だと暗剣殺だが、それは歳徳神で一応制されている。



タモリ
命式
時日月年
 癸甲乙
 亥申酉

タモリは1975年6月に上京している。
先ず、1975年は乙年であり、
乙卯→丙辰(北西)→丁巳(西)→戊午(北東)→己未(南)→庚申(北)→辛酉(南西)→壬戌(東)
であり、東には戌が廻座していて、申酉戌亥の4支並びで、申酉戌の西方合金局を形成する。
なお、福岡市は同じ福岡県でも久留米市より北に位置しており、より東京は東の意味が出てくる。
また、乙年なので、東は歳徳合の乙の方位である点も良い。
卯年で東は太歳なので、吉方位の吉効果は拡大している。
しかも、乙年は東の卯の方位が歳禄神と言う財運の神様の方位であった。



小池百合子
命式
時日月年
辛壬丁壬
丑戌未辰

小池百合子は、1971年9月にエジプトに留学した。
小池は四墓が揃っている強力な命式である。
エジプトは北西の方位である。
1971年は辛亥年であり、北西には子が廻座していた。
また、北西は戌と亥の定位である。
命式の丑と合わせて、戌亥子丑の4支並びで亥子丑の北方合水局が成立していた。
そもそも北西は六白金星の定位であり、社会的地位や仕事運や金運等に直結する方位である。



デヴィ夫人
命式
時日月年
庚己戊庚
午卯寅辰

デヴィ夫人は、1959年にインドネシアに行った。
1959年は己亥年であり、南西には巳が廻座。
更には、南西は未と申の定位である。
これにより、寅卯辰巳午未申と7支並びで、寅卯辰の東方合木局と巳午未の南方合火局が成立していた。
かなりの大吉である。



しかし、方位学の事例を集めるのはかなり大変である。
何故なら、上京時のタイミングが記事によって異なるケースがあったり、実際に転居したのはいつか、転居以前に方位が作用するか等を考慮せねばならないからだ。

松田聖子のケースでは、方位は北東と東の境界線付近であり、私はこうしたケースでは、両方の方位の影響を受けると考えている。
つまり、境界線付近ではきっちり切り替わるのではなく、両方の方位の影響を受けると考えている。
松田聖子は、北東方位の激変作用と東方位の発展作用を大きく受けたと考えられる。



方位術は、大変奥深い術である。